戦場
前線基地は、学園とは何もかも違った。
荒れた大地。枯れた木。空気が重い。魔素汚染。息を吸うだけで肺が焼ける感覚がある。空は灰色で、太陽の光が弱い。
馬車を降りた五人は、黙って立ち尽くした。
ここが——俺たちの配属先。王国騎士団第七中隊。前線の最前線。
「……学園と全然違う」
フタバが呟いた。声が小さい。ガンがフタバの横に寄り添った。
テントが並んでいる。泥だらけの通路。疲れ切った顔の騎士たちがすれ違う。目に光がない者もいる。
「待ってたぞ」
声。聞き覚えがある。
テントの前に、セリア先輩が立っていた。隣にルーク先輩。少し離れてガルド先輩。三人とも——学園の時より、少しだけ目が鋭くなっていた。
「先輩!」
「元気そうね」
セリア先輩が微笑んだ。でもすぐに表情を引き締めた。
「歓迎の暇はないわ。今日中にブリーフィング。明日から実戦よ」
——明日。
◇
翌朝。初めての実戦。
魔物の群れが前線基地に接近。中型の獣型魔物。二十体以上。
学園のダンジョンとは次元が違った。
ダンジョンの魔物は「訓練用」だ。強いけど、命を取りに来ない。学園の結界が最後に守ってくれる。
ここには——結界がない。
殺される。本当に。
「散開! 各班で迎撃!」
隊長の号令。五人が前に出る。ユウスケが風切りの双剣を抜いた。ハルカが聖光の杖を構えた。フタバが炎纏のガントレットに火を灯した。リクトが解析の水晶盤を起動した。
俺は影から影喰みの剣を引き抜いた。黒い刀身が闇を纏う。
一体目。飛びかかってくる。牙が見える。
斬った。
手応え。血が飛ぶ。温かい。——生き物の血だ。
二体目。三体目。ユウスケの風が群れを分断する。フタバの炎が壁を作る。ハルカの光が傷ついた騎士を癒す。リクトの声が飛ぶ。「右翼に三体! ユウスケさん!」
連携は——動く。学園で叩き込んだ連携は、実戦でも機能した。
でも——
フタバの手が震えていた。
炎纏のガントレットが、かすかに震えている。拳を振り上げるたびに。ガンがフタバの前に立って、突進で魔物を弾き飛ばす。フタバを守るように。
フタバは十五歳だ。三年前は十二歳だった。成長した。強くなった。でも——本物の血を浴びるのは、初めてだ。
「フタバ!」
「分かってる……! 分かってるから……!」
拳を振った。炎が魔物を焼いた。目に涙が浮いていた。怖いのだ。怖くて当然だ。
でも——退かなかった。
戦闘中、上位の魔物が現れた。通常の二倍の大きさ。甲殻に覆われている。
騎士たちの剣が弾かれる。風が通らない。炎も効かない。
「硬すぎる——!」
部隊が押される。壊滅しかける。
俺が前に出た。
闇の鎧。全身を黒い闇が覆う。影喰みの剣に闇を集中させる。
踏み込んだ。一閃。
——甲殻が裂けた。闇の刃が、他の属性では破れない防御を貫通した。
二撃目。胴体を両断。魔物が崩れ落ちた。
周囲が静まった。
騎士たちが俺を見ている。畏怖の目。
「あれが……闇属性の……」
禁忌を宣告されたあの日と同じだ。恐怖と好奇心が混じった目。禁忌の力を持つ者を見る目。
——慣れた。慣れたけど、痛くないわけじゃない。
◇
夕暮れ。
戦闘が終わった前線基地。五人でテントの前に座っている。
食事。配給の堅いパンと、薄いスープ。肉片が少しだけ浮いている。
ワタルが一口食べた。
「……学園の食堂が恋しい」
「カレーもどき食べたい……」フタバが呟いた。声に元気がない。
ハルカがフタバの隣に座った。何も言わず、肩に手を置いた。フタバが少しだけ、ハルカに寄りかかった。
ユウスケが黙って空を見ていた。何か考えている目だ。
「……なあ」
「ん」
「この戦争、何のためにやってるんだ」
誰も答えなかった。
魔王を倒すため。人類を守るため。それが公式の理由だ。だが——今日戦った魔物は、前線基地を攻めてきた。なぜ攻めてきたのか。俺たちが彼らの領地の近くにいるからだ。
守っているのか。攻めているのか。
——分からなくなりかけている。
◇
三日後。偵察任務。
森の奥。魔族の領地の境界。
俺とユウスケとリクトの三人で、敵の配置を確認する任務だった。
森を抜けた先に——集落があった。
小さな村。石造りの家が十数軒。煙が立ち昇っている。生活の匂い。
そして——子供がいた。
角が生えた小さな子供。紫がかった肌。大きな目。俺たちと同じくらいの年の子もいれば、フタバより小さい子もいる。
子供が俺に気づいた。
怯えた目。小さな手で、もっと小さな子供を背中に隠した。
武装していない。この村に戦闘員はいない。老人と、子供と、母親たち。
——こいつらが、敵?
「リクト」
「はい。……武装はありません。非戦闘員の集落です」
ユウスケが黙っている。拳を握っている。
無線が入った。本部からの命令。
『偵察班へ。該当集落を敵性拠点と認定。後続部隊による掃討を許可する。退避せよ』
掃討。
この村を——壊せということか。
「……退避しましょう」リクトが言った。声が硬い。「命令です」
俺は——子供を見ていた。角が生えた子供。怯えた目。背中に隠した、もっと小さな子供。
あの目を知っている。
フタバが丘の上の木の下で泣いていた時と——同じ目だ。
帰還後、テントの中で五人が向き合った。
「あの集落のこと、上に報告したか」
「した」ユウスケが言った。「だが——報告書は『敵性拠点の確認』としか書かれていなかった。子供がいたことは記載されていない」
「情報が操作されている……?」
「分からない。だが——気持ち悪い」
リクトが水晶盤を見つめていた。「この戦争、おかしいです。非戦闘員の集落を攻撃する命令が出ている。前線と後方の情報が食い違っている。まるで——誰かが意図的に、戦争を拡大させているように」
沈黙。
ガレス師匠の声が蘇る。
「国王は、お前が思っているような人間じゃない」。
あの言葉の意味が——少しずつ見えてきた。
戦場は、学園とは違う。
ここでは人が死ぬ。本当に。
そして——何のために死ぬのか、誰も教えてくれない。




