木剣
木剣は、思ったより重かった。
長さは七十センチくらい。素材は普通の木じゃない。魔素を含んだ硬木で、ずっしりとした重量感がある。握ると、じんわりと手に馴染む——ような気がするのは気のせいだろう。俺にはまだ、魔力がない。
「全員、構え」
教官の声が訓練場に響いた。
石畳の上に百人近い新入生が並んでいる。全員が木剣を持ち、教官の指示を待っている。
「基本の構え。右足を前、左足を後ろ。膝を軽く曲げろ。剣は正面に。肩の力を抜け」
教官が見本を見せる。滑らかな動作。無駄がない。
俺は見よう見まねで構えた。右足前、左足後ろ。膝を曲げて——
「お前、腰が高い」
教官が素通りざまに言った。俺だけじゃなく、ほとんどの新入生に何かしら指摘している。でも、その後に付け足した一言が刺さった。
「ランク外の転移者か。まあ、焦るな」
——焦るなと言われると、焦る。
素振りが始まった。
上段から振り下ろす。基本中の基本。教官の掛け声に合わせて、全員が同時に木剣を振る。
一回。二回。十回。三十回。
隣のユウスケの動きが見えた。初日とは思えない。体幹がぶれない。足の運びが安定している。教官が通りかかって足を止めた。
「お前、何か武道をやっていたか」
「……元の世界で、剣を少し」
「なるほど。筋がいい」
教官が去った後、離れた場所からルーク先輩がユウスケを見ていた。腕を組んで、無言で。でも小さく頷いた。認めている目だった。
ユウスケは強い。最初から強い。
——俺は。
五十回目で腕が震えた。百回目で握力がなくなりかけた。振り方がバラバラだと自分でも分かる。右に流れたり、軌道が曲がったり。周囲の生徒と比べても明らかに下手だ。
二人組で打ち合いになった時は、もっとひどかった。
相手の木剣が見えない。見えているのに、体が反応しない。三合で弾き飛ばされた。尻もちをつく。周りから笑い声が聞こえた。
「おい、あいつランク外だぞ」
「マジかよ。なんで剣術の授業受けてんの」
聞こえている。全部。
俺は立ち上がって、木剣を拾った。また構えた。
◇
昼休み。中庭のベンチで一人、木剣を膝に置いて座っていた。手のひらが赤い。まめができかけている。
通りかかる生徒たちの視線を感じる。「ランク外」はもう学園中に知れ渡っている。
「転移者か。ランク外がいるとは聞いていたが」
声。頭上から。
見上げると、一人の男が立っていた。
端正な顔立ち。きっちりと整えられた銀灰色の髪。制服の胸元の宝石が青白く光っている。そして——雰囲気が違う。周囲の新入生とは明らかに。
「よく入学できたものだな」
感情のない声だった。見下しているのとも違う。ただ事実を述べている、という態度。
ユウスケが一歩前に出た。「何の用だ」
「別に。ただの確認だ」
男がユウスケを見た。少しだけ、目の色が変わった。
「お前は多少マシだな。風属性か。午後の授業で会うだろう」
ユウスケには声をかけて——俺は無視だった。視界に入っていないかのように、男は背を向けて去っていった。
「……誰だ、あいつ」
近くにいた生徒が教えてくれた。
「ディオン。入学時からCランク。新入生じゃ最強って言われてる」
Cランク。一人前の騎士レベル。入学時点でそれは異例らしい。
「没落貴族の家だって聞いた。名前だけ残ってて、金はない。実力で這い上がるしかないんだと」
——俺と同じだ。何も持っていない場所から始めている。
でも、あいつには才能がある。実力がある。
俺には、何もない。
拳を握った。悔しい。でも——悔しいと思えるなら、まだ終わっていない。
◇
放課後。訓練場に残ったのは俺一人と、セリア先輩だけだった。
「さて」
セリア先輩が木剣を構えた。夕暮れの光が訓練場を赤く染めている。
「基礎からやり直すわよ。構え」
「はい」
「足。違う。もっと広く。——そう。次、腰。落として。もっと。手首の角度が高い。下げなさい」
一つ一つ直される。全部ダメ。足も、腰も、手首も、肩も、目線も。
「振って」
振った。
「遅い。もう一回」
振った。
「軸がブレてる。もう一回」
振った。振った。振った。
五十回。百回。手のひらのまめが潰れた。血が木剣の柄に滲む。
「先輩……一つ聞いていいですか」
「何」
「俺に、才能はありますか」
セリア先輩が木剣を下ろした。俺を見た。数秒の沈黙。嘘をつかない目だ、と思った。
「ないわね」
はっきり言われた。分かっていたけど、胸に刺さった。
「あなたには剣の才能はない。体術の才能も、魔力の才能も。今のところ、何一つ突出したものは見当たらない」
「……そうですか」
「でも」
セリア先輩が微かに笑った。
「あなた、諦めないでしょう」
「……はい」
「それが一番大事なのよ。才能がある人間は、壁にぶつかると折れる。自分が特別だと思っているから、特別じゃなくなる瞬間に耐えられない。でもあなたは——最初から何もない。だから折れない」
セリア先輩が木剣を構え直した。
「何もないところから積み上げた人間は、強いわよ。私が保証する」
その言葉が、暗くなりかけていた胸の奥に、小さな火を灯した。
「——もう百回、振れる?」
「振れます」
「嘘ね。腕、震えてるもの」
「震えてても振れます」
セリア先輩が笑った。今日一番の笑顔だった。
「いい返事。——じゃあ、振りなさい」
◇
寮に帰ったのは日が暮れてからだった。
腕が上がらない。握力がない。箸を持つのも辛い。食堂でフタバが「ワタル先輩、大丈夫?」と心配してくれたが、「平気」と笑って流した。平気じゃない。
風呂に入って、ベッドに倒れ込んだ。全身が叫んでいる。もう動きたくない。
——でも。
起き上がった。
木剣を持って、寮の裏庭に出た。
月明かりの下。一人で木剣を振る。腕が痺れている。手のひらの傷が痛い。それでも振る。
一回。五回。十回。
——足音。
振り返ると、ユウスケが立っていた。
木剣を持っている。
何も言わなかった。俺の隣に立って、同じように振り始めた。
ユウスケの素振りは綺麗だ。俺のとは全然違う。でも、俺は俺の振り方で振る。下手でも、不格好でも。
二人で黙々と振った。虫の音が聞こえる。二つの月が照らしている。
三十回。五十回。七十回。百回。
腕が限界だった。次の一振りで木剣を落としそうだった。
——百一回目を、振った。
隣でユウスケが、ほんの少しだけ口角を上げたのが見えた。
俺には才能がない。
でも、ここにいる理由くらいは——自分で作る。




