国王と空っぽの目
白い城は、近づくほどに大きくなった。
門は俺たちの背丈の五倍はある。見上げると首が痛い。門番の騎士たちが左右に道を開けた。
城の中に、足を踏み入れる。
「これより、王の間へ向かう。国王陛下がお待ちだ」
騎士が言った。
国王。この世界の王に——会う。
俺たちは顔を見合わせた。フタバが俺の服を掴んでいる。ユウスケが背筋を伸ばした。リクトがノートを閉じた。ハルカが小さく深呼吸した。
城門が開く。
その奥に、長い廊下が続いていた。磨かれた石畳。壁に飾られた甲冑と絵画。魔素灯が等間隔に灯っている。
廊下を歩く。靴音が響く。
——その時、前方からすれ違う人影があった。
騎士だ。鎧を着た騎士。他の騎士と同じ装備。だけど——何かが違う。
目だ。
目が、空っぽだった。
光がない。表情がない。瞬きすらしない。まるで人形が歩いているように、一定の速度で、一定の歩幅で、廊下を進んでいく。
すれ違った瞬間、空気が冷たくなった気がした。
「……あの人、なんか変じゃなかった?」
俺は護衛の騎士に聞いた。
騎士の顔が曇った。一瞬だけ。でも、確かに。
「……ナンバーズだ。気にするな」
それだけ言って、騎士は歩き出した。
ナンバーズ。
聞いたことのない言葉。でも、騎士の声に微かな——怯えがあった。同じ騎士なのに。同じ鎧を着ているのに。
「ワタル先輩」
フタバが俺の制服の裾を引っ張った。顔が青い。
「あの人の目、怖かった……」
「……大丈夫だ」
そう言いながら、背筋が寒くなったのを隠した。
あの空っぽの目。あれは——生きている人間の目じゃなかった。
◇
玉座の間は、想像以上に広かった。
天井が高い。見上げると、天窓から月明かりが差し込んでいる。二つの月の光が、床の紋章を照らしている。
そして——玉座に、男が座っていた。
五十代くらいだろうか。銀の髪。深い青の瞳。顔には皺があるけれど、目に力がある。威厳がある。周囲の空気を支配する、そういう種類の人間だ。
国王。
「異世界からの来訪者か」
低い声だった。重くて、穏やかで、どこか温かい。
「歓迎しよう。我が国、エルディアへ」
国王が立ち上がった。騎士たちが道を開ける。
「お前たちの世界から人が来るのは、実に二百年ぶりだ」
二百年。俺たちの前にも、来た人がいる。
「まずは、お前たちの力を見せてもらおう」
国王が手を上げると、騎士が運んできたのは——水晶のような球体だった。台座の上に置かれ、淡い光を放っている。
「魔力測定器だ。手を触れれば、持つ属性が分かる」
最初にユウスケが進み出た。球体に手を置く。
——緑の光が溢れた。球体が風を纏うように光る。
「風属性。適性——高い」
周囲の騎士がざわめいた。ユウスケが静かに戻ってくる。「風か」とだけ呟いた。
次にハルカ。球体に触れた瞬間、白い光が部屋を満たした。温かい光。見ているだけで心が安らぐような。
「光属性。適性——極めて高い」
今度は騎士たちが息を呑んだ。光属性は珍しいらしい。ハルカが少し困ったように笑って戻ってきた。
フタバは赤い光。火属性。リクトは茶色い光。地属性。二人とも適性は水準以上だと言われた。
そして——俺の番だ。
球体の前に立った。手を伸ばす。指先が触れる。
——何も起きなかった。
光がない。反応がない。球体は沈黙したまま、ただそこにある。
一秒。二秒。三秒。
周囲がざわめく。
「属性なし、か?」
「魔力反応もない……」
球体が——割れた。
パキッと小さな音を立てて、表面にひびが入った。内側から黒い煙のようなものが一瞬だけ漏れて、消えた。
玉座の間が静まり返った。
国王の目が、一瞬だけ鋭くなったのを——俺は見た。ほんの一瞬。瞬きより短い時間。でも確かに、あの穏やかな目の奥に、別のものが光った。
「……興味深い」
国王は微笑んだ。さっきの鋭さは消えていた。穏やかな声。
「だが心配は要らない。お前たちは我が国の騎士学園で学ぶがいい。きっと力が芽生えるだろう」
優しい言葉のはずだった。でも、胸の奥に引っかかるものがあった。
俺だけ——何もない。
みんなに属性があって、俺だけ測定不能。球体が壊れるという異常な反応。なのに「心配するな」。
——本当に?
その時、視界の端に人影が見えた。
玉座の間の隅。柱の影に、一人の少女が立っていた。
長い金髪。まっすぐな背筋。鋭い目。俺と同じくらいの年齢に見える。
目が合った。
少女の瞳が、一瞬だけ俺を捉えた。何かを値踏みするような——いや、何かを確かめるような目。
すぐに逸らされた。
「娘のリーシャだ」国王が言った。「学園で会うこともあるだろう」
リーシャは何も言わなかった。目も合わせなかった。柱の影から動かないまま、ただそこに立っていた。
◇
与えられた部屋は、俺たちの家より広かった。
天蓋付きのベッド。石造りの壁に魔素灯。窓の外に王都の夜景。全部が非現実だった。
フタバとリクトとハルカは隣の部屋にいる。俺はベッドに座って、窓の外を見ていた。
二つの月。
あの月は、今ごろ俺たちの世界にも出ているんだろうか。——いや、出ていない。あっちの月は一つだ。ここは違う世界なんだ。
ドアが開いた。
「入るぞ」
ユウスケだった。無言でベッドの端に座る。
しばらく、二人とも何も言わなかった。
「……帰れるのかな、俺たち」
ユウスケが天井を見上げて言った。こいつがこういう弱さを見せるのは珍しい。
「分からない」
正直に言った。嘘をつきたくなかった。ユウスケには。
「でも、必ず帰る。全員で」
「……根拠は」
「ない。でも、帰る」
ユウスケが鼻で笑った。馬鹿にしてるんじゃない。こいつの「そういうところだよな」って顔だ。
「……ああ。帰るか」
「帰ろう」
その一言で十分だった。こいつとなら、きっと帰れる。
窓の外で、二つの月が光っている。この世界の月だ。でも——あの丘の上の木の下で見た夕暮れの空を、俺はまだ忘れていない。
明日から、騎士学園。
俺たちの、異世界での生活が始まる。




