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僕だけの勇者様  作者: ふるみ あまた


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13 【アルハギク・アルハギト】

 

 岬の向こう側で僕が目にしたのはそれまでとは全然違う、暗闇の中でくすんだ青色の霧が漂う世界だった。


「魔石の場所までは俺が。ノト、今から詠唱を始めちまえ」

「うん。アリー、悪いんだけど、なるべくボクとハンス君の間にいてくれる?」


 状況の分からない僕は言葉は出さず、ただ首を縦に振った。


「ハンス君」


 勇者様が取り出したのは、僕がフレディ君に噛まれた時にかけられた透明な液体の入った瓶だった。ハンスさんは瓶を受け取ると持っていた槍の先に慎重に中身を振りかけた。


「……すまん」


 勇者様は静かに首を横に振ってハンスさんに返された瓶を道具袋の中にしまい込んだ。立て続けに火の灯ったランタンを僕に手渡すと、勇者様は聞いたこともない言葉を紡ぎ始めた。


「ルフ、アフニョール、クォエタ……」


 ハンスさんが先陣を切って歩き始めた。どうしていいのかわからず、その場で直立したままの僕の肩に柔らかい手が乗せられた。見上げると勇者様が穏やかに微笑んでいて、ハンスさんの後に続くように促してくれた。


「ルフ、ミンファドリク、ダハ、カタヤーナ……」


 ハンスさんの後を追うと、後ろから勇者様の声が聞こえた。僕はランタンがなるべく彼の足元を照らすように下の方に持ち直した。


「アーティアダミ、マーダミ……」

「ひっ!?」


 暗闇から真っ黒なものが伸びてきて僕の手を掴もうとした。それが何なのか僕にはよくわかった。焼かれる前は人間だった者の手だ。


 煤だらけの手は僕を掴む前に勇者様の斧によって叩き落とされた。振り返ると勇者様は僕に笑いかけながら動きだけでランタンをもっと上の方で持つように伝えてきた。再びランタンを持ち直した僕は少し離れてしまったハンスさんを追った。


「クォアト、タティリ……」


 僕たちと距離を開けていたハンスさんは無数の黒い蛇に囲まれていた。しかし彼は電光石火の槍捌きであっという間に蛇の群れを退けてしまった。


「遅いぞ。魔石はこれだ」

「ユールジャ、アタ……」

「ちょうど詠唱も終わったようだな。後は頼んだ」


 僕たちの足元で無造作に転がっていたこぶし大の石は何とも言えないものだった。石炭のようにも見えるし、言われれば禍々しくも見える。でも僕の目から見れば『魔石』と呼ばれたその石はごく普通の、ありふれた黒い石にしか見えなかった。


 言葉を紡ぎ終えた勇者様は手袋を外し、魔石の前で片膝をつきながら道具袋から聖水と一枚のボロを取り出して地面に置いた。そのまま彼は腰に携えていたナイフを右手で抜くと、露わになった刃を左手で握りしめた。


「えっ!?」

「黙ってな」


 そう言われても二の句なんてなかった。当然、勇者様の手は血だらけ。ショッキングな光景を見た僕は足の力が抜けて気を失いそうになった。


「目を背けるな。あれが勇者にしか出来ない聖なる魔法だ」


 ハンスさんの解説なんか、ほとんど耳に入らなかった。僕は勝手に荒くなる呼吸をなんとか整えようとしながら勇者様が起こす奇跡を目の当たりにすることになった。


 勇者様はその尊い血を魔石に滴らせ、ゆっくりと口を開いた。


「……アルハギク・アルハギト」


 一瞬の出来事だった。周囲を包んでいた闇と霧が晴れ、世界が元の姿を取り戻した。僕たちがいたのは湖の岸辺だった。河口に流れ込む川を隔てた所に小さな漁村があった。けれど僕は目の前の1人の男の背中に夢中になっていた。


「ぐっ……」


 ボロをくわえて痛みに耐えながら聖水で血を洗い流す勇者様の姿を見た僕は、気が付くと彼の背中を抱きしめていた。


「ノト君……」


 僕は泣いていた。なぜだかわからないけど、初めてその力を見た僕は悲しくて仕方がなかった。


「アリー……怖かったでしょう? 大丈夫だった?」


 勇者様はいつも僕の事ばかり心配してくれた。僕は言葉に出来ない思いを両方の腕に強く込めた。




 その日、僕たち3人は漁村にあった教会のお世話になることになった。小さな窓が付けられたほの暗い部屋の中で、ハンスさんが色々な説明をしてくれた。


 魔王の作り出した魔石と呼ばれるものが瘴気を起こすこと。魔石は勇者様の聖なる魔法でなれければ壊せないということ。魔石を生み出した魔王もまた、勇者様の御力でなければ討伐が出来ないということ。


 ハンスさんは他にも話してくれてたような気もするけど、僕の気持ちはそれどころじゃなかった。その3つの説明を聞いただけで僕は精霊様のことが大嫌いになっていた。なぜ、どうして、こんなにも優しい人が血を流さなければならないのか。精霊様が勇者様に与えた使命が残酷すぎて、僕の心は怒りに燃えていた。




「……長々と説明したが、結局は勇者が魔王を倒せばすべてが終わる。魔石の力の根源は魔王にあるからな。ノト、これからどうするんだ?」

「聖都に行こうと思ってる。魔王はそれから」


 前に勢い余っていってしまったことがあったかもしれないけど、この時の勇者様は僕を聖都の修道院にぶち込もうとしている。身寄りもなかったし、よく考えたら当たり前なんだけど、彼は目的地に着くまで何の説明もしてくれなかった。


「……そうか。明日、天候が良ければ漁師が船を出してくれることになっている。一緒に行くだろう?」

「うん」


 勇者様との2人旅を希望する僕は心に抱える怒りも手伝って嫌な顔を隠さなかった。その日だって、知らない殿方と同じ部屋で一晩過ごすなんていうはしたない真似はしたくなかったし、平たい話、ハンスさんには部屋から出て行ってほしかった。


「そう怖い顔しないでくれ、アリーちゃん。俺だって横になって眠るのは久しぶりなんだ。船を降りたら俺は別行動をさせてもらうし、聖都はまだまだ遠い。今日だけ我慢してくれ」


 ハンスさんはベッドで横になるとすぐに寝息を立て始めた。横になって眠るのは本当に久しぶりだったらしい。


 僕はため息をついてから聖水をしみこませたボロがグルグルに巻かれた勇者様の左手を見た。見れば見るほど理不尽な現実に腹が立った。


「ありがとう、ハンス君……でも、どこに行く気なんだろう?」

「心配、ですか?」

「うん。ハンス君はボクが困ってるときにいつも助けてくれるんだ。何かお返しをさせてほしいって言っても、何もいらないって……」


 勇者様は寂しそうにハンスさんを見つめた。


「……そっちに行ってもいいですか?」

「いいけど、狭いよ?」


 狭いからいいんでしょうが。僕は遠慮なく勇者様の座るベッドに移動して彼との距離を詰めた。


「手、大丈夫ですか?」

「大丈夫。ボクは昔から傷の治りが早いから」

「そんなことって、あるんですか?」

「うん。院長さんや、村の人たちが言うには子供の時から病気のひとつもしなかったって。ボクが生まれた年に村で流行り病があっても、何事もなかった赤ん坊はボクだけだったって。何度もそう聞かされて育った」


 頑丈な男の人って素敵。僕はその晩、体を熱くさせながら勇者様の昔話に聞き入った。

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