星月夜
星月夜の舞踏会。
大ホールに足を踏み入れた瞬間、息を呑んだ。
天井から無数の魔素灯が吊り下げられていた。星のように。青白い光が微かに揺れて、本物の夜空みたいだった。床は磨かれた大理石。壁には花が飾られている。金色の小さな花。リーシャの花冠に使ったのと同じ花だ。
生徒たちが正装している。男子は黒の礼装。女子はドレス。
俺は——正直、礼装が似合わない。鏡を見た時にユウスケに「まあ……悪くはない」と言われた。フォローが雑すぎる。
でも。
ハルカを見た瞬間、そんなことはどうでもよくなった。
白いドレス。
シンプルだった。飾りが少ない。でもハルカには、それが一番似合う。黒い長い髪がドレスの白に映える。いつもの穏やかな笑顔が、今日は少しだけ——緊張している。
「……どう、かな」
「——綺麗だ」
考えるより先に出た。本心だ。
ハルカの頬が赤くなった。「……ありがとう」
◇
音楽が始まった。弦楽器と、笛と、打楽器。元の世界のクラシックに似ているが、旋律がどこか異世界らしい。不思議な浮遊感がある。
踊った。
下手くそだった。ステップが合わない。右を踏むべきところで左を踏む。ハルカの足を踏んだ。
「ごめん」
「いいよ。楽しい」
ハルカが笑った。俺も笑った。周りの生徒たちが優雅に踊る中、俺たちだけがおぼつかない。でも——楽しかった。
ハルカの手が温かかった。肩に置いた手。指が触れている。それだけで心臓が暴走する。
「ワタル」
「ん」
「足、見なくていいよ。私を見て」
目を上げた。ハルカの目が近い。黒い瞳の中に、魔素灯の星が映っている。
——綺麗だ。
足を踏まなくなった。ハルカを見ているだけで、自然に体が動いた。不思議だった。
周囲ではそれぞれのドラマが繰り広げられていた。
フタバとガルド先輩が豪快に踊っている。二人とも力が強すぎて、周囲の生徒が巻き込まれて転んだ。「すまん!」「あはは!」。台風みたいなペアだ。
ユウスケとセリア先輩が美しく踊っている。ユウスケの動きが正確で、セリア先輩が驚いた顔をしている。「……意外とできるじゃない」「舐めないでください。三日間練習しました」「三日で?」「先輩が恥をかかないように」。セリア先輩が少しだけ頬を赤くした。
リクトとリーネ先輩が——踊っていなかった。隅の席で魔法理論の議論をしている。ノートを広げている。シェルとリーネ先輩の召喚獣がデータを交換している。「この係数が——」「いえ、ここは——」。二人にとってはこれがダンスなのかもしれない。
ディオンとリーシャが堂々と踊っていた。二人とも見栄えがいい。リーシャの金髪が舞い、ディオンの銀灰色の髪が揺れる。完璧なフォーム。「……悪くないわね」「お前もな」。この二人、似ている。
——そこに、嵐が来た。
ノクスが天窓から飛び込んできた。翼をバタバタさせて、真っ直ぐに料理テーブルに突っ込んだ。
肉の山にダイブ。
「ノクスーーー!」
「クゥ!」
口に肉を咥えて飛び回る。フェンリルが追いかける。ガンがホールの入り口に入ろうとして——挟まった。体が大きくなりすぎて、扉を通れない。
「ガンーーー! 入らないでって言ったのにーーー!」フタバが叫んだ。
大ホールが笑いに包まれた。先生も、生徒も、全員が。
——最高の夜だ。
◇
一曲が終わった後、ハルカを連れてバルコニーに出た。
夜風が心地いい。空に二つの月。星が瞬いている。
二人きり。背後から微かに音楽が聞こえる。
「今日、楽しかった」
ハルカが月を見上げて言った。
「ああ。俺も」
「ワタルのダンス、下手だったけど」
「……分かってる」
「でも——一番楽しかった」
ハルカが俺を見た。月明かりの中の笑顔。
