第9話 シラムの冬
秋 ―― サケの回帰と冬支度
秋。九月から十一月。サケが川へ帰り、人々が冬の支度に追われる季節。
再び北西の風が吹き始め、冬の足音が近づいてくる。
順調に航行していれば、来月には船が戻ってくるはずだ。それに合わせて、夏のあいだにウィルタや大陸との交流で仕入れた物を、せっせと整理している。
今回、地図に書き加えた範囲もかなり広い。大陸側はアムール下流域の分かる範囲、ルィヴン(北樺太)の北の一部、ウィルタとの交流で内陸の一部、それに南タライカの太平洋側、北のオハ周辺、さらに南のチャイウォ湾、ニイチュ湾といった、潟湖が広がるエリア。ランゲリー川の砂金は、イドイーから海岸線を少し南に下った場所に河口がある。これも忘れずに地図へ書き入れておいた。
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川を埋め尽くすほどのサケが、海から戻ってきた。これを大量に獲り、秋の風で干して「ユコラ」に仕上げる。冬の間の主食となる、欠かせない仕事だ。
サケと前後して、十三湊からの船が三隻、揃って入ってきた。荷下ろしを終えると、二つ増設してあったタカ(食料貯蔵庫)に加えて、三つ目のタカへも総出で運び込んでいく。最終航海が来月に迫っているため、急ピッチで作業を進めながら最終確認を済ませた。父に渡す文と、地図やその他の書付を五郎太に託す。十三湊へ向かう最後の船を、浜から送り出した。
船には土産を二種、積み込んだ。一つは、春先にイタヤカエデの木に傷をつけて滴り落ちる樹液を集め、長時間煮詰めて作った甘いシロップに、採れたばかりのガンコウラン(クロウベリー)を漬け込んだもの。もう一つは、熟しきったホロムイイチゴの果肉を大量に集め、水分が飛ぶまで弱火でじっくり煮詰めて作った天然のジャムに、コケモモの砂糖漬けを添えたもの。どちらも、十三湊では決して口にできない味だった。
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竪穴住居へ戻る月になった。初雪が降る前に、再びト(冬の家)の支度を整える。家臣の深浦源太、現地に妻を持つ船乗りの鉄造と波介、鍛冶屋の鉄次と嫁のメル、その弟のコル、そして俺の嫁候補のナズと弟ヴィズが、土を盛り直す作業を手伝ってくれた。
「コケモモの酒はナズ達が作っているんだろ。女子供には良いが、儂らには少し弱いな……」
鉄次が、土を運びながらぼやくように言う。
「麦焼酎を用意してある。後で寄ってくれ。それで、メルとコルは仕事順調か?」
「ああ。チャイヴ(焚き火の番人)と呼ばれる、コルと同じ年頃の小僧が新しく入ってからだ。コルの奴、急にやる気を出して、いい具合に育ってきている」
「この前頼んだスコップ、出来そうか?」
「平らなのは、もう出来上がった。だが、先の尖ったやつは、もう少し待ってくれ」
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冬 ―― 忍耐と狩猟の季節
冬。一月から三月。大地は深い雪に覆われ、海は流氷に閉ざされる。
この時期のニヴフは、トに籠もる。泥炭を混ぜた土で壁を厚く塗り直し、中央の炉では、常に火を絶やさない。
秋の終わり、タライカ周辺のニヴフ集落から舟が着いた。
浜に見慣れない人影が立っていた。トグルが「レグンだ」とだけ言った。雪の降り始めた浜で、娘はこちらをじっと見ていた。逃げる様子もなく、媚びる様子もなく、ただ真っ直ぐに立っていた。
レグン(雪の結晶のように繊細な者)——十五歳。塩作りの一員として加わることになった。
俺は、浜の近くに「塩の小屋」を建てた。そこで夏のうちから細々と火を焚き、作業を続けてきた。流氷が湾を覆う前に、塩作りの本番が始まる。
頭の中で、塩作りの段取りが冷静に展開していく。
――三メートル四方、深さ三十センチほどの浅い池を想定する。貯水量、約二千七百リットル。一サイクル数週間の収穫で、順調に凍結分離を繰り返せば、一つの池から約七十キロから八十キロの塩が取れる。
必要な物は、春のうちに十三湊から届いている。少し寒くなる前から、塩の小屋の近くに「遮水層」を作っておいた。実験は何度も繰り返してきた。本番の手順はこうだ。
初冬——凍結する前の海水を、大量に陸の池へ汲み上げる。
真冬——毎日、表面に張った氷(真水)を割って捨てる。自然の力だけで、海水の濃度を三倍から五倍にまで高めていく。
