16 ブドウ園の若妻
「やだっ!!」
勇者様の膝に座ることを希望するマーちゃんは、ハンスさんの腕の中で激しく暴れまわっていた。僕は勇者様の乗る車椅子を慎重に押しながら久しぶりに間近で見るバハティエの風景を楽しむことによって、どうにも具合の悪い気持ちをごまかしながらブドウ園を目指していた。
「好かれる人間には異常なまでに好かれる性分は変わってないようだな……おっと」
マーちゃんの荒々しい動きに柔軟な対応をするハンスさんが勇者様の人柄を言い表した。
「そうなんですよねぇ……」
実のところをいうと、勇者様は特殊なモテ方をされる御方だ。そんな彼に無条件で色目を使ってきたのは、各地の教会にいた若い修道女たちだった。彼女たちが勇者様と二言三言交わしながら新しい聖水を瓶に入れて渡していた時のあの目、あの手つき。僕はまだあいつらを許していない。わざとらしく勇者様に触れたその手と指で、お前たちはその晩どこを触ったんだ!! と、問い詰めたいぐらいには恨みに思っている。
それとは別に、勇者様はひと回りぐらい年の離れたお姉さま方に囲まれがちでもあった。彼女たちの場合は修道女たちと違ってもっと明るい、オープンなスケベ目的が多かった。あいつらはあいつらで勇者様の腕とか肩とか胸とか頬とか、勝手にメチャクチャに触ってた。もみくちゃにされても文句ひとつ言わない優しい勇者様は飢えた集団にとっては格好の餌食。僕が無理やり割って入って止めなければ危ない時だってあった。怖かったけど命がけで守らせてもらった。集団なんて本当、暴走したら終わりだから。
子供なんてのは一度でも勇者様とふれあったらもうおしまい。男の子だったら彼の並外れた身体能力に羨望の眼差しを送るようになり、女の子だったら彼の懐の深さに溺れる。お世話になった集落を離れる時、勇者様に懐いた子供が別れを惜しんで泣き出してしまうなんてことも珍しくなかった。
「それにしても驚いた。まさか、アリーちゃんが子供が苦手だったとは」
「苦手というか……どう接したらいいのか、よくわからなくて」
僕は12の時に故郷の村を焼かれ、その時に両親を失っている。両親を失ってから勇者様に拾われるまでの5年間、普通の女として生きるだけであれば見なくていいものを見すぎたせいか、自分の両親についての記憶というものがさっぱり抜け落ちていた。自分がどう親に愛されて育ったのか、ほとんど思い出せない僕は子供との正しいふれあい方がわからない。正直、親のいる子供という存在に対して嫉妬の気持ちもあった。
「子供の予定はないということかな?」
「……追々ですね。今は自分たちの生活のことで精いっぱいですから」
僕はその話題からいつものように逃げるのであった。
ブドウ園を営む夫婦の暮らす家は少し変わった家庭だ。なにせ夫が3回、妻が4回変わって、最初に生まれた子供が赤の他人同然の大人によって育てられているという特殊な環境なのだから。
「あれぇ!? 珍しいねぇ、こんな所まで大変だったでしょう。どうしたの?」
家の中から出てきて僕に話しかけてきたのは、ブレンダさんほどではないけれど、ふくよかで体格のいい若い女の人だった。この人が今の奥さんで名前はセルマさん。とても明るくて今時の感性を持つ人だ。
「マーちゃんを届けに来ました」
「えぇ!? あの子ったら……また行っちゃったの!? あら、ハンスさん。お久しぶりです。相変わらずハンサムですわね」
セルマさんはジタバタ暴れるマーちゃんの身柄を無言で引き渡したハンスさんに熱い視線を投げた。家の中からはお祭り以上に騒がしい声が漏れ出ていた。
「このバカ!! 昨日あれだけ叱っても、全然言うこと聞かないんだから!! ……ごめんねぇ?」
「いえいえ。旦那さんと息子さんたちはもうお仕事ですか?」
「ああ、さっき剪定に向かったよ。それより、せっかくこうしてここまで来てくれたんだ。うるさいけど、中に入ってお茶でも飲んでいかない?」
「いやぁ、ごめんなさい。そうしたいのは山々なんですけど、これからお客さんを出迎える予定がありまして」
「そうなの? 久しぶりにノトの顔も見れたっていうのに、それは残念だね。本当は私の方から行きたいんだけど、子供たちの世話に追われてなかなかねぇ……」
セルマさんの見せた残念そうな顔に心苦しさを覚えた僕はすぐに代替え案を思い付いた。
「あの、本当にごめんなさい。聖夜祭の日には僕たちも教会に行く予定なので、その時にまたゆっくりお話ししましょう。今日のところは、代わりにこの人を置いていきますから」
「……はあ!?」
「まぁハンスさん。どうぞ中に入って? うちの聞かずたちで良ければ、どれでも好きな子をあげる。あなたみたいなハンサムだったら全員持ってってもいいわ、本当に!!」
「ぐっ!? なんてことだ。俺が力負けするなんて……」
歴戦の冒険者はムチムチとした剛腕によって建物の中に引きずり込まれていった。ありがとう、そしてさらば戦友。軽はずみに結婚したいなんていうあなたは、結婚後の女がいかにタフで怖ろしいものかを学ばなければならない。
「あん……」
勇者様が右手を微かに動かしてハンスさんを見送った。僕は快方に向かう彼の体調に明るいものを感じながら来た道を戻った。
その日、手伝いに来てくれたのはフォリアさんでもブレンダさんでもなかった。
「あの……心配、しました。その……大丈夫、でしょうか?」
ウサギ小屋の前で待っていたその少女は、オドオドとした態度で僕たちを迎えた。肩まで伸ばした縮れたくせ毛とそばかすがとても可愛らしい。ちょっとだけ眼光が鋭いのは不機嫌なわけではなく、生まれつき視力が悪いせいだ。
「ごめんね、アリッサちゃん。ちょっとした野暮用で。待った?」
「いえ、その……ウサギを、見てましたから……ノト様は大丈夫ですか!?」
突然声のボリュームがおかしくなるアリッサちゃんは熱心な勇者様ファンで、フォリアさんのところで住み込みで弟子をしている14歳の女の子だ。もともとは3人いたはずのフォリアさんの弟子は、彼女以外全員が逃げ出したらしい。面倒見のいいフォリアさんから逃げ出すなんて僕には信じられないことだけど、もっと別のところにその理由があるのかもしれない。
「あっはっは、大丈夫だよ。ノト君はお外が好きだから。今日はフォリアさん、忙しいんだ?」
「あ、ふぁい……その、先生の所に、薬を卸しに……」
「あぁ~、そっか。今日は週の初めだもんね?」
「ふぁい……」
ちょっと緊張しやすい所もあるけど、彼女はこう見えて超優秀だ。勇者様のファンを公言していても、決して性的な目で彼を見ることはなく、純粋に憧れと尊敬の念を持ってきちんと丁寧にお世話をしてくれる。村の外から来た子で、そういう意味で同じ境遇の僕は彼女と仲良くなりたいと思っている。お互いに人見知りな所があって、出会って半年以上経った今でもなかなか実現できないでいるけど。
「寒かったでしょう? 中に入ろっか」
「あ、ありがとう、ございます……」
ウサギ小屋を通り抜け、律儀に待っていた彼女を家の中へと誘った。家の中は外よりもキンキンに冷え込んでいた。




