36 【蟲と魔法とラブラブカップル】
そこは洞窟の入り口というよりも、人の手によって真っすぐに整えられた一枚岩の壁だった。封印された扉の場所は、すぐにわかった。四角く縁取られた岩壁の中に、明らかに色の違う石材がはめ込まれていたからだった。
岩壁と石材との間は髪の毛1本も通さないほどに、ぴっちりとくっついていた。他に変わったところといえば、教会のシンボルでもある丸い鏡のマークが扉の上部に刻まれているだけで、取っ手どころか手をかけられそうな窪みさえ見当たらなかった。
果たしてこれを扉と呼んでいいのか。そんな僕の疑問はどうでもよいと言わんばかりに、封印解除に挑戦したのはマリアさんだった。そんなことをしても無駄だし、しなくていいのはわかっていたはずなのに、僕もウーリール先生も彼女を止められなかった。常に元気なマリアさんは、ある意味で僕たちを魅了していたのかもしれない。
岩壁の背後にある針葉樹で茂った森の中からは冷たい風が吹き、霜柱も溶けきった足元のコンディションは決して良いものではなかった。それでもマリアさんは何度も何度も、封印された扉に向かって怒涛の蹴りを繰り出し続けていた。
「チッ……いい加減くたばりやがれぇぇ!! このクソババアァァァ!!!!」
最終的に彼女が誰の幻影を見ていたのかまでは、僕にはわからなかった。マリアさんは封印の扉に対して、魔王よりも厳つい顔をさせて暴言を浴びせながら高速の蹴りの連撃をお見舞いした。この時の彼女は本当にすごくて、左、右、後ろ回し蹴り、という連続技を決める間に1度たりとも地面に足をつけることがなかった。だけど肝心の扉の方はビクともせず。世の中、元気だけでは乗り越えられない壁がある。残念だったけど、現実を受け止めるしかなかった。
「はぁ……はぁ……」
もしも、闘志というものが目に見えたのならば、彼女の呼吸に合わせて、それは徐々に小さくなっていったんじゃないだろうか。修道女という生き方はストレスが溜まりそうだなと、僕は先の生活に不安を感じずにはいられなかった。
「先生、どうやら私は『清らかな乙女』じゃないみたいです」
「マリア……」
ウーリール先生は悲痛な表情を浮かべて、意気消沈した婚約者の背中を見るばかりだった。
「だから……私を穢した責任、とってくださいね?」
振り返ったマリアさんの顔には、いつもの可愛いらしい笑顔が戻っていた。彼女はそのままウーリール先生のところまで走ってくると、彼にしがみついて喉を鳴らして甘え始めた。
「あの……まあ、それは、あとでのお楽しみにするとして。アリーさん、お願いします」
「は、はいっ」
僕は緊張しつつ扉の前に進み出た。先ほどマリアさんが言っていたように、この扉の封印は『清らかな乙女』でなければ解けない。清らかな乙女というのは、そういう事を一切経験していない未婚の女性のことだ。聖都で立派にお務めを果たしているシスターたちではなく、聖堂にも教会にもそんなに縁のない僕がその条件を満たしているというのも、なかなかに感慨深いものがあった。
「……それで、僕は何をすれば?」
「扉の部分に手を当てるだけで、大丈夫なはずです」
小脇で自分の女を慰めながら、先生は簡単に説明をしてきた。僕は悔しいような惨めなような、モヤモヤした気持ちで扉に手のひらを当てた。
すると、色の違っていた扉の部分がゴリゴリと石臼で何かを挽いている時のような音と共に、地面と同じ高さにまで下がった。あっさりと扉の封印は解かれ、洞窟の中が見えるようになった。
洞窟はまず最初に、長い足がたくさんついた小さな虫が無数にひっくり返っている光景を僕たちに見せつけてきた。
「う……げぇ……」
虫が苦手なのか、マリアさんはくぐもった声を出した。
「どうやら死んではいないらしい。誰かさんの大声か、蹴りによってもたらされた衝撃音に驚いて気を失っているみたいだ」