晩冬——濃くなった「かん水」を室内に運び、薪と石炭を使って、一気に煮詰める。
仕上げ——結晶を籠に盛り、数日かけて「にがり」を抜き、まろやかな塩に仕上げる。
俺とレグンを中心に、ナズとヴィズが冬場の作業として手伝ってくれている。
最初の頃、ナズとレグンの間に言葉はほとんどなかった。ナズが黙って氷を割り、レグンが黙って桶を運ぶ。ただ、手順だけは、きちんと合っていた。それで十分だと、俺は思うことにした。
今回の出来次第で、遮水層と人手をさらに増やすかが決まってくる。トグルは、俺が何かやりたいと言えば、今では何ひとつ反対しない。俺が村に利益をもたらすことを理解してくれているから、非常に協力的だ。
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塩作りの合間にも、森へ入る。毛皮を貼った木製の板——スキー——を履いて、クロテンの狩りを体験させてもらった。極寒の今こそ、毛皮の質が一年で最高になる季節だ。
この時期の食事は、凍らせたサケの身を薄く削いだ「ストロガニナ」や、秋に蓄えたベリーをアザラシ油で和えた「ムヴィ」が中心となる。貴重なビタミン源で、極寒の体を内側から支えてくれる。
秋のうちに獲った鮭を、十三湊から運んできた塩を使って、塩鮭に仕込んでいた。八割は十三湊へ送る。一割は、鮭を提供してくれた村に分けて配った。残りの一割はこちらの手元に置く。仕立て方も二通りに分けた。家庭向けには重石を一日か二日、干すのも数日程度の軽い仕立てにし、十三湊向けには重石も干す期間も長くとった塩辛い仕立てで、各家二本ずつ用意した。
トグルは、鮭の加工に興味津々だった。手順は、ざっとこんな具合だ。
最初に、内臓の除去(エラ抜き)。鮮度を保つため、獲れた直後にエラと内臓を抜き取る。この際、武士のこだわりとして、腹を完全に切り開く「切腹」の形を嫌う。喉元や腹の一部から内臓を引き出す「つぼ抜き」を用いるのだ。
次に、塩詰め(塩蔵)。腹の中にたっぷりと粗塩を詰め込み、さらに魚体全体を厚く塩で覆って、木桶の中へ隙間なく並べていく。
次に、重石(圧搾)。桶の上に重い石を載せる。これにより、鮭の水分を徹底的に追い出し、塩分を身の奥まで浸透させる。この工程が不十分だと、輸送中に腐ってしまう。最も気を遣う作業だった。
最後に、寒風干し。塩漬けが終わった鮭を水洗いして余分な塩を落とし、北国の冷たい潮風に当てて干す。これによりアミノ酸の分解が進み、独特の旨味が凝縮されていく。この全工程は、十三湊で実際に作った経験のある波介が主導して進めてくれた。
出来上がった塩鮭を試食したトグルは、貴重な塩を惜しげもなく使うこの作り方に、まず驚愕していた。その美味さに目を丸くしたのはもちろんだが、それ以上に——この自家製の塩でこれを作れば、十三湊から村が欲しがる物が幾らでも手に入るのだという事実に気づいたらしい。塩作りに人員を割り当てる算段を、その場で口にし始めた。
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塩は、予定通りに出来上がった。
出来上がった白い塩を、掌に乗せた。重くはない。舐めると、確かに塩だった。
十三湊では当たり前すぎて、考えたこともなかった。ルィヴンでは、これほど手間のかかるものだったのか。
(この土地にあるもので、作れるものを作る)
源蔵の声がまた頭をよぎった。本式を手放した時から、ずっとそうしてきた。
レグンら地元の人手で出来上がった塩は、まず神に捧げられた。
俺も杯を手にした。冬の夜、炉の火だけが揺れていた。
延暦寺へ向かう船が嵐に飲まれたあの夜から、二年以上が過ぎた。波にのまれた供の者は、この塩の味も、名前さえも知らないままだ。それでも、あの夜は確かにここにある。漂着したから、カスクになった。カスクだったから、太陽の血を造れた。太陽の血があったから、この村に根を張れた。根を張ったから、今日この塩がある。
それだけで十分だと、初めて思えた。
この村の歴史に、新たな一行が刻まれた。
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※地名表記について
舞台は13世紀ですが、位置関係の分かりやすさを優先し、本文中では現代の呼称を便宜的に採用しています。




