41 教会
礼拝堂の正面には、僕とアリッサちゃんの2人でもすっぽりと入れそうな、大きな大きな丸い鏡が掲げられていた。
「これぐらい大人しい子供ならば、いつでも大歓迎なんだがな」
「本当、お利口な子もいるもんですね」
それまでバードさんの手を握りしめていたマイロ君は、関係者を呼びに行った彼の代わりに今はハンスさんの裾を掴んで離さなかった。甘えん坊な所もあるようだけど、そこいらの子供たちのようにまったく自己主張をしてこない不思議な男児に、僕の子供に対する苦手意識は働かなくなっていた。
「奥へは僕と勇者様だけで行ってくるから、アリッサちゃんは、ここで待っててね。こう見えてハンスさんって物知りだから、話してて暇はしないと思うよ」
「あ、ふぁい」
ここまでの道のりをきっちり並走してくれたアリッサちゃんは、少し緊張した声で答えた。
「ひとこと余計じゃないか?」
「どこがですか?」
軽口をたたき合っていると、礼拝堂の脇にある扉が開かれた。そこにはバードさんと、まつ毛の長い色白の中年女性の姿があった。その人こそが、勇者様の事実上の保護者でもあった修道院長のマザー・ミネルバだった。
バードさんと連れ立って歩いたマザーは口角を下げて、うつむきながら僕たちの所までやってきた。勇者様と僕の目の前で動きを止めた彼女は、誰とも目を合わせることもなく、眉間に力を入れて下の方を見たまま、堅く結んでいた唇を動かし始めた。
「この度は……」
「そんなそんな! 久しぶりに会えたのに、そんなことはしないでください、マザー」
早々に頭を下げてこようとしたマザーを止め、彼女にもっと違うことをしてほしかった僕は、言葉を選びながらそっちの方向へと話を誘導した。
「おかげさまで、ノト君も元気を取り戻してきました。マザー、どうか彼を抱きしめてあげてください。そしたら、もっと元気になれるかと思います。ノト君、マザーですよ?」
僕の誘導むなしく、マザーは悲痛な表情を浮かべると、その場で跪いて勇者様に祈りを捧げ始めた。
「ノト……ごめんなさい……」
祈りを終えたマザーは涙ながらに勇者様に謝罪をした。彼女の真意を知っている僕は、黙ってその様子を見守ることしかできなかった。
「……まざあ」
堂内に一瞬の騒めきが起こった。勇者様が自らの力でマザー・ミネルバへと手を伸ばしたからだった。
「ノト!」
目の前で愛の奇跡を起こされたマザーは、ようやく勇者様を抱きしめることができた。嬉しさと安堵と幸福感に包まれて、気付けば僕も涙を流していた。
「……よかったですね、ノト君」
「本当に、正しい心を持った人と巡り合えたのね。これで何も思い残すことはないわ。お待たせしました。どうぞ、奥へ」
せっかくの感動の場面なのに、マザーはすぐに厳格な仮面を被ってしまった。僕はなんだか申し訳ない気持ちになりながらも、仕方なく彼女の案内に従った。
お祈り、お祈り、お祈り、お祈り、お祈り、お祈り、お祈り、お祈り、お祈り、お祈り、お祈り。誰かと廊下ですれ違う度に発生する、勇者様へのお祈りで大変な時間を食ってしまった。お昼の鐘が鳴らされようと、僕のお腹が鳴ろうと、関係なくお祈り攻撃は仕掛けられる。これだから、教会関係者の自宅への訪問は禁止にさせてもらっている。僕だって意外と忙しいんだから、お祈りだけで1日の時間をそんなに使っていられない。
やっとのことで廊下の一番奥にまで突き当たることができた僕たちは、覗き窓付きの古めかしい両開きのドアの前にたどり着いた。
「ミネルバです。ノト様とアリー様をお連れしました」
マザーが呼びかけても何の応答もなかった。その代わりにドアが少しだけ開かれた。どうやらそれが返事だったらしく、マザーはドアを完全に開ききって僕たちを中へと誘った。
通された部屋には顔面蒼白状態のシスター・エラ、司祭、それから神父が3人いた。これだけの人数が全員で立って待っていたようだった。僕が考えていたよりもずっと、相手側にとっては深刻な問題だったのがそれだけでわかってしまった。
