第1話 流れ着いた魂
俺はどうやら転生したようだ。
目はまだよく見えない。だが、耳に届く言葉が古い。よく聞く話の「戦国時代」への転生か、と思ったが、どうも様子が違う。理由などまるで分からない。せめて神様の説明でもあればありがたいのだが、どうやら完全な放置らしい。今この瞬間、確かなことは一つだけだ。隣にもう一人、赤子がいる。
(双子か……)
それなりの家のようだ。人の気配が多く、どこぞの国人クラスの屋敷だろうと、ぼんやりした意識の中で俺は判断した。
―――
それから数週間が経った。
色々なことが分かってきた。周りの人々の会話だけでは読み取れないことも多いが、俺には生まれながらに特別な能力が備わっている。人を見ると、その人物を取り巻く状況が、頭の中にまるで自分の記憶のように自然と思い浮かぶのだ。ゲームのようにステータス表示してくれれば便利だが、まあ、これだけでも大変ありがたい。
さて、俺は千代丸と呼ばれている。隣に生まれた兄は阿久丸だ。時は仁治元年(1240年)。この能力が告げる父の姿はこうだ。
名、安東 太宰少監 貞季。地位は蝦夷沙汰代官。鎌倉幕府の執権・北条氏の「御内人」として「貞」の字を賜り、津軽の「十三湊」を本拠とし、北方貿易の利権と蝦夷地の統治を一手に担う人物だ。
世話をしてくれる者からの情報によれば、双子の畜生腹ゆえに、俺は一〇歳まで高度な教育を受けたのち、僧侶として鎌倉の極楽寺か建長寺に就かせたいと考えているようだ。五歳までに見込みがあるかどうかで進路が決まる。
兄はいずれ安東の名を継ぐ者となる。俺は蓮中として、僧侶の道を歩むことになる。
(……僧侶か。悪くない)
天下を取ろうとか、歴史を変えようとか、そういう大それた考えは微塵もない。前の俺の人生がどんなものだったか、もはやよく思い出せない。ただ、疲れていた。それだけは確かだ。望みといえば、山の中の小さな寺の住職として、誰にも邪魔されずスローライフを送ること。それだけだ。
―――
そんなある日のこと、不気味な知らせが鎌倉へ舞い込んできた。
宝治元年(1247年)、「津軽の海に大量の魚が流れ着き、海面が真っ赤に染まっている」という、にわかには信じがたい報告が陸奥国から届いたのだ。報告主は五戸の代官・三浦盛時。一見ただの怪異報告だが、実はこれ、盛時が本家・三浦泰村と決別し、北条への「恭順」を示す政治的なメッセージだったとも読み取れる。
結局、この直後に「宝治合戦」が勃発。執権・北条時頼は三浦一族を徹底的に叩き潰してしまう。おまけに時頼は、戦後のどさくさに紛れて北の大地・糠部の領地までちゃっかり自領に組み込んでいるのだから、実に抜かりがない。
そんな東の糠部で起きた騒動の余波も、数年が過ぎてようやく落ち着きを見せていた。
僧侶コースの俺はもっぱら勉学を中心に暮らしているが、体を動かすことも怠らない。この時代、体が資本だ。高速移動が可能な乗り物など存在しない。すべて徒歩を基本とし、地位の高い者だけが馬や輿を使う。僧侶になる俺には当面、無縁の話だろう。
勉学は最初から分かりきっていたが、復習のつもりでしっかりと習い直した。師から「神童」などと呼ばれぬよう、密かに気を遣った。アドバンテージのある俺が兄を出し抜いて立身出世を狙おうなど、考えたこともない。
ただ、穏やかに生きられればいい。
それだけを、俺は願っていた。
―――
穏やかな秋の良き日、船出には父が見送りに来てくれた。
礼を述べて、供の者とともに船に乗り込み、京の比叡山延暦寺を目指す。十三湊から日本海を南下し、若狭湾(小浜・敦賀)へ。そこから陸路で京都へ入る「北海路」と呼ばれる標準的なルートだ。俺が幼い頃は鎌倉行きの話もあったが、師が延暦寺を強く進言してくれたため、このルートになった。
日本海はのどかだった。少なくとも、最初は。
空が突如として鉛色に変わった。
「野郎ども、『あなじ』だーっ! 気合いを入れろ!」
叫び声が船全体に響く。晩秋特有の急激な低気圧――いわば日本海の爆弾低気圧の前身ともいうべき嵐が、音もなく迫ってきていた。俺が乗る船は一三世紀の主力艦「準構造船」。厚い底板に舷側板を継ぎ足した頑丈な造りで、帆と櫓を併用する。その堅牢さを信じていたが、生まれて初めて本気で祈っていた。
激しく揺れる船から、轟音が響いた。
見れば、巨大な波に舵が折れ、帆を畳む間もなくマストまでが砕けている。俺は冷静に船体を観察した。すると、頭の中にあのイメージが流れ込んできた。
――制御不能。これより漂流状態に陥ります。南から北へ流れる強力な対馬暖流と嵐の風が合わさり、船は南へ向かいたくとも、恐ろしい速度で北へと押し戻されます。
(……分かった)
俺は覚悟を決めた。供の者が「若様、流されぬようにここへ」と言って、俺をマストの残骸に固定した。その直後、激しい波が来て、その者は海へと消えていった。
振り返る間もなかった。
(名前を、聞いていなかった)
―――
数日が過ぎたと思う。
生き残った者たちは秋の寒さに震えながら、壊れた船にしがみついていた。激しい嵐を経て、船乗り五名と俺の供・由利源兵衛が一人、かろうじて残っていた。
