王都クレストリア
騎士たちに連れられ、馬車に乗せられた。
木製の荷馬車——じゃない。車体に金属の装飾が施されていて、車輪が地面から浮いている。浮いている。馬もいない。車体の底で、青白い光が静かに脈打っていた。
「魔素駆動の輸送車だ。揺れは少ない。座っていろ」
騎士の一人がそう言って、扉を閉めた。丁寧だけど、鍵をかける音が聞こえた。
——丁重に、閉じ込められた。
◇
窓の外を、見たことのない世界が流れていく。
草原が広がっている。ただし——色が違う。草が青紫色だ。地球の緑とは明らかに違う。風に揺れるたびに、紫の波が草原を渡っていく。
「きれい……」
フタバが窓に顔を押しつけていた。さっきまで震えていたのに、もう目がキラキラしている。こいつの切り替えの早さは、ちょっとすごいと思う。
「あ、見て見て! あの花、光ってる!」
道端に咲いている花が、淡い金色の光を放っている。夕暮れでもないのに、自ら発光している花。
「魔素灯花ですね。おそらく大気中の魔素を吸収して発光しているのだと推測します」
リクトがノートに何かを書きながら言った。どこからノートを出した。いや、こいつはいつも持っているか。
「魔素?」
「この世界に満ちているエネルギーの一種だと仮定しています。車体を浮かせている力も、おそらく同じ原理です」
「リクト、もう分析してんのか」
「情報がなければ対策が立てられません」
ユウスケが窓の外を見ながら言った。「まず、ここが地球じゃないのは確実だな」
「二つの月、紫の空、青紫の植生。大気組成も異なる可能性がありますが、呼吸に支障はない」
「つまり?」
「僕たちが知っている世界の物理法則の一部が、ここでは異なっている可能性があります」
「分かりやすく言え」
「異世界です」
リクトが真顔で言い切った。
車内が沈黙した。異世界。漫画やゲームでしか聞いたことのない言葉。それを、リクトが——あの理屈屋のリクトが、根拠を示した上で認めた。
「……マジか」
俺は天井を見上げた。
異世界転移。本当に、そういうことが起きたのか。
「ワタル」
隣に座っているハルカが、小さな声で言った。
「さっきの手——大丈夫?」
右手を見た。あの黒い光を放った手。今は何ともない。傷もないし、痛みもない。
「分からない。でも、痛くはなかった」
「……そう」
ハルカはそれ以上聞かなかった。ただ、俺の右手を少しだけ見ていた。心配そうな目。その視線に気づかないふりをした。
◇
馬車が丘を越えた時、それが見えた。
「——うわ」
フタバが声を上げた。俺も、思わず身を乗り出した。
城壁だ。
巨大な石造りの城壁が、地平線の端から端まで続いている。高さは——想像がつかない。ビルの十階建てくらいはある。その上に、旗が何十本もはためいていた。
城壁の内側に、街が広がっている。尖塔が幾つも空に伸び、その先端で青白い光が灯っている。家々の窓にも同じ光。街全体が、幻想的な光に包まれていた。
「王都クレストリアだ」
騎士が言った。
門をくぐった瞬間、世界が変わった。
音が溢れた。人々の声、荷車の音、どこかで流れる音楽。
匂いが変わった。焼いた肉の匂い、甘い果物の匂い、花の匂い、石畳の匂い。
そして——魔法があった。
道端で、男が手のひらから火を出して肉を焼いている。屋台だ。客が並んでいる。
荷物を宙に浮かせて運んでいる女性がいる。まるで透明な手で持っているみたいに、木箱がふわふわと空中を移動している。
子供が走っている。その隣を、犬くらいの大きさの——何だあれ。トカゲ? いや、背中に小さな翼がある。子供がそれに「待ってー!」と叫んでいる。
「召喚獣だな」ユウスケが言った。
「え、なんで分かるの?」
「そういう世界だろ。ゲームと同じだ」
冷静すぎるだろ、こいつ。
「ワタル先輩、見て見て! あの人、空飛んでる!」
フタバが窓から半分身を乗り出した。引っ張り戻す。危ない。
見上げると、鎧を着た騎士が空を飛んでいた。背中に翼はない。足元に光の円盤みたいなものがあって、それに乗っている。
「魔素を足場にしているのでしょうか……」リクトのペンが止まらない。「驚異的です。これだけでも論文が三本は書けます」
「リクト、ここに論文出す学会ないぞ」
「将来的に設立します」
真顔で言うな。
ハルカは窓の外を見つめていた。街の光が、ハルカの瞳に映っている。
「きれい……」
小さくそう呟いた。幻想的な街並み、魔素の光、夕暮れの空。——確かに、きれいだった。
でも俺はハルカの横顔の方が——いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。
馬車が大通りを進む。市場を抜けると、屋台が並ぶ広場に出た。
焼いた肉。串に刺さった何かの魔獣肉。チーズのような黄色い塊。湯気を立てるスープの鍋。パンを焼く石窯から漏れる香ばしい匂い。
腹が鳴った。
盛大に。
「……」
五人の視線が俺に集まった。
「いや、仕方ないだろ。昼飯食ってないんだから」
「フタバもー! お腹空いたー!」
「僕も空腹です」
「……俺もだ」
ユウスケまで認めた。ハルカが笑っている。
異世界に来て、恐怖と驚きの連続だったけど——腹は減る。人間って、そういうもんだ。
◇
門をくぐった先。城が見えてきた。白い尖塔。銀色の旗。
城下町が広がっていた。石畳の道。両側に店が並んでいる。焼きたてのパンの匂い。鍛冶屋の金槌の音。子供たちが走り回っている。犬に似た——でも角が生えている生き物が路地を横切った。
人々が馬車を見て振り返る。「異世界の召喚者だ」「子供じゃないか」「あの光を見たぞ、昨夜の」。ひそひそ声。好奇の目。
フタバが手を振った。「こんにちはー!」。子供たちが手を振り返した。ユウスケが「やめろ」と小声で言ったが、フタバは聞いていなかった。
リクトが街並みをスマホで撮ろうとして——「あ。圏外です」。当たり前だ。異世界に電波はない。
ハルカが俺の袖をつまんだ。「ワタル。あの城、きれいだね」。「ああ」。きれいだ。でも——あの城の中に、何が待っているか分からない。
あの城の中で——この世界の王が、俺たちを待っている。
胸が高鳴った。期待か、不安か。たぶん、両方だ。




