星月夜の前に
後輩ができた。
いつの間にか俺たちは上級生になっていた。時間が流れるのは早い。入学した日が昨日のことのようで——でも、あの頃の俺はランク外で、木剣も満足に振れなかった。
後輩制度。先輩が後輩を一対一で指導する。俺たちがセリア先輩たちにしてもらったことを、今度は俺たちが返す番だ。
「あ、あの……ワタル先輩……よ、よろしくお願いします……」
俺の後輩。ノエル。小柄な女の子。銀色の短い髪。大きな目が震えている。顔が真っ赤だ。
「おう、よろしくな!」
ノエルが固まった。石像のように。三秒経っても動かない。
「……大丈夫か?」
「だだだ大丈夫です!」
大丈夫じゃないだろ。
他の後輩たちも個性的だった。
ユウスケの後輩、リュウト。「ユウスケ先輩! 俺、先輩みたいになりたいっす!」。暑苦しい。ユウスケが「……暑苦しい」と返した。フェンリルも少し退いていた。
ハルカの後輩、フィーナ。「ハルカお姉様……」と呼んだ瞬間に泣き出した。感動の涙。ハルカが「大丈夫よ」と優しく抱きしめた。ルミがフィーナの涙を光で拭った。
フタバの後輩、マルク。小柄で気弱な男の子。フタバより背が低い。「フタバが守ってあげる!」とフタバが宣言した。マルク「は、はい……」。ガンがマルクの頭に鼻を乗せた。重そう。
リクトの後輩、ティナ。「先輩! この魔導具、分解していいですか!?」。初対面で危険物を分解しようとした。リクト「待ちなさい危ない」。シェルが赤く警告を発した。
リーシャの後輩、エリック。「リーシャ様に仕えることが、騎士としての誇りです」。堅い。リーシャ「……様はやめて」。ソラがエリックを値踏みするように見ていた。
——賑やかになった。
◇
ノエルが俺の訓練を見学していた。
訓練場で闇の剣を振る。影が伸びる。ノクスが隣で闇の炎を吐く。
振り返ると、ノエルが柱の影から覗いている。目がキラキラしている。
「ノエル、見てないで一緒に練習するか?」
「む、無理です! 私なんかが先輩と一緒に——」
「遠慮するなって」
ノエルを引っ張り出して、基礎の素振りを教えた。俺がセリア先輩に教わったのと同じように。「足。腰。手首」。
ノクスがノエルの膝に乗った。
「わ……可愛い……」
ノエルの緊張が、少しだけ解けた。ノクスは人を見る目がある。こいつが懐くのは、心が綺麗な人間だ。
——遠くから、ハルカが見ていた。穏やかに微笑んでいた。でも、ほんの少しだけ——少しだけ、目が揺れた。
◇
ある日の朝。掲示板に告知が出た。
『星月夜の舞踏会 開催のお知らせ 男子は期限までにパートナーを正式に招待すること』
ダンスパーティー。学園の恒例イベント。
ユウスケ「面倒だな」
リクト「統計的に、この手のイベントでは恋愛関係の進展率が——」
フタバ「誰か誘ってくれないかなー!」
——俺の頭の中は、一人の顔でいっぱいだった。
ハルカ。
誘いたい。一緒に行きたい。でも——言えない。
廊下でハルカとすれ違う。「あ、ハルカ。あのさ——」「ん?」「今日の宿題ってどこまでだっけ」。違う。そうじゃない。
食堂でハルカの隣に座る。「ハルカ、話があるんだけど——」「なに?」「……このシチュー美味いな」。何言ってんだ俺。
三日目。四日目。五日目。進展ゼロ。
ユウスケが見かねて言った。「……早くしろ。見てるこっちが辛い」
六日目。廊下で見かけた。
リーシャの前に、貴族の男子が立っていた。銀の刺繍が入った制服。公爵家の子息だとリクトが前に言っていた。
「リーシャ殿下。星月夜の舞踏会に、ぜひ私と——」
「結構よ」
一秒で斬られた。見事な一刀両断。男子の顔が凍った。
