50 【愛のディテクティブ】
雪の道に戻ると、町へ帰ろうとする勇者様の後ろ姿が目に入った。僕は慌てて追いかけようとしたけれど、その場から1歩も前に進むことができなかった。師匠がものすごい力で僕の手首を握っていたからだった。
「どうして?」
僕の疑問に師匠が答える気になってくれたのは、勇者様の全身がアブよりも小さく見えるようになってからだった。
「あの御方、やはり只者ではありません。先生とは別種の恐ろしさを感じます。勇者としての使命感がそうさせているのか……しかし、あそこまでいくと、もはや呪いに近いですね」
「どういう意味ですか?」
師匠は少しだけ目を細めて、銀世界を行く勇者様を眺めているだけだった。僕にはよくわからない、目に見えないものを感じ取るのことのできる上級者たちの戦いはすでに始まっていた。
「おそらく、バレてます。私たちのこと」
「えぇっ!?」
「大きな声を出しなさんな!!」
「そ、そっちこそ……」
師匠は掴んでいた手を放して、人差し指を僕の鼻先にグリグリと押し付けてきた。彼女の術中にまんまとハマった僕はそれだけで簡単に黙らされた。
「とりあえずこの距離を保ったまま、追いかけてみましょう。町に戻れば他の気配に紛れて、もう少し近づけるかもしれません」
そう言って師匠は、町まで続く道をゆっくりと戻り始めた。彼女を追いかけながら、僕は不安を口にした。
「このまま尾行を続けて、大丈夫なんですか? だって、もうバレてるんでしょう?」
「大丈夫です。さすがに正体までは気付かれていませんから。しかし、油断は禁物ですよ。相手は勇者様ですからね」
どういうわけか、師匠は充実感溢れる顔つきになっていた。遠く離れたその場所からは聖都の町並みはとても小さく見え、山の頂に佇んだ荘厳な大聖堂だけがはっきりと見ることができた。
しばらく歩いても、まだ聖都には戻れなかった。町までの距離がこんなにもあったのかと驚きながらも、僕はギリギリ見失いそうで見失わない距離にいる勇者様の動向から目を離せないでいた。
「なんか……1度も振り向いてこないですけど、本当に僕たちの存在に気付いているんですか?」
「さきほども言いましたが、それが勇者としての呪いというヤツですね」
「勇者としての呪い?」
「ええ。彼は今、その力で自らの心と体を抑えつけているのです」
知能格差というのは、なぜこうも残酷なのだろうか。耳から入った師匠の話が、開けていた口から抜け去っていったのを確かに感じた。僕の顔を見た師匠はあからさまに渋い顔をさせた。
「それじゃあ例えば、彼が今振り向いて、どうなります?」
「えと……僕たちが見つかって、捕まる?」
「見つかるかもしれませんが、捕まりません。私がいますから。しかし彼からすれば、そんなことはわかりきったこと。だから今は誘っている真っ最中なんですよ」
「誘っているって、何を?」
「私たちの油断を、ですよ。町に帰った彼が何をするのか、実は2通りのパターンが考えられたんですけど、おそらくは下町を練り歩いて細い路地に入り込むんじゃないでしょうか。私たちをそこに呼び込むために」
信じられないことに、師匠のこの推理は大当たりすることになる。結果、僕はますます彼女という存在に恐れおののくことにもなった。
「私が恐ろしく思ったのは、勇者様がお疲れ気味だというところですね。そんな状態でも勇者としての使命を果たそうとしているわけですから」
「……あれ? もしかして僕たちって、ノト君に凶悪犯か何かだと勘違いされたりしてます?」
天下太平。それが勇者様の使命だ。平和に仇なす者は彼に成敗されてしかるべし。僕は自分の置かれた状況に危機感を持った。だけど、師匠から返ってきたのは意外な答えだった。
「いいえ。だったら、私たちはすでに獣舎でぶち殺されているはずです」
「え? だって、あれはおじいさんが」
僕の反論を最後まで聞かずに師匠は首を横に振った。
「あのご老人が、何者かをかくまっていたことを彼は察していました。あれだけ警戒心が強いのに、最後の最後でご自分の目を使われなかった。それが何よりの証拠です」
「じゃ、じゃ、じゃ、じゃあ、なんで僕たちを見逃したんですか?」
「それは私にもわかりません。たぶん、ご老人が基本的には嘘をついていなかったからじゃないでしょうか」
もう、全然わからなかった。僕は頭をかきむしりながらうめき声をあげた。
「どうしてそんなに、人のことがわかるんですか?」
「誰にでもできることです。立派な鹿になることが出来れば、あなたにも簡単にわかるようになりますよ」
その時の僕は師匠の言っていることがさっぱりわからなかった。ただ、愛というものを知った今の僕だったら、その意味はなんとなくわかる。要は、相手の気持ちに寄り添って考えられるという愛にも似た力が、師匠の冴えわたる推理を生み出していた。牧場のおじいさんの人となりを判断して信用した勇者様は、あえて騙されることを選んだ。それでも気になる追跡者たちの正体は自らの力で暴いてから、その存在の善悪を判断しようとした。きっと、そういう事だったんだと思う。




