王女の行方
急報は、夜明け前に届いた。
「近衛騎士リーシャ——行方不明」
伝令の声が、テントの中に響いた。
体が動いていた。考えるより先に。ベッドから飛び起き、影喰みの剣を影から引き抜いていた。
「行く」
「待て」
ユウスケの手が肩を掴んだ。強い手。
「一人で行くな。情報がない。罠かもしれない」
「待てない。リーシャが——」
「だから待てと言ってる。ガレスと同じになるぞ」
その言葉で——足が止まった。
師匠は単独で動いた。城に乗り込んだ。そして消えた。
同じ失敗は——できない。
「……リクト」
「分かっています」リクトが既に水晶盤を起動していた。シェルの甲羅が高速で明滅する。「リーシャさんの最後の位置情報を追跡します。近衛騎士団の通信記録から——」
三分。
「見つけました。王都。王城の地下区画。ナンバーズ製造施設の隣接区域です」
——地下。あの、学園の地下で見た施設と同じ場所。
「ワタル」ユウスケが言った。「俺たちも行く」
「いや。全員で動いたら脱走だ。軍法会議になる」
「お前一人でも同じだろ」
「一人なら——闇で忍べる。見つからなければ、行っていないのと同じだ」
ユウスケが俺を見た。数秒。それから——拳を差し出した。
「帰ってこい」
拳を合わせた。
「ああ」
◇
王都。夜。
闇の鎧を薄く纏い、影に紛れて走る。影の支配。自分の存在を影に溶かす応用。完全に消えるわけじゃないが、暗がりにいる限り、気配がほぼ消える。
ノクスが先行して偵察する。闇属性同士の共鳴で、視界を共有できる。ノクスの赤い目が闇の中を見通す。
王城。裏口。衛兵の交代時間。リーシャと忍び込んだ夜の記憶が——今、役に立つ。
地下への階段を降りる。空気が変わる。魔素が濃い。頭が痛い。
廊下。金属の扉が並んでいる。ナンバーズ製造施設。あの学園で見た地下と同じ構造。同じ冷たさ。同じ——虚ろな目の人間たちが、硝子の向こうに横たわっている。
ノクスが「クゥ」と低く鳴いた。右の通路の奥。
走った。
部屋があった。鍵がかかっている。影喰みの剣で斬った。錠が落ちる。
中に——リーシャがいた。
椅子に拘束されている。手首と足首に魔素の枷。意識はある。だがナンバーズ化の準備段階——体に魔素管が繋がれていた。まだ注入は始まっていない。間に合った。
「リーシャ!」
リーシャが顔を上げた。目が大きくなった。
「ワタル……なぜ——」
枷を闇の剣で斬る。魔素管を引き抜く。リーシャの体を支える。
「ちょっと眠れなくて散歩してたら、偶然」
「……嘘つき」
リーシャの目が——潤んだ。
「こんなところまで散歩する馬鹿がどこにいるのよ」
「ここにいる」
リーシャが——笑った。涙を流しながら。泣きながら笑う顔を、初めて見た。
「……ほんとに、馬鹿」
目を拭った。一度だけ。それで終わり。次の瞬間にはもう、リーシャの目が戻っていた。戦う目。
暁光剣がベッドの脇に置かれていた。リーシャが握る。白い光が刀身に走った。
「帰るぞ」
「言われなくても」
◇
脱出経路。来た道を戻る。リーシャが先を知っている。「こっちよ。衛兵が少ない通路」。
走る。廊下を曲がる。階段を上がる。
——声が聞こえた。
立ち止まった。
国王の書斎。扉が半開きだった。中から光が漏れている。
見るな。今は逃げろ。頭ではそう思った。
でも——足が止まった。
扉の隙間から、中が見えた。
国王が立っていた。背を向けている。机の上に魔素通信装置がある。空中に光の像が浮かんでいた。
人影。通信相手。フードを被った人物。声が聞こえる。
「大儀式の準備は順調だ」
国王の声。
「予定通り進めろ」
通信相手の声。低い。冷たい。
「ナンバーズの増産は計画通り。闇属性の転移者は前線にいる。必要になれば回収する」
——俺のことだ。
「転移者の闇は、大儀式の触媒に最適だ。あの力は——木から生まれた力だからな」
木。
丘の上の——木。
「世界を維持するためだ。犠牲は必要だ。エレアの時と同じように」
エレア。ガレス師匠の仲間。「必要な犠牲」と呼ばれた女性。
通信相手がフードを少しずらした。その顔が——
魔王アザレア。
国王と——魔王が、手を組んでいた。
リーシャが俺の腕を引いた。「行くわよ! 今は——」
走った。全力で。
城を抜けた。夜風が頬を打つ。心臓が破裂しそうだ。
リーシャが隣で走っている。暁光剣を握りしめている。
「聞いたわね」
「ああ」
「父上が——魔王と」
リーシャの声が震えていた。怒りと悲しみが混じっている。
学園時代に書斎に忍び込んだ時、リーシャは「父上が怖い」と言った。前線にいた時の手紙に「父上の様子がおかしい」と書いた。
——その答えが、これだ。
父親が、魔王と手を組んで、戦争を管理して、人を犠牲にしていた。
リーシャの父が。この国の王が。
王都を離れた。月明かりの道。二人で走る。ノクスが上空を飛んで警戒している。
「ワタル」
「ん」
「……ありがとう」
小さな声。あの月明かりの廊下と同じ声。あの時と同じ——プライドが邪魔して素直に言えない声。
「聞こえない」
「……二度は言わないわよ」
同じやり取り。あの時と同じ。でも——二人とも、あの頃より強くなった。
前線に戻った。仲間が待っていた。
全てを話した。国王とアザレアの共謀。管理された戦争の真実。ナンバーズの目的。俺の闇が「大儀式の触媒」として狙われていること。
テントの中が静まり返った。
フタバが泣いていた。声を殺して。ハルカがフタバの肩を抱いていた。リクトが眼鏡を外して目を押さえていた。ユウスケの拳が白かった。
リーシャが——俯いていた。
「父上が……こんなことを」
誰も責めなかった。リーシャの父が黒幕だと分かっても、誰もリーシャを責めなかった。
フタバがリーシャの手を握った。「リーシャのせいじゃないよ」
リーシャの肩が震えた。声を出さずに。
——この戦争は、全部嘘だったのか。
守るべき国が。信じるべき王が。戦う理由だと思っていた全てが。
足元から——崩れていく。




