その後/後編
「どこ行く気?」
朝日が出る少し前、小さな物音に気が付いたユッカは、すぐさま刀を片手に現場へと駆けつけた。
そこには自らが連れ込んだアーニルスが立っており、彼はすっかり旅支度を終えた格好をしていた。
「どこって、戦場にでも」
一言も口を差し挟めることなく終了した夕食は、アーニルスにとって確かに上等なものだった。
高価だろう果実酒をふんだんに供され、やけになって酔っ払った彼はいい気持ちのまま寝室へと案内された。
そしてそのまま寝入ってしまった彼ではあるが、やけに生々しい夢をみて飛び起きたのだ。
出会ったばかりのユッカが新妻として彼を出迎え、小さいが手入れが行き届いた家からはわらわらと小さな子供たちが群がってきたという夢だ。
あり得ない。
そう叫んだときには跳ね起きていた。
出自が不明で、野蛮な傭兵家業をしているような自分が見るような夢ではない。
どうしてそんな身分不相応な夢を、と、周囲を見渡せばそこは知らない部屋で、ゆるゆるとした頭でようやく今自分が置かれた状況を把握した。
とたんに、一度も恐怖を覚えたことなどない男が怖いと感じた。
早々に身支度を整えて音をさせないように注意を払って部屋をでた、ところであっという間にユッカにつかまってしまったのだが。
「じゃあ、一緒に行く」
「戦場は遊び場じゃねぇ」
ユッカの実力を十分過ぎるほど認めてはいるアーニルスではあるが、それは所謂ルールにのとったところの「戦い」に限ると思っている。
戦場では綺麗に一対一の対決をするわけではない。どれほど卑怯な方法をとろうとも敵を討ち取り勝ち残ったものが正義だ。
そんな場に、これほどの家のお嬢様が立っていられるわけはない。
戦場で負けたものの立場は惨めなものだ。
ましてそれが女と判明した後には、悲惨という言葉では片付けられない未来がまっている。
そこまで考えて、目の前の少女がそんな目にあうのは心底嫌だと感じる。
出会ってまだ一日もたっていない少女に肩入れする自分に、アーニルスは、彼女の騎士としての戦闘技術を認めているからだと納得させる。
「あら、ユッカを連れて行く気?」
素っ気無い返事をした次女が好戦的な笑顔でユッカの後ろに立っていた。
「呪わなければいけなくなるのですが」
控えめな四女が理解不能な言葉を口にして、やはり次女の隣に立っていた。
「婚約不履行でどこまでも追いかけますけど、それでもよろしくて?」
理不尽な言葉を突きつけて、長女がゆったりとした部屋着を羽織り、歩いてきた。
女四人に詰め寄られ、アーニルスはたじろぐ。
「いや、だが、俺のような男がお譲ちゃんと結婚だなんて」
ようやくつっかえた言葉を吐き出せ、アーニルスが安堵する。
最初からこうやって説得すればよかったのだと。
「ユッカがいいっていうんだからいいんじゃない?どうせ本能でしょ?」
姉とは思えない言葉が返され、言葉に詰まる。
年若い女が正体不明の厳つい男と結婚しようとしているのに、ここの家の人間は誰一人止めようともしていない。その事実に、言葉が同じなくせに全く通じていない、という驚愕状態に陥る。
「心配があるとすれば、ねぇ」
女たちを顔を見合わせ囁きあう。
「妹をよろしく」
そろった言葉で懇願され、アーニルスはどういうわけか頷いていた。
「詐欺だ」
あっという間に仕立てられた婚礼衣装を着せられながらアーニルスは呟いた。
彼の隣には表情が乏しい、だがとても美しい子供が立っていた。
子供は淡い薄紅色のドレスを身にまとい、大人のような挨拶をアーニルスにしてみせる
。
「はじめまして」
小首を傾げた仕草は確かにかわいらしい。
大して子供に興味がないアーニルスにとっても、その子供は十分にかわいらしいといえるだろう。
だが、問題はそこではない。
「挨拶すんだ?」
花嫁衣裳をつけ、大股で部屋へ入ってきた女は、綺麗に化粧を施されてもどこまでも職業が抜けないユッカだ。
彼女は真っ先に子供に言葉をかける。
「ええ、母様」
おっとりと返事を返した子供は、ユッカの子供ツバキだ。
魔女になる、と魔女に宣告され、その通りに生まれてきた少女。
そんなことは全く知らないアーニルスは、あの日あの夜頷いた後にこの事実を知らされた。
つまるところユッカが未婚の母であり、割と大きな子供がいること、ついでに父親がぼろ雑巾のように倒れていたユージェントという元王子だということを。
しかも魔女。
事実の大きさに、彼は絶句し、そしてあまり考えることのない頭は思考停止したまま本日を迎えてしまった。
そもそも、家名を聞けばよかったのだ。
なんとなく全員下の名前でしか名乗らなかったのだから仕方がないといえば仕方がない。
だが、傭兵をしていた男ですら、ヴァイシイラの家名は知っていたのだ。
個性的な五人姉妹がおり、それぞれが能力をもち、おそらく史上最強の姉妹たちであろう、と。その中でも末娘のユッカのことも実は知っていた。小さいくせにしたたかで、彼女が加担した側は必ず勝利していた、という端的な事実ではあるが。
大きくうるんだ黒い瞳に見上げられ、強がった表情を浮かべる。
小さな魔女は、そうだという事実を知らなくとも人が知りえない何か、を知っているかのような表情をみせる。
本能で動き、本能で突き進むユッカが母親とはとても思えない。
「早く顔をみせて!」
歌い上げるような長女の言葉に、ユッカが答える。
少し強引な仕草でアーニルスの腕を取ったユッカは、はじけるような笑顔を彼に見せる。
アーニルスはこういう生活も悪くはない。
ぼんやりとそんなことを考えた。
彼が見た夢は現実となり、ツバキより下の子供たちはどこまでも両親に似た子供たちであった。
私兵、とも呼べる素直で少しおばかで忠義に厚い戦士たちを手に入れたアベリアは、やはりヴァイシイラの家長として家族以外に気がつかれないよう高笑いをした。
商家としてではなく、その密かな軍事力すら一目置かれるようになるのも、そう遠い未来ではない、かもしれない。