受け継ぐもの
卒業の一週間前。
セリア先輩が六人を呼び出した。先輩たちは一年前に卒業してそれぞれの道に進んでいたが、この日のために全員が学園に戻ってきた。
「渡したいものがある。ついてきなさい」
向かった先は——ガレスの道場跡だった。
久しぶりに来た。扉は開いたまま。埃が積もっている。壁の木剣は数が減っていた。床に酒瓶が一本。あの日と同じ場所に。
空気が重い。師匠の匂いはもうしない。酒の匂いも、焦げた料理の匂いも。
「こっちよ」
セリア先輩が道場の奥に進んだ。床板を外す。——隠し部屋があった。知らなかった。
「ガレスが……あなたのために残していたのよ」
セリア先輩が俺を見た。
「いつか弟子が取りに来ると信じて」
階段を降りる。小さな部屋。棚に一つだけ、木箱が置かれていた。
開けた。
剣。
黒い刀身。長さは俺の腕くらい。鍔に紋章が刻まれている。柄は使い込まれた革。だが刀身は新しい。——いや、古い。古いのに、新しく見える。闇の魔力が、脈打っている。生きているみたいに。
「影喰みの剣。ガレスが若い頃に手に入れた闇属性の武器よ。ずっとここに隠していた。『いつか、闇属性の弟子が来たら渡してくれ』って」
——師匠。
俺が弟子になる前から。俺がこの世界に来る前から。師匠は——この剣を残していた。
握った。
闇が——応えた。
剣から闇の波動が走る。右手を通じて、全身に。俺の闇と、剣の闇が共鳴する。
そして——影が動いた。
俺の足元の影が、剣に向かって伸びた。黒い影が剣を包み込む。飲み込む。
剣が——影の中に消えた。
手に何も残っていない。でも、影の中に剣がある。感覚で分かる。すぐに取り出せる。
「……何、今の」
「影が剣を飲んだ……?」リクトが目を見開いた。「影の中に収納——これは新しい能力の発現です!」
右手を影に伸ばす。——影喰みの剣が、手の中に戻った。瞬時に。
師匠が残した剣。俺の闇と共鳴する剣。影の中に眠る剣。
「……ありがとう、師匠」
声が震えた。目が熱い。
セリア先輩が微かに笑った。「ガレスが見たら……泣くなって言うわよ、きっと」
「泣いてないです」
「嘘ね」
◇
六人全員に、武器が渡された。
ユウスケ。木箱の中から双剣を取り出した。セリア先輩が説明する。
「ロイドの形見よ。生前に鍛えていた未完成品を、私が仕上げた。風切りの双剣」
ユウスケが二本の剣を握った。風が渦を巻いた。髪が揺れる。フェンリルが低く吠えた。共鳴。
ユウスケは何も言わなかった。ただ、双剣を胸の前で交差させて——目を閉じた。
ハルカ。ミレイ先輩から白い杖を受け取った。聖光の杖。代々、光属性の使い手に受け継がれてきた。
「あなたに託すわ。大切に使って」
「ミレイ先輩……ありがとうございます」
ルミが杖の先端に止まった。白い光が溢れた。温かい光。
フタバ。ガルド先輩が手渡したのは赤いガントレット。炎纏のガントレット。
「お前の戦い方に合わせて作った。特注品だ。壊すなよ」
「壊さない! ……たぶん!」
「たぶんって言うな!」
フタバがガントレットを嵌めた。拳を握ると赤い光が走った。ガンが嬉しそうに鼻を鳴らした。
リクト。リーネ先輩との共同開発品。解析の水晶盤。手のひらサイズの水晶の板に、光の文字が浮かぶ。
「シェルと連動させれば、戦場全体をリアルタイムでマッピングできます」
「素晴らしい……」リクトの目が輝いた。シェルの甲羅が青白く光って、水晶盤と同期した。
リーシャ。最後の一人。
リーシャが取り出したのは——白い剣。自分で持ってきていた。
「母上の形見。暁光剣。……父上の書斎から持ち出したの」
白い刀身に金の紋章。光属性を纏う王家の剣。リーシャが握ると、剣が白く輝いた。ソラが翼を広げて呼応した。
「母上は……優しい人だった。この剣で、私は誰かを守る」
声が少しだけ震えていた。でも、目は真っ直ぐだった。
六人。六本の武器。先輩たちから受け継いだもの。師匠が遺したもの。母が残したもの。
道場の前に立って、夕暮れの空を見上げた。
ワタルが影喰みの剣を掲げた。黒い闇が纏う。
「これが、先輩たちが俺たちに残してくれたものだ。——無駄にしない」
五人が頷いた。六色の光が夕暮れの空に映える。闇、風、光、炎、地、光。
◇
卒業が近づく。
三年間。長かった。でも——短かった。
セリア先輩が訓練場で俺を待っていた。最後の組み手。
「あなたを見て、私も成長できたわ」
「それは俺の台詞です、先輩」
「生意気な弟子ね」
笑い合った。セリア先輩の笑顔。最初に手を差し出してくれた人。「ランク外でも剣は振れる」と言ってくれた人。
ルーク先輩がユウスケと向き合った。無言。拳を合わせた。それだけ。でもそれが、二人の全てだった。フェンリルがルーク先輩に一度だけ頭を下げた。
ミレイ先輩がハルカを抱きしめた。「立派になったわね」。ハルカが泣いた。ルミが二人の間で小さく光った。
ガルド先輩がフタバの頭をガシガシ撫でた。「でかくなったな!」「身長は変わってないよ!」「心がでかくなったってことだ!」。フタバの目が潤んだ。ガンが低く鳴いた。
リーネ先輩がリクトに論文の束を渡した。「一緒に研究した成果よ。続きは、あなたに託すわ」。リクトが眼鏡を押さえた。曇っていた。シェルのせいじゃない。
ヴァン先輩がリーシャの前に立った。「王女ではなく、一人の騎士として——誇りに思う」。リーシャが唇を噛んだ。「ありがとう……ございます」。敬語。珍しかった。
◇
夕方。寮の前。
ノエルが立っていた。
目が真っ赤だった。泣いた後だ。
「先輩……」
「ノエル」
「卒業、しないでください……」
「馬鹿。卒業はするだろ」
「でも……先輩がいなくなったら、フタバはどうすれば……あ、フタバじゃないです、私は……」
言い間違えている。フタバの口癖が移ったのか。
ノエルの頭に手を乗せた。ぽん、と。
「お前は強くなれる。俺が保証する」
「……保証、ですか」
「ああ。俺の後輩だからな」
ノエルが顔をくしゃくしゃにして泣いた。声を上げて。子供みたいに。
ノクスがノエルの肩に飛び乗った。「クゥ」と鳴いて、頬を擦りつけた。ノエルが「ノクス……」と小さく笑った。泣きながら。
寮に帰る途中、ユウスケが隣に来た。
「明日だな」
「ああ」
「長かったな」
「短かったよ」
「……そうだな。短かった」
二人で黙って歩いた。寮の廊下。何百回と歩いた廊下。明日から、もうここは通らない。
明日——卒業する。