マザー・ミネルバがきびきびとした動きで相手陣営の方へと移動すると、室内の時間が流れ始めた。
「この度は大変申し訳ございませんでした」
司祭様が頭下げると、全員が申し訳ございませんでしたの大合唱。僕よりも何まわりも年上で重要な役職に就いた人たちが謝ってきた。すっかり参ってしまった僕は、状況をどうにか柔らかくするために行動を起こした。
「どうか、頭を上げてください。そんなに深刻に考えないで、大丈夫ですから。全然、怒ってないんで。ノト君も、そんなことは望んでいません。マザーも、どうかお願いします。頭を上げてください」
逆に僕の方が頭を下げる勢いで、事態の軽量化を推し進めた。顔を上げた司祭様は反省の弁を続けた。
「ひとつの過ちを赦すと、そこからすべてがなし崩しになる。ハンス様が仰られていた通り、今回の件につきましては、言語道断の罪深き行為であったと、我々一同、心より反省しております。申し訳ございませんでした」
あの男……やりやがった。さては言葉の強い親方状態のままで報告したな。僕はこの問題を人任せにしてしまった自分のことを棚に上げて、ここからハンスさんにすべての罪を擦り付けることが出来やしないかをちょっとだけ真剣に考えた。
「頭を上げてください」
必要以上に謝りたい教会関係者と、必要以上に謝られたくない僕の不毛なやり取りは、少しの間だけ続いた。
お互いにとってまったく得にならない時間をなんとか乗り越えて、状況は約束事を破ってしまったシスター・エラに対する罰則の話になった。
「……精霊様の教義としましては、我々側で彼女を罰することはできません」
「そうですね。再発にだけ気を付けれてもらえれば、僕たちとしてもそれで十分だと思います」
精霊様の教えというのはありすぎるぐらいにたくさんある。その中でも1番大切にしている教えは『愛』と『許し』だ。教会側の言い分に微塵の不満も感じなかった僕は、このまま波風立てずに事態が収束してくれればそれで良かった。だけど司祭様は、一本気な気質を持った御人であらせられた。
「しかし! 今回の件につきましては教義とは関係なく、人と人との信頼関係を裏切ったエラには、我々が出来る唯一無二の処分を下そうかと考えております。もちろん、私や院長も責任者として同じ処分を受けようかと」
「……と、言いますと?」
いちいち難しい言い回しをしてくる司祭様に、僕は説明の要約を求めた。
「我々全員、破門処分となります」
「それはダメ! 絶対! やめてください!」
教会に所属している人間が破門になるというのは、人としての尊厳というものを完全に失い、お葬式すらしてもらえなくなるということだ。そういった生活環境を少しだけ経験してきている僕は、その恐ろしさを何も知らない司祭様を必死で止めた。
「司祭様、落ち着いてください! 罰則の話は、本当にもういいですから! 無かったことにしましょう! そうですね……まず、神父様たちは外へ!」
このままではマズいと思った僕は、時間をかけて司祭様とマザーの説得をする覚悟を決めた。
「しかし」
「いいですから!」
僕はドアを開けて、3人の神父たちが退室して廊下の先まで歩いていくのを見届けるまで、その場所を動かなかった。
「……それとですね、さっきからどうにも具合が悪そうなので、シスターもどうぞ、ご退室ください。お大事に」
シスター・エラの退室のタイミングをずらしたのは、本当にショックを受けている様子の彼女が、これ以上説教とかで精神的に追いつめられないようにするためだった。彼女はフラフラとした足取りでドアをくぐっていった。
きっちりとドアを閉めた僕は、高位の聖職者2人を相手に魂の説得を始めた。全員が部屋を出られるようになった時には夕方になってしまっていたけれど、その時にはお互いに爽やかな顔でハグが出来るくらいの仲にはなっていた。




