51 【路地裏の世界】
「ヘレナさん! 羽織るものを2人分、お願いします!」
ササッと入り込んだ馬屋で師匠が威勢よく声をかけると、シスター・ヘレナはブラッシング中だった手を止めて、壁にかけられていた外套を放り投げた。師匠はそれを華麗にキャッチした。
「何をしているんですか、小鹿ちゃん! あなたも急いで!」
無駄のない見事な連携プレーに見入っていた僕は、ヘレナさんにベールを外され、師匠からは外套をすっぽりと頭から被せられた。
「ここから出て左手の通り。3軒先の家を右に曲がったよ。誘われてるんじゃないか?」
なんと察しのいい人なのだろうか。ヘレナさんは小窓から盗み見た勇者様の動きを正確に報告してくれた。
「望むところです! ありがとうございました!」
僕は細帯を腰に巻きつけながらヘレナさんに一礼して、馬屋を出た師匠の後に続いた。
尾行の再開は馬屋を出て左手にある通りの3軒先の家を右に曲がった路地から始まった。
「ここから先、曲がり角があったら私が先に行って様子を見てきます。小鹿ちゃんは都度、私が戻ってくるまでその場で待機をしていてください」
「はい」
本来の目的を忘れていた僕は楽しい気分に支配されていた。まるで別世界に入り込んだかのような、路地裏の独特な雰囲気がそうさせていたのかもしれない。僕は満ち満ちた興奮を抑えつけるためにフードを目深に被りなおして、未知の道を踏みしめた。
路地裏の世界は広くはないけれど、狭いということもなかった。どこも最低限、荷車がすれ違えるくらいの幅がとられていた。下町にある建物は小さな平屋が多かったけれど、よく見ると2階建ての家もあって、階段や梯子がかけられた建物もあった。
馬屋の半分の面積もない、小さな2階建ての家から子供が6人くらい、連続で飛び出してきたのを見た時は驚いた。師匠いわく、そういったご家庭は聖都では珍しくないそうだ。小さい家の利点は暖が取りやすいというところにあって、中には10人以上で暮らしている家庭もあるとのことだった。その話を聞いた僕は、幸せな家庭を持って過ごす町の人たちと自分を比較して劣等感を感じつつ、小さな家屋の中での暮らしぶりを想像して、勝手に心が温まってニヤついていた。
路地裏の道は曲がりくねっていたり、何股にも分かれていたり、緩やかな傾斜があったり、とにかく起伏に富んでいた。屋根付きの井戸なんかもよく見かけて、水が豊富な地域なんだなと思わされた。また、雪を捨てるためなのか、小さな運河が通っていたりもして、これがどこに流れていくのかを師匠に聞くと怒られることを思い出した。
周囲の様子に目を奪われながら歩いていると、路地の向かい側から小さな女の子が走ってきて、僕たちに声をかけてきた。その子の手にはリンゴがたくさん入ったカゴが握られていた。
「おねえちゃんたち! りんご、かってください!」
「はいよ、素敵なお嬢さん。とびきり甘いのを2つくださいな」
師匠は慣れた様子でリンゴの押し売りに応対した。銀貨を受け取った少女に師匠は笑顔を向けていたけれど、僕は愛想よく振舞うことが出来ずにいた。
「ありがとう!」
少女はキョロキョロとまわりに視線を走らせて、次のターゲットへと走り出していった。
「子供は苦手でしたか?」
「いや……まぁ、はい」
会話はまったく弾まなかった。苦手なものの話題すら苦手だったからだ。
「そうでしたか。世の中にはいろんな人がいますからね。でも、自分で子供を持つと、変わる人は変わるらしいですよ」
師匠はそれ以上突っ込んだことは言わず、買ったリンゴを懐にしまい込んだ。
「そうだ! あとでリンゴを使った、聖都に伝わる伝統的な愛の告白方法についてお教えしましょう」
「伝統的な、告白?」
「ええ。女性から男性へ思いを打ち明ける時にそうするのですが、まず……」
「あ、ゆうしゃさま!?」
話はそこで中断された。
「様子を見に行きましょう」
僕たちはリンゴ売りの少女の声がした方へと急いだ。
ここからは余談。リンゴを使った割と最低な告白方法を師匠に教えられたのは、その日の晩のことだった。詳細は省くけれど、その方法は切ったリンゴをとんでもないところに入れて、自分のエキスを染み込ませたものを意中の男性が食べてくれたらオーケーというものだった。師匠はそれを悪用して、ウーリール先生に何も伝えずに100回は食べさせたと言っていた。僕も師匠と同じことを聖都とバハティエで1回ずつ、勇者様相手にやってみたけど、普通に最低だと思うし、背徳感と快楽について考えさせられることになった。実のところ、もう何度か勇者様に試して、悪事を暴かれたいという気持ちもあれば、彼に叱られたいとも思っている。そういう事もあって、僕は勇者様に早く元気になってほしいと心の底から願っている。