「おい、渡島(北海道)の西海岸を、北に向かってるぞーっ!」
誰かが叫んだ。
船はついに北海道の北端――宗谷海峡付近――を越え、未知の海域「唐太」の西海岸へと入り込んでいた。荒れ狂う海がようやく静まる頃、再び頭の中にイメージが流れた。
――一三世紀は現在よりもやや温暖な中世温暖期から小氷期へと移行する、気候の不安定な時期です。
(余計な説明は要らんが……まあ、助かっている)
目の前に広がるのは、険しい針葉樹の原生林と、見たこともない形式の住居が並ぶ海岸線だった。ニヴフの竪穴式住居だと、頭の中の声が教えてくれる。元気の残った船員たちが壊れた櫓でかろうじて漕ぎ、岸を目指した。
浜には、アザラシの皮をまとった戦士たちが、静かに待ち構えていた。
―――
船員の中に、アイヌの言葉を少し話せる者がいた。
その者がニヴフの戦士に歩み寄り、口を開いた。
「おら達は日ノ本の者だ。見ての通り、嵐で船が破損した。修理を手伝ってもらえないか?」
戦士たちはしばらく互いに話し合い、たどたどしいアイヌ語でこう答えた。
「敵でないなら、ここに留まることを許す」
船員が衰弱した仲間に「おい、助かったぞ」と声をかけると、その者は「良かった」と言い残して、そのまま息を引き取った。
生き残りは、元気な者が一人、怪我で衰弱している者が二人、かろうじて動ける者が一人。それに俺の供の由利源兵衛と俺の、合わせて六名なった。
数日ぶりに陸へ足をつける。船が流されぬよう、船員とニヴフの戦士の手も借りて縄でしっかりと固定した。改めて外から眺めた船は、よくも沈まなかったと感心するほど悲惨な有様だった。俺が子供の容姿ということもあってか、温かい毛皮の羽織と食べ物を振る舞ってくれた。
(ありがたい。まず生き延びることだ)
俺は、戦士たちの後方で静かに様子をうかがっている一人の男に気づいた。奥に引いていながら、視線だけは全体を制している。頭だ、とすぐに分かった。
日本語で礼を言いながら、身振り手振りとアイヌ語を交えて話しかけた。同行の仲間にも食事を分けてもらえないか、と。
「なぜ、俺に話しかける」
「遠くから指示しているのを見た。あなたが頭だろう」
少しの沈黙。
「……分かった」
男は立ち上がった。身の丈一九〇センチを超えようかという、岩のように屈強な戦士だった。
衰弱した者たちを浜の焚き火のそばに残し、俺と船乗りの五郎太は、その男に連れられて集落の村長のもとへ向かった。男は自らを「チュフ(火)」と名乗り、俺も千代丸と名乗った。
焚き火のそばの家の奥から、長老らしき人物が姿を現した。
―――
俺は村に受け入れてくれた礼を述べ、事情を説明した。
十三湊から都へ向かい寺で修行するはずが、北西の季節風に流されてここまで来てしまった。船が修理できれば戻ることもできるが、腕のある者がいない。お礼がしたいが、塩水に浸かった荷物しか残っていない。使えるものはすべて差し上げるから、しばらくここに置いてほしい。
身振り手振りを交えながら、できる限り誠実に話した。
「では、村の者が手を貸しましょう」
村長もともに船まで向かってくれた。
五郎太とチュフ、数十人がかりで、船の中から荷を次々と外へ運び出した。積み荷の主なものはこうだ。
昆布――「宇賀昆布」として知られ、精進料理が広まりつつあった京の寺院では出汁の素として珍重された。これが後の「昆布ロード」の原点ともいわれる品だ。塩引きや乾燥させた鮭・鱒の加工品。当時の貴重なタンパク源であり、保存食として大量に積み込まれていた。鷲の羽――武士が矢に飾る「矢羽」として最高級とされ、特に北方のオオワシの羽は安東氏が幕府へ献上する重要品だった。アザラシ・ラッコの毛皮――「蝦夷皮」と呼ばれ、武具の装飾や防寒具として高値で取引された。さらに大陸からニヴフやアイヌを経由して入ってきた鉄製品――いわゆる「蝦夷刀」なども、珍品として都へ運ばれる予定だった品々だ。
俺個人の荷は、写経用の硯・墨・筆一式と初歩的な経典、宋から輸入された白磁の浄瓶、安東の血を忘れぬための守り刀、大陸製の絹織物で仕立てた衣類、そして寄進のために紐で通した宋銭の革袋。
このうち俺に必要なのは、守り刀と写経の道具一式だけだ。
「全てを差し出し、保護していただく。しばらくここで暮らす。これが最善だ」
俺は、疲労困憊の由利源兵衛、衰弱した三名、五郎太に向かって、静かにそう宣言した。
頭の中には、もうイメージが流れ込んでいた。
――この村長が健在なうちは、安全に暮らせます。
(ならば、それでいい)
俺は焚き火の炎を眺めながら、ひとつ息をついた。
延暦寺は遠くなった。しかし、嘆く気にはなれなかった。この北の果ての浜に流れ着いたことが、神仏の意思なのかどうかは分からない。ただ、この「頭の中で響く声」は、ここが俺の居場所だと告げているような気がした。
炎がゆらりと揺れた。チュフが無言でその隣に腰を下ろした。
焚き火がパチリと音を立てた。潮の匂いがした。何も言わなかった。それでよかった。
一三世紀の北の果て。鎌倉からも、都からも、果てしなく遠いこの地で、俺の「二度目の人生」が、静かに、しかし確実に始まろうとしていた。




