37 【メガネ】
「素晴らしい……」
洞窟に入ると、ウーリール先生は見た目に反したロマンチストな一面を覗かせた。足を止めて星空のように輝く天井に見入っていた彼に、僕は率直に疑問を尋ねた。
「これ、なんで光っているんですか?」
「詳しく調べてみないとわかりませんが、おそらく光で獲物をおびき寄せているんじゃないかなぁ……」
先生は途中から洗練した言葉遣いを忘れるほどに、洞窟の内部の様子に熱中しているようだった。少年のような純粋さの中に年上男性の持つ安心感と色気を含んだ彼の声色は、聞いていた僕の背筋をゾクゾクとさせてきた。
「ヴォエ! くっさ!」
一方マリアさんは、超現実主義のリアクションをみせた。だけど彼女の言う通り、洞窟の中は独特の匂いが立ち込めていた。それは例えるとしたら、濡れたヤギの群れと森全体を燻した匂いを合わせたような、嗅ぐだけで落ち着かない気持ちにさせられる、そんな匂いだった。僕は再び先生に質問をした。
「この匂いの正体は何でしょう?」
「それもおそらくですけど、そこら中にいる虫たちが、外敵から身を守るために発しているガスの匂いでしょう」
僕はペンダントの光を洞窟の壁面に向けた。入り口ほどではなかったけれど、壁にはそこかしこに長い足をたくさん生やした虫たちが這っていた。
「うぇぇ……こんなのを食べるヤツがいるってことですか?」
水の滴る音がかすかに反響する空間の中で、マリアさんが先生の腕に絡みつきながら身を震わせた。
「そういう事になるね。ガスにどんな成分があるかもわからないし、長居は無用だ。先を急ぐことにしよう」
「先生が最初に足を止めたんじゃないですかぁ~」
「ははは、すまない。初めて見るものばかりだから、つい」
マリアさんと先生は隙さえあればすぐにイチャイチャする、とても仲のいい人たちだった。僕は2人に負けないぐらい勇者様とむつみ合っている自分の姿を想像しながら、洞窟の奥へと足を進めていった。
花のような形をした光るキノコ、赤や黄色に光る羽虫たち、壁と同じ体の色をした平べったいカエル、虫を捕食するシダ植物、小さな球体を連ねて天井からぶら下がっている謎の植物。洞窟は進めば進むほど、見たことのないものでいっぱいになっていった。
ところが突然、視界の先に見慣れた色の植物が群生する景色が見えてきた。天井から日の光が差し込んでいるその場所に足を踏み入れる前に、ウーリール先生が何かを警戒したかのように足を止めた。僕も彼を習って歩くのをやめた。けれど1人だけ、ジメジメとした環境を嫌う元気な人が、光を求める虫のようにその場所へと走り出してしまった。
「うおおおお!! 太陽、うおおおおお!!!!」
「マリア!! ダメだ!!」
マリアさんの足は速かった。彼女を追ったウーリール先生の足はもっと速かった。マリアさんが光の差す緑地帯に入る直前に、先生は彼女をとっ捕まえることに成功していた。
やっとのことで2人に追いつくと、どこから現れたのか、目の前にある緑地帯に大きな白い蛇が佇んでいて僕たちをじっと見つめていた。
「にゃ、にゃにゃ、にゃ!?」
突然の大蛇の登場に、マリアさんは驚きすぎて腰を抜かしていた。彼女と僕に背を向けて、まともに大蛇に対峙したのは先生だけだった。
あれだけ大きかった先生の巨体が小さく見えた。僕やマリアさんぐらいだったら、ひと飲みしてしまいそうなほどに大きな白蛇は、シュルシュルと音を出しながら舌を出したり引っ込めたりして、目を真っ赤に光らせて、品定めするように先生を見下ろしていた。
「レ・タファ・シェイアン……」
先生が呪文を詠唱すると耳鳴りのような、ブーンという低い音が聞こえた。それ以外に変わったことは起きなかった。先生はそのまま、よくわからない言語を蛇に向かって話し始めた。
「ハルアンキノ、シダリ、イラマカン、ウジュド、キリスタリィ?」
先生の言葉を聞いた大蛇は舌の動きをピタリと止めると、洞窟の奥へと続いているいくつかの空洞の中のひとつを選んで、ゆっくりとその先へ這っていった。何が起きたのかよくわからなかったけれど、いきなりあらわれた窮地はいきなり事なきを得ることができた。
「なんか……あの蛇と何かを喋ってませんでしたか?」
僕は見た場面をそのまま口にした。耳鳴りのような音はもう聞こえなくなっていた。
「ええ。竜語を少々」
「竜!? 蛇だったのに!?」
マリアさんは腰を抜かしながら当然のツッコミを入れた。先生は笑いながら、地面にお尻をつけたままでいた彼女の体を起こしあげて答えた。
「脳がある相手だったからね。一か八か、試してみたんだ。おかげで、ここの生態系に大きな影響を与えずに済んで良かった」
僕の目には先生の行動に余裕があったように見えたけど、真相は結構な博打行為だったらしい。僕はその賭けに失敗していた場合のことを考えてゾッとしながらも、会話の内容について好奇心をそそられた。
「ちなみに、なんて言ったんですか?」
「水晶のある場所まで案内してくれないかと、丁寧にお願いしました。おそらく彼女の後を追えば、目的の場所にたどり着けるかと」
「なんで竜語なんて知ってるんですか?」
「一応、学者ですから」
