第13話 工房を去り新しい紐を手に
陶芸工房の窯の灯りは見えたが、大石は背を向けた。
足元の砂利が軋む。家路へ向かう。
物置き台の古紐が視界に飛び込む。束になった麻が埃を被っている。
左手がそれを掴む。ほぐれる繊維の手触り。
「…」
土間の隅を見る。こぶし大の石が転がっている。
右手が石を拾い上げる。冷たい重みが掌に沈む。
進は軒下を見上げた。松の梁が太く、黒光りしている。
紐を石に巻きつける。固く結ぶ。
石を吊るし上げる。重さが左腕を引っ張る。
肩の関節がきしむ。筋肉が引き伸ばされる。
石が静止する。胸の高さで微かに揺れる。
大石は吊るされた石と対峙した。
左足を踏み出す。腰を落とす。
呼吸が浅くなる。心臓が胸骨を押す。
左手を引く。拳を固める。
石の重さが水の抵抗に感じられる。
突きはまだ出さない。
腕の筋が波打つ。熱を持つ。
陶芸家が轆轤を回す音が頭に残る。粘土が形を変える。
大石の左腕が突き出す。石を穿つ。
硬い衝撃が肘まで走る。骨に響く。
石が弧を描いて揺れる。戻る重みが腕を押し戻す。
腰を踏み込む。二本目の突きが空気を裂く。
肩甲骨が背中に張りつく。汗が頬を伝う。
陶芸家が釉薬をかける。色が変わる。
大石の突きが石の動きを変える。揺れが小さくなる。
繰り返す。三本、四本。
左腕だけが熱く、重い。
風が吹く。吊るされた石が回転する。
大石は突きを止めない。呼吸が荒くなる。心拍が耳を打つ。
陶芸工房の灯りは遠のいた。
軒下に、石を穿つ音だけが残る。 完成した器は工房の縁側に並んでいる。釉薬の光沢が夕陽を跳ね返す。
大石は立ち止まった。視線が一つの器に吸い込まれる。
「…」
形が左右非対称だ。轆轤の常道を外れている。
歪みが力を持つ。均整より強さがある。
陶芸家が傍らに立つ。黙って器を見つめる。
指先に土の痕が刻まれている。分厚い掌だ。
「左回りで挽いた」
陶芸家が呟く。轆轤は右回りが常だ。
「逆らうと形が崩れる。だから左手で支えた」
大石の左腕が微かに動く。筋が覚える。
吊るされた石の重みが蘇る。
器の片側が押し潰れている。掌の跡のようだ。
「力の入れどころだな」
陶芸家が笑う。皺が深くなる。
進は器の内側を見た。厚みが不均一だ。
薄い部分が光を通す。厚い部分が重みを支える。
それは剣の構えに似ている。左を前に出し、右を引く。
崩れた構えが、逆に隙を消す。
「均すのが上等と言われるがな」
陶芸家が器を手に取る。指が歪みをなぞる。
「この歪みが、わしの形だ」
大石は左腕を見た。肩から肘、拳まで。
かつては欠点と呼ばれた。左利きは化け物だ。
「…」
風が吹く。吊るされた石が揺れる音がする。
器の歪みが光る。独自の軌跡だ。
陶芸家は轆轤を逆回転させた。左手で粘土を押し上げた。
大石は石を左で穿つ。水の抵抗を斬った。
「誰も作らぬものを作る」
陶芸家が器を置く。縁側に鈍い音を立てる。
「これがわしの流儀だ」
大石は頷いた。言葉はいらない。
左腕の熱が再び燃え上がる。かつての敗北が遠ざかる。
夕陽が器を赤く染める。歪みが影を刻む。
進は踵を返した。軒下の石が待っている。 完成した器が縁側に並んでいる。陶芸家が藁縄を手にした。
「見るだけならただよ」
大石は一歩踏み出した。器の前に立つ。
左手が伸びる。掌が歪んだ器を包む。土の温もりが残る。
「…」
器を藁で巻く。縄が締まる。左手の甲の筋が浮く。
右手は添えるだけだ。重みは左に集中する。
陶芸家が作業場を片付け始めた。水甕を運ぶ音がする。
大石は二つ目の器を包む。指先で藁の節を探る。滑らかな曲面が隠れる。
左腕に器の重みが残る。吊るされた石の感覚と重なる。
心臓の鼓動が肘の内側で脈打つ。速い。
陶芸家が轆轤の泥を拭う。水音がする。
大石は最後の器を持ち上げた。一番歪みが大きい。
「包み終わったら置いてけ」
陶芸家が背を向けて言う。手は刷毛を洗っている。
大石は頷く。器を藁で包み終える。縄を固結びにする。
左腕が熱い。器を支える張りが消えない。
作業場が片付いていく。桶が積まれる。粘土板が立てかけられる。
大石は包んだ器を縁側の中央に揃えた。三つ並ぶ。形は隠れている。
「…ありがとう」
声が低く響く。陶芸家は振り向かない。手を拭う音だけがする。
風が吹く。藁の切れ端が転がる。
大石は左腕を見る。掌を開く。指が微かに震える。
陶芸家の独自の器は包まれ、運ばれるのを待つ。
大石の左腕は、今すぐにでも石を穿ちたがっている。
夕陽が長い影を伸ばす。軒下の石が微かに揺れている。
進は踵を返した。足音が砂利を踏む。
家路は真っ直ぐではない。左手の感覚が道を引き寄せる。
石と紐と梁が、帰りを待っている。 包まれた三つの器は蓑の上に載る。藁。藁縄が縁を食い込む。進はそれを両腕で抱える。重みが胸板に沈む。
「…」
左腕に器の歪みが伝わる。右腕は支えるだけだ。
小川へ向かう道を歩き始める。砂利が靴裏を噛む。
川のせせらぎが近づく。水音が重みを誘う。
左腕の筋が張る。器を抱える位置がずれる。
進は足を止めた。左腕だけに重みを移す。
肩の関節がきしむ。かつて石を吊るした感覚が蘇る。
呼吸が深くなる。心臓が重みに押される。
左腕が器のすべてを支える。右は添えるだけだ。
道端の石が転がる。左足で踏みしめる。
進は再び歩き出す。左腕だけが熱を持った。
小川の水が光る。流れは緩やかだ。
進の左腕は、流れに逆らう石のようだ。
「…」
川縁に蓑を下ろす。器が土に触れる音。
左腕の張りが消えない。重みが記憶に残る。
進は包まれた器を見つめた。藁の隙間から土肌が覗く。
独自の形が隠れている。左腕で支えた軌跡だ。
川の水が岸を洗う。音が規則的だ。
進の左腕は、今にも突きを求めている。
◆
物置き台が重みを預かっている。農具の隙間から石と紐が見える。
進は左手を伸ばした。指先が冷たい石に触れる。
「…」
掌に収まる丸み。重さが水の記憶を呼び起こす。
右腕は紐を掴んだ。ほつれた繊維が皮膚を擦る。
土間の薄明かりが長い影を落とす。影の腕が石を吊るす動きをする。
進は左腕を僅かに捻った。かつて吊るした石の軌跡を探る。
紐の端を石に巻きつける。結び目が固く締まる。
左腕の筋が収縮する。
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