「それって、私へのクレームですか?」
「……何を言ってるんだ、マリア……いいかい、マリア? あぁ、マリア……もし君が扉に蹴りを入れていなかったら、これらが一斉に外に這い出てきていたかもしれないんだよ? だから私は、君の働きがとても素晴らしいものだったということを言いたかったんだ」
ウーリール先生は危機回避能力が高かった。答えるまでに若干の間と無駄な名前の連呼はあったけど、彼は見事な言い回しでマリアさんの荒みかけた心を優しく包み込んだ。
「偉いですか? 撫でてもいいですよ?」
「今はほら……ね? 我慢してもらって。さて、封印さえ解かれてしまえば、洞窟の中には誰でも入れるようだ。水晶は私が採ってくるとしよう。2人はここで待っていてもらえるかな?」
「それじゃあ、意味がねぇんですよ! テーマは『愛を取り戻せ』なんですから! 私たちも行きます! ねっ!?」
そう言われても、テーマも初耳だったし、なぜ先生に採ってきてもらうのがダメなのか、僕にはよくわからなかった。聞きたいことはいくつかあったけれど、理由次第ではわざわざ危険そうな所に行く必要もないかなと思った僕は、先生に対して質問をしてみた。
「ちなみに、水晶って何のために必要なんですか?」
「勇者様に贈る首飾りの材料にします」
「え~……その首飾りって、どれくらい重要なものなんですか?」
「私とマリアの考えが正しければ、最重要と言ってもよろしいかと」
そう言われると、ここで待っているだけというのもなんだか違う気がしてきた。他にも何か判断材料になりそうな質問をできないかと考えていると、マリアさんが決定的な言葉をかけてくれた。
「小鹿ちゃん? その首飾りを彼にプレゼントするのは、あなたなんですからね?」
「やります! 行きます!」
要するに、これから採りに行く水晶は勇者様と復縁をする為に必要になる。そう解釈した僕は、だったらなるべくいいものを自分の目で選びたいと思って即答した。
「それでは……2人とも、なるべく私から離れないように。アリーさん、申し訳ありませんが、洞窟内ではこれを身につけてもらえますか?」
先生は懐から青い石の付いたペンダントを取り出して、それを僕に渡してきた。
「これは?」
「ランタン代わりに使えるものです。私の父が作ったものでして、青い石の部分が暗闇の中で緑色に発光します」
「へぇ~」
僕は世にも珍しい特性を持ったペンダントを眺めた。特にこれといった装飾は施されていない、銀のチェーンで繋げられたシンプルな作りをしたものだった。言われた通り、僕はそのペンダントを首にかけた。ずっと様子を見ていてくれた先生が、いよいよ出発の声かけを始めた。
「それでは参りましょう」
「せ、先生。私、ここ、歩きたくないですぅ~」
のっけからマリアさんがそう言い出すのも無理はなかった。気絶しているとはいえ、地面に密集している虫の大群は見ていて気分のいいものではなかったし、踏み潰さないと進めないほどに隙間がなかった。
「わかったよ、マリア……アリフォ・タハブ・ミン・フィラリ」
先生が呪文を唱えると、森から抜けていた冷たい風が一気に洞窟の奥にまで流れた。一瞬でその風が止むと、地面でひっくり返っていた虫たちが均等に左右に寄せられ、歩くための道が姿を現した。
「さすがです、先生!」
「ま……魔法が、使えたんですか?」
衝撃の事実だった。生まれて初めて出会った魔法使いは、なんと男の人だった。
「そりゃ使えますよ! なにせ、先生ですからね!」
「魔女の扱うものと比べれば、子供だましみたいなものですが、一応は学者のはしくれですから」
説明になっていない説明を受けた僕の本能は、この2人だけは確実にハンスさんより強いぞと言っていた。