この人、一体何の学者なんだろう。マリアさんより足も速ければ、魔法も使えて、大蛇と話すこともできる。あまりにも万能すぎる学者先生の能力に、僕は緊張感を失いそうになっていた。
水晶のある場所は、床も壁も天井も塩のように純白に輝いていた。とぐろを巻いて待っていた大蛇は、息をつく暇もなくパッと先生のところまで近付いてきた。
「ありがとう」
先生がお礼を言うと、大蛇は彼の身体に自分の胴体を擦りつけながら来た道を戻っていった。出会った時はあんなに恐ろしかった存在が、鱗の1枚1枚が確認できるくらい近い距離で見てみると、なかなかキュートに感じられた。
「さて……」
大蛇を見送った直後、先生は周囲を見回した。純白で覆われた空間の中には青、赤、紫、緑、黄色。様々な色と大きさをした水晶の塊があちこちから突き出ていた。
「綺麗ですねぇ……小鹿ちゃん的には、どの色がお気に入りですか?」
「う~ん……」
僕は勇者様に似合う色がどの色なのかを真剣に考えた。落ち着いた雰囲気と理性をイメージできる青も良いし、のほほんとした癒し系の緑色も捨てがたい。赤と紫は無いかな。僕のわがままを受け入れてくれる、太陽のような温かさを持つ人という意味では黄色もなかなか良さそう。どれがいいだろうか。いっぺんに持っていって、帰ってからゆっくり選んではいけないのだろうか。色々考えすぎて、答えはなかなか出なかった。
「残念ながら色は決まっているんだ。不純物の少ない、無色透明のものじゃないと最大の効果が出ないからね」
「無色透明……」
「お気に召しませんか?」
「いえ、とってもいいと思います!」
透明とは盲点だった。何色にでも染まる、無垢な色。まさしく勇者様にはピッタリの色だと思えた。
「それでは透明なものを探しましょう。サイズはどれくらいあれば、よろしいんでしょうか?」
マリアさんの質問に、先生は親指と人差し指の間を少しだけ離しながら答えた。
「首飾りにするからね。あまり大きくなくていい。これぐらいあれば十分……ちょうど、あそこにあるものが良さそうだ」
先生は突き出した他の水晶を軽やかに避けながら、濡れた地面を滑るように歩いて奥へと進んでいった。僕とマリアさんは転ばないように慎重に彼のあとを追いかけた。
僕たちが追い付く前に、先生は気泡ひとつ入っていない、壁からせり出した無色透明の水晶の塊に手を伸ばした。
「失礼します……ん?」
突如として先生の足元から長い骨のような何かが生えてきた。それは先生の大きな身体に絡みつきながら全身を現した。
長い骨の正体は先生の身長の3倍はある、巨大なムカデの骨格だけを象った怪物だった。怪物に絡みつかれた先生は、その巨体を空中で逆さに吊られてしまっていた。
「しまったぁぁ!! メガネがぁぁ!!」
身体を拘束された先生の第一声は『痛い』とか『助けてくれ』とかではなく、絡めとられた勢いで地面に落ちたメガネのことだった。
「先生ぇぇぇ!!!?」
マリアさんが叫んでから0秒のことだった。本当の本当に1秒も経っていなかったと思う。彼女は雷よりも速く動いて、巨大骨ムカデのところに向かうと宙を舞って超高速回転の蹴りを入れた。その威力たるや、怪物の骨を軽々と粉砕するほどのものだった。
「テメェェ!!」
見事な着地を決めたマリアさんの怒りは、先生を救出しても鎮まらなかった。
「ちょ、マリア!! 待った!!」
拘束から解放された先生は地面に落ちていたメガネを手繰り寄せつつ、マリアさんを制した。
「ん゛んんんん!!!!」
マリアさんは怪物を睨みつけながら、声にならない声をあげて威嚇した。胴体を真っ二つにされて半分の長さになった怪物は、どちらもうねうねと動いてはいたけれど、その動きはどこか怯えているようにも見えた。
「あぁ……可哀そうに。アライヴァウム・ウェラオダト」
先生が呪文を唱えると、ふたつに分かれていた怪物があっという間にくっついて元の姿に戻ってしまった。
「ちょっと!! 何やってるんですか、先生!?」
「言ったじゃないか。なるべく、ここの生態系に影響を与えたくないんだ。ほら、もうお行き。寝ているところを驚かせて、すまなかったね」
優しく言葉をかけられた怪物は、素直に先生の言うことに従って洞窟の奥へと姿を消していった。
獣使いの僕の目から見て、それは神業というより他ない光景だった。相手が獣だったら訓練次第である程度そういう事は出来る。ものすごく才能のある人だったら、初めて会う野生の獣でも意思疎通ができる人もいるにはいる。けれど虫というか、生命があるかもわからない骨の怪物を相手にそんなことが出来る人なんて、見たことも聞いたこともなかった。僕は改めて世界の広さというものを感じた。
「ふぅ……それでは改めて。失礼します」
先生は呼吸を整えると、壁から突き出た無色透明の水晶を手に取った。
「さあ帰ろう。これ以上いると、探求心が抑えられなくなりそうだ」
結局、僕自身は何かをすることもなく、目的の水晶を手に入れることが出来た。何もしていないはずなのに、心も体もなぜかとても疲れていた。その疲労感は、井戸の水汲みをした方が遥かにマシと思えるほど重たいものだった。