——あの丘の夕暮れを思い出す。帰り道、五人で歩いた夕暮れ。ハルカがいつも俺の隣にいた。何年も。ずっと。
手のひらが熱い。ハルカの指先に触れたい。でも——
ハルカの方から、指先が触れた。
小指。月明かりの約束と同じ。小指が絡む。
その瞬間——手のひらから淡い光が溢れた。
紫の光。
光と闇が混ざった色。ハルカの白い光と俺の黒い闇が、指先で溶け合って、紫色の蛍のように二人の周りを舞った。
意図していない。勝手に灯った。二人の気持ちが、魔力に反映して。
「……綺麗」
ハルカの声が震えた。
紫の蛍が、バルコニーの夜風に乗って空に昇っていく。二つの月に向かって。
——好きだ。
言えなかった。まだ。でも——指先が伝えている。紫の光が伝えている。言葉にしなくても、ハルカには届いている。そう信じたかった。
ハルカが俺の肩に頭を預けた。軽い。温かい。
「……帰ったら、あの丘に行こうね」
「ああ。約束だ」
二回目の約束。同じ約束。でも——今の方が、ずっと重い。ずっと温かい。
◇
夏。
学園の長期休暇。六人で遠出した。——無許可で。
「校則違反だぞ」
「前も言ったじゃん、バレなきゃいいんだよ!」フタバが目を輝かせた。
あの遺跡。転移した夜、俺たちが目覚めた場所。遺跡の中央の小さな丘。その上に立つ——大きな木。
元の世界の丘の木と同じ形。同じ大きさ。同じ枝の伸び方。あの夜、ハルカが「私たちの、あの木」と言った木。
王都から夜通し歩いた。馬車は目立つから。六人と六体の召喚獣が、星空の下を歩く。フタバがガンの背中で寝た。ユウスケがフェンリルと並んで黙々と歩いた。リクトが「歩行ペースを維持すれば到着は午前三時です」と言った。リーシャが「データはいいから歩きなさい」と返した。
遺跡は当時のまま残っていた。崩れた石柱。天井のない広い空間。そして——あの木。
六人で木の根元に座った。夜。二つの月。満天の星。夜風が木の葉を揺らしている。あの夜と同じ音。さわさわと、優しい音。
「……ここから始まったんだよね」フタバが草の上に寝転がった。「この木の下で、目が覚めて」
「怖かったよな」
「うん。でも……みんながいたから」
ユウスケが黙って空を見ている。リクトがシェルの甲羅に星座をマッピングしている。「この世界の星座体系は、興味深いですね」。
リーシャが隣で「……ええ」と小さく呟いた。
召喚獣たちが木の根元で丸くなっている。フェンリルが目を閉じている。ルミがソラの背中で寝ている。ガンの上にシェルが乗っている。
ノクスが——俺の膝の上で、じっとしていた。
赤い目が、俺を見上げている。
あの目だ。悲しそうな目。闇の力が強くなるたびに深くなる、あの目。
——なぜ、お前はそんな目をするんだ。
聞きたかった。でも、今夜は聞かないことにした。
今夜は——ただ、ここにいたい。
「この時間が、ずっと続けばいいのに」
フタバが言った。学園祭の花火の夜にも言った。同じ言葉。
「続くよ」
ハルカが言った。
「帰ったら、またあの丘で。ずっと」
「ずっと、か」ユウスケが小さく呟いた。
「ずっとです」リクトが頷いた。
「……ずっとね」リーシャが空を見ていた。
六人。六体の召喚獣。大きな木の下。二つの月。星空。
この景色が——世界で一番美しいと、俺は思った。
帰り道、巡回の教官に見つかりそうになって全員で茂みに隠れた。フタバが笑いを堪えきれず、俺が口を塞いだ。教官が通り過ぎた後、全員で爆笑した。声を殺して。肩を揺らして。ノクスが「クゥ?」と首を傾げた。
——こういう夜が、宝物になるんだ。
夏の終わり。最高の一日。
この六人なら、どこまでも行ける気がした。




