管理された戦争
リクトが、テントの中で水晶盤を睨んでいた。
三日間、寝ていないらしい。目の下に隈。眼鏡が曇っている。シェルの甲羅が青白く明滅を繰り返している。
「リクト、少しは寝ろよ」
「もう少しです。もう少しで——見えます」
水晶盤にデータが流れている。戦闘記録。補給記録。命令書。前線と後方の通信記録。リクトがシェルを通じて、この一ヶ月分の記録を全て収集していた。無許可で。
「できました」
リクトが顔を上げた。隈の下の目が、鋭かった。
「この戦争——管理されています」
◇
五人がテントに集まった。リクトが水晶盤を中央に置く。光の図表が浮かぶ。
「まず戦線の推移を見てください。この三ヶ月間、前線はほぼ動いていません。押しも引きもしない」
図表を指す。赤い線(王国)と青い線(魔族)がほぼ平行に走っている。
「普通の戦争なら、戦線は波を打ちます。攻勢と防御が交互に来る。でもこの戦線は——直線です。まるで定規で引いたように」
「偶然じゃないのか」ユウスケが聞いた。
「偶然の確率は0.3%以下です。次に補給記録。前線に届く物資は常に『足りないが壊滅しない量』に調整されています。多すぎず、少なすぎず。そして命令書——」
リクトの声が低くなった。
「攻勢の命令は、必ず魔族側の防御が最も強い地点に向けて出されています。勝てる場所ではなく、勝てない場所に。意図的に膠着させるための命令配置です」
沈黙。テントの中の空気が冷えた。
「つまり——誰かが、この戦争を続けさせている」
ユウスケの声が硬い。
「誰が得をする?」
「王国と魔王。両方です」リクトが眼鏡を押し上げた。「戦争が続けば、王国は戦時体制を維持できる。国民の不満を外に向けられる。ナンバーズの製造が正当化される。魔王側も同様——戦争がある限り、魔族を統率できる」
「人が死んでるのに——そんな」ハルカの声が震えた。
「ひどい……」フタバが俯いた。ガンがフタバの背中に鼻を寄せた。
俺は拳を握っていた。
ガレスの声が蘇る。「国王は、お前が思っているような人間じゃない」。
——あの言葉の意味が、今、完全に理解できた。
◇
その夜。
前線基地の外れ。見張りの交代の隙に、一人で外に出た。
遠くに光が見えた。赤い光。何かが燃えている。
——魔族の村だ。
影に隠れて近づいた。ノクスが肩の上で毛を逆立てている。「クゥ……」と低い唸り。
村が燃えていた。先日偵察した村とは別の場所。だが同じ——非戦闘員の集落。
焼いているのは——人間だった。
虚ろな目。表情のない顔。統一された黒い鎧。機械のような動き。
ナンバーズ。
学園の廊下ですれ違った時に見た、あの目。光のない目。あの時は一人だった。今は——十人以上が、一糸乱れぬ動きで村を焼いている。
家が崩れる。悲鳴が聞こえる。子供の泣き声。
俺は——動けなかった。
助けに行くべきだ。でも——ナンバーズ十人以上。俺一人では。
拳を握った。爪が掌に食い込む。
セリア先輩の声が、後ろから聞こえた。
「見てしまったのね」
振り返ると、先輩が立っていた。表情が暗い。
「あれがナンバーズの実戦よ。私たちとは別次元の戦力。……そして、止める手段がない」
「先輩は——知ってたんですか」
「前線に来てから知った。何度も見た」
セリア先輩が目を伏せた。
「ガレスが……裏切った理由が、少し分かった気がする」
——師匠は、これを知っていたのだ。もっと前から。だから——動いた。
◇
◇
——同じ頃。王都。王城。
リーシャが廊下を歩いていた。
ソラが肩にいる。翼を畳んで。
父の書斎の前を通る。扉が閉まっている。いつも閉まっている。中から魔素の光が漏れている。誰かと——話している声が、微かに聞こえる。
すれ違う近衛騎士たちが頭を下げる。「リーシャ様」。誰も名前で呼ばない。様をつけて。距離を置いて。
ソラが翼でリーシャの頬に触れた。
「……ありがとう、ソラ」
ここには友達がいない。ワタルたちは前線にいる。フタバの声も、ハルカの笑顔も、ここにはない。
一人だ。——また、一人だ。
でも——肩にソラがいる。あの学園の窓際の席で一人だった時も。ずっと。
「手紙を書こう」
部屋に戻った。羽ペンを取った。ワタルに。みんなに。この不安を——伝えなければ。
◇
翌日。リーシャから手紙が届いた。
紙の封筒。王家の紋章の封蝋。リーシャの几帳面な文字。
「ワタルへ。
近衛騎士団での生活にも慣れてきました。ソラは元気です。
一つ、気になることがあります。
父上の様子がおかしい。夜中に書斎に籠もり、誰とも話さない日が増えました。
ナンバーズの数が増えています。城の地下に新しい施設が作られている気配があります。以前、あなたと忍び込んだ書斎の近くです。
それと——最近、私の周りに見知らぬ近衛が配置されました。護衛と言われましたが、監視に近い。行動を報告されている気がします。
私は——父上が怖い。あの人が何をしようとしているのか、分かりません。
みんなは元気ですか。フタバは泣いていませんか。
……あの丘の木の下の名前、まだ残っていますか。
リーシャ」
最後の一行が——胸に刺さった。
あの木。六人と六体の名前。影喰みの剣で掘った文字。
手紙を読みながら、思い出していた。
元の世界。中学生の帰り道。
五人で歩く夕暮れの道。ユウスケが俺のジュースを奪った。「おい返せ」「先に飲んだ」。フタバが「ずるい! フタバにもちょうだい!」。リクトが「分ければいいでしょう」。ハルカが笑った。「みんな仲良くしなよ」。
何でもない。本当に何でもない日常。特別なことは何一つなかった。
——それが、一番大切だった。
今なら分かる。
帰りたい。あの帰り道に。あの夕暮れに。丘の上の木の下に。
でも——帰る前に、やることがある。
◇
「リーシャが監視されている」
テントで五人に手紙の内容を共有した。
「国王が何かをしようとしている。ナンバーズの増産。新しい施設。そしてリーシャの周りに見知らぬ近衛——これは護衛じゃない。監視だ。リーシャが国王にとって邪魔になり始めている」
ユウスケが腕を組んだ。「だが今は前線だ。勝手に動けば軍法会議だぞ」
「分かってる。でも——」
「情報が足りません」リクトが遮った。冷静な声。「今動くのは危険です。もう少し集めましょう。国王が何を計画しているか。ナンバーズの新施設が何なのか。根拠なく動けば、ただの反逆です」
「……ガレスと同じになるぞ」ユウスケが低く言った。
その一言が刺さった。
師匠は単独で動いた。そして——消えた。
同じ轍は踏めない。
「……分かった。リクト、情報を集め続けてくれ。俺は——待つ」
「待つだけじゃありません」リクトが水晶盤を掲げた。「僕が必要な情報を揃えます。全ての真実を。データは嘘をつきませんから」
クラス対抗戦の時と同じ台詞。でも——今はもっと重い。
ハルカが俺の手を握った。
「一緒に考えよう。一人で抱えないで」
「……ああ」
フタバが鼻をすすった。「フタバも戦う。みんなを守る」
ガンが低く唸った。同意の声。
管理された戦争。ナンバーズという兵器。国王の野望。
この国は、何を隠している。
——答えに辿り着くまで、まだ時間がかかる。
でも、必ず辿り着く。六人で。




