48 【追いかけて、追いかけられて】
僕たちは勇者様の姿が目撃されたという馬屋から少し離れた建物の陰に身を隠していた。僕の方は乱れた呼吸を整えるのに必死だったというのに、師匠ときたら涼しい顔をして現場の様子を覗いていた。
「ふむ……いませんね」
「ふぇぇぇ?」
師匠の報告に僕は情けない声を返した。いないのかい。じゃあ僕は何のために、こんなに走らされたんだ。世の中っていうのは、そういう事ばかりで本当に始末に負えない。
「いや、ちょっと待ってください……来ました! どうやら集めた雪を捨てに、町の外に出ていたみたいですね」
馬屋は聖都の入り口みたいなものだった。外側には農地や牧場もあったけれど、まとまって人が暮らすエリアは主に馬屋よりも内側にあった。
師匠の報告を聞いた僕の心境は複雑だった。走ったことが無駄骨にならずに済んで良かったという気持ちと、勇者様の姿をまともに見ることが出来るかどうか不安な気持ちがまじり合っていた。
「う~わっ!?」
いきなり師匠が奇声を上げた。そんな反応されたら当然気になるのが人の常というものだった。
「ど、どうしたんですか!?」
「勇者様の近くに大型犬と女児という、好感度の塊みたいな存在が!」
「ど、ど、ど、どういう状況なんですか!?」
僕の首に師匠の細い腕が絡みついたのは、その時だった。
「自分の目で確かめてごらんなさい、ホラッ!」
「キュアッ!?」
師匠に首を絞められた僕は、雪原よりも真っ白な世界に一瞬だけ連れて行かれた。ふっと意識が戻ると、視界にあったのは馬屋の軒先に空っぽの荷車を停めた勇者様と可愛らしいお供たちの姿だった。ちょうど馬屋から、肌の露出の多い暗色の服を着たお姉さんが出てきたところでもあった。
「あの人って、確か……」
師匠の腕によって顔面をきっちり固定されて、強制的に覗き行為をさせられたまま、僕は見覚えのあるセクシーな女性について口にした。その続きは僕のベールの上に小さな顎を乗せた師匠が答えた。
「ヘレナさんです。馬のお世話は彼女のお仕事ですからね。おっと? 2人が接近しましたよ?」
勇者様は顔を赤くして、深くお辞儀をしたシスター・ヘレナのばっくりと空いた胸元から目を逸らしていた。女の子がその様子を指差して笑うと、彼はますます顔を赤くさせて大きな牧羊犬の頭を撫でて誤魔化した。
「意外とスケベみたいですねぇ。これは減点ですかぁ?」
「ある程度なら、まぁ……」
理解のある女を演じてみせたけど、本当はめちゃくちゃ嫌だった。僕がヘレナさんみたいな身体だったら、いくらでも……という悔しい気持ちさえあった。
「心配していた割には、勇者様のことを見れているみたいですねぇ?」
「そりゃあこんな状況になれば、誰だって」
「あぶねっ!?」
勇者様がこちらに振り向きそうになった途端、体がグッと引き戻された。僕たちは再び、建物の陰に身をひそめる形をとった。
「……さすが精霊様に選ばれし者ですねぇ。なかなか勘が鋭くていらっしゃる。というよりも、注意力が断然優れているみたいです。これは強敵ですよぉ?」
師匠は修道女としてあるまじき邪悪な笑みを浮かべると、またひとりで現場の様子を覗き込み始めた。
「おっ……勇者様が女児と犬を連れて、また町の外へ行きました。チャンスですね。ヘレナさんに聞き込みに行きましょう」
僕の手を握ると師匠は建物の陰から飛び出した。移動はもちろんダッシュだった。
「なんだ、驚いた。マリアとアリーか。どうしたの?」
「お嬢さん、ちょっとお聞きしたいことがあるのですが、よろしいですかねぇ。先ほどこちらにいらっしゃった勇者様と、どんなやり取りをしていたのでしょうか?」
謎のモードに入っていた師匠の他人行儀な言葉遣いを聞いて、ヘレナさんは嬉しそうに口角を上げた。
「何? 探偵ごっこ? 好きだね、相変わらず」
師匠は何も言わず、ヘレナさんに4、5枚の銀貨を握らせた。たちまちヘレナさんは大笑いして、師匠に銀貨を返すと、目に溜まった涙を指で拭いながら口を割り始めた。
「はぁ……アンタが辞めちゃうなんて、本当に寂しくなるわ。勇者様には除雪の手伝いをしてくれたお礼を言っただけさ。今さっき、成り行きで預かっていた子供と犬を牧場まで送り届けに行ったところ」
「ご協力ありがとうございます。寂しいのは私も同じです。いつでも遊びに来てくださいね。私も遊びに行きますから。今日……いや、明日のランチは3人で過ごすことにしましょう」
「ああ、待ってるよ。期待せずに」
腕組みをしながら笑顔を向けたヘレナさんに、師匠はスマイル付きのウィンクをして別れの挨拶を済ませた。
駆ける、
駆ける、
駆ける。
隠密行動中の師匠は馬よりも速く走った。当時の僕にはそんなことを考える余裕もなかったけれど、あれだけ食べた後によくあんなにも走れたものだなと思う。むしろ、あれだけ食べるから人だったからこそ、あそこまで走ることが出来たのかもしれない。
