47 【素行調査】
聖都の下町は中層までの町並みと全然違っていた。煌びやかな装飾が施された柱や建物がひとつもなくて、シンプルな作りの木造の建物ばかりが並んでいて、道は複雑に入り組んでいた。そこには華やかさというものはまったくなかったけれど、人々には活気があって、とても賑やかで、どこか落ち着く雰囲気を持っていて、何よりも平和がある場所だった。
「ところで僕たち、何をしてるんでしたっけ?」
人間というのは飢えると思考能力が落ちる。だから僕は飢えを悪と考えている。けれど必要以上に満腹になっても、飢えている時と大して変わらない状態になってしまうという事を、僕はその時に学んだ。
朝食後の作戦会議を経て、上層の住宅街から下町まで歩くことによって、ようやく僕の胃袋は落ち着いてくれた。頭が回らない状況での会議は、僕の頭に情報のかけらすらも残していなかった。
「こぉの……小鹿ぁ!」
シスターマリアは眉間どころが鼻の方にまでしわを寄せて、怒りの形相で僕の顔を両手で挟んで顔の肉を弄び始めた。
「バクバクバクバク、食うだけ食って! なんですか、このほっぺたは! 可愛さ余ってなんと憎たらしい! もっと食べさせて、子豚ちゃんにしてやろうかしら! 舐めたこと言ってくるのは、この口か!?」
「ひょっちが、勝手に食べはせはんじゃ」
両頬のお肉をつままれながら、僕は抗議をした。
「ごちそうさまが聞こえないと思ったら、なんですか、その態度は!? もしかして、与えられるのが当たり前だと思っちゃったりしてます!? これは教育のしがいがありますねぇ!?」
今度は鼻を思いっきり上に向けられた。師匠には敵わない。僕はすっかり諦めて、屈辱的な顔の形を作られたまま彼女の話を聞いた。
「まったく……勇者様の素行調査をすると、さっき言ったばかりじゃないですか。話を聞いてなかったんですか?」
「あの、お腹がいっぱい過ぎて、何も考えられなくなっちゃって……ごめんなさい」
納得してくれたのか、師匠は表情を緩めて僕の顔を自由にしてくれた。解放されたばかりの顔を自分でほぐしながら、僕は疑問を口にした。
「それで、何の目的があって、それをするんでしたっけ?」
「あなたが勇者様の御尊顔を直視できるようになること。勇者様という枠を外して、ノトというひとりの人間の本当の姿を知ること。それを見て、あなたが今後どうしたいのかを決める。以上が目的となります」
僕がゆっくりと内容を理解してから頷くと、師匠は整然と話を続けた。
「今朝、あなたが勇者様を直視できなかったのは、実はかなり効果的でした。しかしあれをやりすぎると、相手の気持ちが離れてしまう可能性が高いです。ですから、なるべく早く勇者様を見つけ出して、それだけでも今日中に治すことにしましょう」
「ど、どうですかねぇ?」
僕から出たのは後ろ向きな意見だった。自信がなかった。あれほどまでの胸のざわめきは感じたことがなかった。
「どうですかねぇ、じゃねぇんです。やるんです。やらせます。力づくでも私がそうさせますから、ご心配なく」
なおさら心配だった。ただ、心配事は他にもあった。
「その……この……僕たちの服装っていうのは、そういう行動に適さないのでは?」
僕たちが着ていたのは修道服だった。このやり取りをしている最中だって、町に行き交うほとんどの人たちから奇異の目で見られていた。運よく勇者様を見つけ出して尾行を始めたとしても、目立ってしょうがないのではないだろうかと思った。
「何をおっしゃいますやら。何のための暗色だと思っているんですか? これ以上にない、隠密にはピッタリの衣装ですよ! 時の皇帝を暗殺したのも、さる修道士であったことを知らんのですか!?」
「知らん、ですね……」
「何を聞いても知らん知らん! 話にならないですねぇ! まあ、今の話は私の完全なるでっち上げですけど! とにかく急ぎましょう!」
「あ……ぶない、ですよぉ?」
僕の注意は『あ』の部分で意味を為さなくなった。言い切るよりも先に、師匠が背中を向けて勢いよく歩き出して、すぐ後ろに立っていた見慣れた人物にぶつかってしまったからだった。
「ごめんなさい。お怪我はありませんでしたか?」
やっぱり僕の勘は正しかった。お互いに不意打ちだったはずなのに、師匠は難なく彼に押し勝ってしまったのだから。
「いや、そっちこそ……大丈夫そうだな」
師匠がぶつかった相手はハンスさんだった。
尻もちをついた姿も驚いて目を丸くさせていたのも珍しいというか、彼がそういうリアクションをしたのはその時が唯一だったと思う……そういえば、セルマさんに力負けをしていたっけ。ということは、あまりパワーはないのかもしれない。彼の名誉のために言っておくと、決して弱いわけではない。むしろ彼はめちゃくちゃ強い。なんたってあの魔王の瘴気攻撃に耐え、槍で胸を貫いたこともあるのだから。
立ち上がったハンスさんは、少しだけショックを受けたような表情で僕と師匠の顔を交互に見ていた。
「ハンスさん、どうしてここに?」
「たまたま通りかかっただけさ。暗殺がどうとか、物騒な会話が聞こえたもんだからな」
「やさ……ハンス様でしたか。大変失礼いたしました。これも精霊様の思し召しですね。ところで、勇者様がどちらにいらっしゃるか、ご存知ではありませんか?」
失礼な呼称を直前で変えつつ聞き込みを行ったのは師匠だった。精霊様の思し召しというより、彼女のよく通る声がハンスさんを引き寄せただけのことだった。
「ノトだったら、まだどこかで雪降ろしの手伝いをしているんじゃないかな。会いたいんだったら、ひとつ上の層の階段のところで待ってた方が確実なんじゃないか?」
盲点を突かれた僕たちは口を開いてお互いの顔を見合った。頭を振って動き出したのは師匠の方からだった。
「いや! 私たちは急いでいるので、大体のポイントでいいので教えていただけないでしょうか!?」
「俺が最後に見たのは馬屋の方だ。滑るから足元には気をつけて行くといい」
「お気遣いありがとうございます。馬屋、了解。情報に感謝します!」
お気遣いとは何だったのか、師匠は僕の手を取って走り出そうと身構えた。
「あ、待った、アリーちゃん」
「はい、何でしょう?」
「……頑張ってくれ。このままだと、部屋が陰気臭くてかなわないんだ」
「はぁ……わかりました」
僕はハンスさんの言っていた言葉の意味をよく分からずに返事をした。瞬間、じゃじゃ馬が2頭、馬屋へと向けて走り出した。満腹状態の駆け足は、お世辞にも美しいとはいえない声がたくさん出るものだった。




