44 【ブラックアウト】
聖都ヤシュロクの冬の朝は、まだ暗いうちから降り積もった雪をかき分けることから始まる。大人も子供もおじいちゃんもおばあちゃんも、皆、自分の家だけじゃなく、自分たちの家の前の道まで除雪作業をしてから、それぞれの生活に入るというのがこの町の慣わしとなっていた。
僕とシスター・マリアは別世界となった聖堂の裏の除雪作業に取りかからんとしていた。僕が手にしていたのは除雪用スコップで、すくう部分が通常のものよりも幅広くなっているものだった。これが何もせずとも重たいもので、張り切って雪をすくいすぎると重すぎて持ち上げられなくなるという、本末転倒な結果を招くものでもあった。
「これって、ひょっとして、雪が降る度に毎回やらなくちゃいけないんですか?」
寒さと眠気で震えあがりながら、僕の中では師匠と呼ばせてもらっているシスター・マリアに話しかけた。師匠は肉体労働のしやすいように髪型を1本結びに変えていた。髪を束ねる紐を花弁の形に結んでいて、その日も乙女として一切手を抜いていなかった。
師匠は僕の持っていたスコップとはまた違う除雪道具を手にしていた。その道具はなんといったらいいのか、小さな荷車の車輪の部分を取ったような、大量の雪を押しのける為だけにこの世に生まれてきたような、そんなデザインのアイテムだった。
「当たり前でしょう? このままでは井戸まで行けませんからね。さあさあ、口ではなく体を動かしなさいな、小鹿ちゃん。まずは……おりゃああああ!!!!」
師匠は一気に雪をかき分け、井戸へと続く山道の手前までの道を作り出した。後日、僕も同じことをやってみたけれど、あまりの重さで2歩で動けなくなったという、どうでもいいエピソードがあったりする。
「さあ!! 出番ですよ、小鹿ちゃん!!」
早朝から元気に手招きをする師匠を見て、僕は白いため息をついてから彼女のあとに続いた。
地獄はそこからが本番だった。雪で閉ざされた登山道を、スコップで少しずつかき分けながら井戸を目指す。こればかりは師匠のパワーではどうにもならない、大自然の暴力といって差し支えのないものを感じた。
僕がすくった雪を脇に寄せて道を作り出しては、師匠がすべり止め用の砂利を道に撒いたり、いきなり抱きついてきたり、雪玉を投げつけて来たり、脇に寄せた雪で坂を作って遊ぼう遊ぼうと騒ぎ立てたりして、もうしっちゃかめっちゃか。いつでも元気な人って、ちょっとだけ迷惑だったりするから僕は苦手だな、と思った。
師匠の邪魔8協力2ぐらいの割合のイベントをこなして、やっとのことで井戸にたどり着いたかと思えば、今度はそこで水汲みが始まる。その量はいつも決まって大きな水瓶2杯分だった。
「ところでこの水、何のために汲んでるんですか?」
「水なんて、いくらあったっていいんですよ。聖水やら、お砂糖作りやらで、たくさん使いますからね」
「オサトウ?」
当時の僕は砂糖というものを知らなかった。知らないままの方が幸せだったかもしれない。それほどまでに甘い魅力を持つ調味料。それが砂糖だった。
「お砂糖をご存じない? それだったら、ちょうどいいですね。これが終わったら、先生のお宅にお邪魔させてもらうことにしましょう」
「えっ、また?」
水晶を手に入れてから、3日と経っていなかった。ウーリール先生からは、首飾りが出来るまでしばらく待つように言われたばかりだった。
「ええ。聖堂の台所だと広すぎますし、私たちが個人的に使ってしまうと、他の方々の生活の妨げにもなってしまいますからね」
「さまたげ……」
「なんですかぁ、その顔は。何か文句でも?」
「いえ、別に……」
そこまで気が回せるのに、なぜ僕の雪かきの邪魔を散々してきたのかは聞けなかった。彼女の有無を言わせぬ独特の威圧感は不思議と嫌なものではなく、逆に癖になるような中毒性の高いものだった。
町はまだまだ雪かきの真っ最中だった。家々の屋根の上には、雪を地面に降ろす屈強な男たちの姿が見られた。
先生のお屋敷のあるエリアは上流層が住む2階建ての住宅が多かった。屋根から降ろされた雪が建物の1階以上の高さにまで積まれていたのを見て、僕は不思議に思った。
「皆さん、降ろした雪はどこに持っていかれるんですかね?」
「あるんですよ。専用の捨て川が」
「捨て川?」
「はい。そこにいる捨て人たちが集まった雪を川へと流し込むんです」
「それでその川は、どこまで流れてるんですか?」
「小鹿ちゃん……そんな攻撃、今すぐおやめなさい。お姉ちゃんだからって、何でも知っているわけじゃないんですからね!」
そう言ってマリアさんは可愛くむくれた。僕の口元が緩んだのは、ほんのひと時のことだった。不意に彼女の足が止まったからだった。
「……勇者様ですね。あなたよりも1日長く部屋に閉じこもっていたと聞いていたのですが……まぁ、今は平常心で参りましょう。他のシスターたちと同じく、彼とすれ違う時には最低限、一礼をしてください」
「あ……あ、あぁ……」
再会の時は突然訪れた。体中が熱くなりながらも、首筋には冷たい汗が流れた。道の先にいた勇者様の姿を一瞬だけ捉えて、軽いめまいを覚えた僕は地面を見つめた。
「落ち着いてください、小鹿ちゃん。返事は『はい』でしょう?」
「あ、あ、は、はは……」
「ダメだ、こりゃ。そうですねぇ……わかりました。いっそのこと、お辞儀はしなくて結構です。私の足元だけを見て、ついてきてください。天下無双の勇者様を、その辺の石ころと同じだと思って接してやりましょう」
「ええぇぇ」
「まぁったく……小鹿ちゃんなんだから!」
悪魔の産声のような音を喉から出すのが精いっぱいで他に何も考えられなかった。そんな情けない僕の手を取って、師匠は無理やり前へと進み始めた。
視線は真下。何度となく聞いた妖精銀の帷子が擦れる音と、幾度となく嗅いだハーブと土の入り混じった香りが近づいてきた。視界の端で見覚えのある茶色い靴が止まった。僕は息を吞み、師匠に手を引かれたまま、彼の横を素通りした。
そのまま息を止めながらウーリール先生の邸宅のある敷地に入った。マリアさんは塀で身を隠しながら勇者様の様子を覗き見ていた。
「……まだこっちを見てますねぇ。相当な未練を感じます。事情が事情とはいえ、今すぐあなたを抱きしめさえすれば、それで終わるというのに……小鹿ちゃん!?」
勇者様と会わなかった時間は、僕の中の恋という感情をどうにかさせていた。息を吸うことさえ忘れていた僕の視界はそこで真っ暗になった。