師匠に手を引かれ、幅広く固められていた雪の道を駆け抜けた。行き先はもちろん牧場。やがて雪原にポツンと建てられた人家が見えてきた。家の前には3つの人影があった。勇者様と小さな女の子、そして大きな牧羊犬のものだった。
ここでの師匠の判断は、道に背を向けて立つ勇者様と大きく距離をとって、人家の前を一気に駆け抜けるというものだった。他に道が無かったし、隠れる場所もなかったから、そうすることしか出来なかったんだと思う。この場面は完全に師匠の計算ミスだったと、僕は未だに思っている。
ワン。
家の前を横切ると確実に犬が吠えた。バレたかと思う暇もなく、師匠は雪の道を駆けて駆けて、家と少し離れたところにある獣舎にまで駆け込んだ。ようやく師匠の足が止まってくれて、僕は上がりきった息を整えることが出来た。
「マズいですね。勇者様に気付かれました。こっちに来ます」
「おやおや」
「おわああぁぁ!?」
僕はピッチフォークを持ったおじいさんの登場に驚いた。よくよく考えると、だいぶ失礼なことをしたと思う。けれど、そのおじいさんは僕たちの侵入に全然動じていなくて、それどころか穏やかに笑っていた。
「ちょっといいですか!? 突然ですけど、私たちをかくまってください!!」
師匠は間髪入れず、おじいさんに懇願した。彼女の決断と行動の速さが光った瞬間だった。
「ほっほっほ」
おじいさんは微笑みながら、獣舎の一番奥に積まれていた飼い葉の山を指した。僕たちは急いで壁際まで行って、飼い葉の山の裏にあったわずかな隙間に隠れた。勇者様が獣舎へとやってくるのに、それほど時間はかからなかった。
「あの……すみません」
「これは勇者様、孫がお世話になりました。何か御用ですかな?」
両手で口を押えても、吐き出した息は白く舞い上がった。その時、師匠が僕の肩を叩いた。彼女はいつの間にか手にしていた雪の塊を僕の口の中に突っ込んできて、自分の口の中にも入れた。すると不思議なことに、息が白くなくなった。驚いて師匠の顔を見ると、彼女は得意げにスマイル付きのウインクを決めてきた。
「ちょっとお伺いしたいんですけど、ここに怪しい人物が入ってきたりはしませんでしたか?」
「はて? ずっとこの場所に立っておりましたが、悪しき気配は何も」
「……小さいお子様もおられるご家庭なんで、念のため、調べてみてもいいですか?」
気付けば、追う側が追われる側になっていた。さっきまで疾走していた場面が、スリル溢れる場面に早変わり。どうしてこうなってしまったのだろう。
「ここには私とバッカムトしかおりません。しかし、そこまでおっしゃられるのであれば、どうぞご自由に。私もお手伝いましょう」
「万が一があったら、危険ですから。ここで待っていてください」
「年寄り扱いせんでください。これでも大戦を生き抜いた経験があります」
「……お言葉に甘えさせていただきます。でも、どうか無理はなさらず」
ふたつの足音が一直線に僕たちのいるところに向かってきた。当たり前だ。他に道はないのだから。
「このあたりは、略奪者やなんかは現れるんですか?」
「いえいえ。厳しい冬のおかげか、いたって平和なものです。見回りの修道兵たちも優秀で、ここ30年はそういった者たちの姿さえありません」
2人の声がすぐ近くにまで迫ると、舎内に響いていた足音が止まった。
「そうでしたか……これは飼い葉ですか?」
「ええ。ちょうど今、桶に移し替えようと思っていたところです」
ひとりの足音が近づいてくると、目の前の壁にゆっくりと影が伸びてきた。背にしていた飼い葉の山は揺れ、ガサゴソという音と振動が伝わってきた。僕は息を殺して目を閉じた。
「……特に怪しい人物は、おりませんな」
こわごわと目を開くと、おじいさんが僕たちを安心させるように笑いかけていた。おじいさんは何度か頷くと、飼い葉の山の裏側へと戻っていった。
「ボクの見間違いだったみたいですね。御迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」
「私は見間違いとは思いません。きっと、雪の妖精の仕業でしょう」
「雪の妖精?」
「ええ。この地方に古くから伝わる妖精です。我々を引き合わせてくれたのも、彼女たちの思し召しでしょう。ところで勇者様、ミルクはお好きですかな? 随分と疲れた顔をなされている。家の中に入って、温めたミルクを飲んでいかれるといい。私はこれから仕事がありますから、お付き合いは出来ませんが、孫が喜んで私の代わりを務めてくれることでしょう。どうぞ、こちらへ。家まで案内します」
勇者様とおじいさんが獣舎から去ったのを確認した後、僕と師匠はほとんど同時に溶けた雪を口からびゅっと吐き出した。過ごした時間の割に積もる話ができた気はしたけれど、僕たちは口数少なく大活躍してくれたおじいさんの帰還を待った。