「で、ですが殿下、お一人で参加されるのは——」
「一人で結構」
リーシャが歩き去った。ソラが肩の上で翼を畳んでいる。男子が廊下に取り残された。周囲の生徒が「あれで三人目だ……」と囁いている。三人目。全員斬り捨て。
——なのに。
その日の放課後。リーシャが廊下で俺に近づいてきた。
「……ねえ。誰も誘わないなら、私が相手してあげてもいいわよ」
横を向いている。耳が赤い。声は冷たいけど——これはリーシャなりの精一杯だ。
「リーシャ……」
「べ、別に行きたいわけじゃないけど。ただ、一人で行くのも格好がつかないから」
——ありがとう。でも、ごめん。
「あ、あの……せ、先輩……も、もしよかったら……」
ノエルが後ろから声をかけてきた。顔が茹で蛸だ。
「……あの、その、パーティー、で、一緒に……」
言い切れなかった。途中で「わーーー!」と叫んで走って逃げた。
フタバが俺の腕を掴んだ。「ワタル先輩! フタバと行こう!」
完全にパニックだ。
◇
夜。寮の屋上。
ユウスケが隣に立った。
「お前が誘いたいのは、ハルカだろ」
「……ああ」
「なら行けよ。何を迷ってる」
「迷ってるんじゃない。怖いんだ」
「怖い? お前が? 闇の魔物に突っ込んでいく奴が?」
「魔物とハルカは違うだろ……」
ユウスケが鼻で笑った。
「お前さ。ダンジョンで影の魔物に「逃げない」って言ったよな。あの時と同じだろ」
「同じじゃ——」
「同じだよ。後ろにハルカがいる。前に踏み出すか、退くか。それだけだ」
——ずるい。こいつはいつも、核心を突く。
ユウスケが俺の背中を押した。物理で。
「行ってこい」
◇
翌朝。訓練場の裏庭。
ハルカが一人で光の練習をしていた。ルミが肩の上で小さな光を放っている。朝日の中。白い光が、ハルカの黒髪に反射している。
「ハルカ」
振り返った。穏やかな目。いつもの笑顔。
心臓がうるさい。膝が震えている。
「ダンスパーティー」
「うん」
「俺と——行かないか」
声が裏返った。最悪だ。
ハルカが一瞬だけ、目を大きくした。それから——
笑った。今まで見た中で、一番綺麗な笑顔。
「……待ってた」
世界が止まった。
朝日が眩しい。風が吹いている。ルミが「きゅう」と鳴いた。
待ってた。待っていてくれた。いつから。食堂のあの夜から? 月明かりの約束から? もっと前から?
「お、遅くなって……ごめん」
「ううん。ワタルがちゃんと言ってくれたから。——嬉しい」
ハルカの目が潤んでいた。笑っているのに。
俺は——たぶん、同じ顔をしていた。
◇
パートナーが出揃った。
ユウスケはセリア先輩。「付き合ってあげる」とセリア先輩が言って、ユウスケが「……すみません」と返した。似合いすぎる。
フタバはガルド先輩。「踊り教えてやる!」「やった!」。豪快コンビ。
リクトはリーネ先輩。「データの話をしましょう」「是非」。踊る気がなさそう。
リーシャはディオン。「仕方ないから」「俺もだ」。二人とも横を向いている。でも——悪くない組み合わせだ。剣士同士。
ノエルはエリック後輩と。ノエルが少し寂しそうだったが、エリックが「僕でよければ、お供します」と紳士的に誘った。ノエルが「……うん」と小さく頷いた。
リーシャが、俺とハルカを遠くから見ていた。
二人が笑い合っているのを。ハルカが俺の腕に触れたのを。
リーシャが——小さく笑った。
「……遅いのよ、馬鹿」
背を向けた。廊下を歩いていく。ソラが肩の上から一度だけ振り返った。
リーシャの横顔が——ほんの一瞬だけ、目が光った。
涙じゃない。たぶん。光の加減だ。——きっと、そうだ。
明日は、星月夜の舞踏会。




