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【全62話完結済み】幼なじみと異世界転移したら俺だけ禁忌の闇属性だった——だけど、この力の代償を俺はまだ知らない  作者: 夕凪航


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喪失

 あの夜から、一週間が経った。

 師匠は見つかっていない。指名手配の光の文字が、毎朝掲示板で点滅している。


 道場で見つけた木剣を、毎日握った。

 師匠の字。「退くな。折れるな」。

 朝の二時間。放課後。夜。一人で素振りをした。師匠の声が聞こえる。「足。腰。手首」。いないのに——聞こえる。

 闇を纏わせてみた。黒い光が刀身を包む。以前より安定している。でも——師匠に見てもらえない。

「悪くないな」と言ってもらえない。

 酒瓶を置いてくれる人がいない。


    ◇


 その日は、朝から空気が違った。

 教官たちがばたばたと走り回っている。廊下に緊張が走っている。何かが起きた。

 学園の掲示板に、新しい光の文字が浮かんだ。


『元S級騎士ガレスは、逃亡中に追手との戦闘で死亡したことが確認された』


 文字が目に入った瞬間、足の感覚がなくなった。

「嘘だ」

 声が出た。自分の声だと分からなかった。

「嘘だ。師匠が——死ぬわけない」

 あの人はS級だ。元最強の騎士だ。俺が全力で挑んでも一太刀も入れられなかった人だ。追手ごときで——

 証拠品として、一本の剣が展示されていた。

 見覚えがあった。師匠の剣。いつも腰に帯びていた銀の剣。刃が折れていた。

「……」

 何も言えなかった。

 握りしめた木剣の柄に、「退くな。折れるな」の文字が食い込んでいた。


    ◇


 その日から、世界が灰色になった。

 授業に出た。何を習ったか覚えていない。食堂で食べた。何を食べたか覚えていない。

 仲間が隣にいてくれた。フタバが話しかけてくれた。ハルカが手を握ってくれた。ユウスケが黙って隣を歩いてくれた。リクトが「データ上、悲嘆反応は平均七日で——」と言いかけて、フタバに口を塞がれた。リーシャが「無理に笑わなくていいわ」と言った。

 ——全部、ありがたかった。でも、届かなかった。

 毎朝、道場に行った。もぬけの殻の道場で、一人で素振りをした。師匠の声が聞こえる。「遅い」「軽い」「もう一回」。

 いないのに、聞こえる。


 五日後。もう一つの報告が届いた。


 ロイド師範——ユウスケの師匠が、戦死した。


 公式発表では詳細は伏せられていた。だが学園内の噂は早い。

「ロイド師範がガレスを追ったらしい」

「一人で追って——戦って——」

「何があったか、誰も知らない」

 詳細は不明。分かっているのは——ロイドが、ガレスを追って、帰ってこなかったこと。


 ユウスケが廊下の壁に拳を叩きつけた。

 石壁にひびが入った。拳から血が流れた。

「……くそっ」

 低い声。震えている。怒り。悲しみ。どちらか分からない。両方だ。

 あの夜「剣を振り続けろ」と言ったロイドの声。あれが——最後の言葉だったのか。

 俺は何も言えなかった。ユウスケの隣に立って、何も言えなかった。

 二人とも——師匠を失った。


    ◇


 夜。屋上。

 俺とユウスケが並んで座っていた。

 二つの月。いつもと同じ月。でも、今日は——何もかもが遠い。

 長い沈黙。

 風の音。虫の音。音は聞こえている。でも意味がない。言葉が言葉として入ってこない。

「……師匠は、最後に何か言ってたか」

 ユウスケが聞いた。月を見たまま。

「去り際に——『もっと強くなれ』と。そっちは」

「……『剣を振り続けろ』と」

 また沈黙。長い沈黙。

 ロイド師範は真面目な人だった。ガレス師匠とは正反対で、姿勢が良くて、口数は少ないけど的確で、ユウスケと似ていた。

 ガレス師匠とロイド師範は親友だった。若い頃、エレアという女性と三人で最強と呼ばれた。エレアは国王の命で犠牲になった。何があったかは分からない。師匠は飲んだくれになった。ロイドは真面目すぎるほど真面目になった。二人とも——壊れたまま、生きてきた。

 そして今——二人とも、いなくなった。

 エレアのいない世界で、ガレスが消えて、ロイドも消えた。あの写真の三人は——もう誰も、いない。

「……泣くなよ」

 ユウスケが言った。

「お前こそ」

 俺は返した。

 二人とも——泣いていた。

 声を出さずに。月を見上げたまま。頬を伝うものを拭いもせずに。

 フェンリルがユウスケの足元で静かに寄り添っていた。ノクスが俺の肩で、小さな体を擦りつけていた。

 何も言えない夜。何も変えられない夜。

 ただ——隣にいた。


    ◇


 それから三日間、俺は部屋から出なかった。

 食事も取らなかった。訓練にも行かなかった。

 ベッドの上で天井を見ていた。何も考えられなかった。考えると、師匠の背中が浮かぶ。月明かりの中を歩いていく背中。だんだん小さくなって——消える。

 闇の剣を出そうとした。出なかった。

 師匠に教わった全てが、痛かった。構えを取ると師匠の声が聞こえる。「足。腰。手首」。素振りをしようとすると手が止まる。「遅い。もう一回」。

 ——もう一回は、ない。

 もう二度と、師匠に転がされることはない。

 枕元に、あの木剣が立てかけてある。「退くな。折れるな」。師匠の字。

 退きたい。折れたい。今は——全部投げ出したい。

 ノクスだけがそばにいた。俺の膝の上で丸くなっている。動かない。ただ、温かい。

 時々、俺を見上げる。あの目で。悲しそうな目で。

「……お前だけだな、ここにいるの」

「クゥ」

 小さな声。温かい声。

 ノクスが頬を俺の手に擦りつけた。ぐりぐりと。いつものように。

 ——こいつだけは、最初から変わらない。


    ◇


 四日目の朝。

 ドアが蹴破られた。

 ——比喩じゃなく、本当に蹴破られた。

「ワタル先輩! いつまで閉じこもってるの!」

 フタバだった。仁王立ち。目が真っ赤。泣いていた。怒っていた。両方。

「フタバさん、もう少し穏やかに……」

 リクトが後ろで額を押さえていた。扉の蝶番が壊れている。弁償だ。

「師匠がいなくなって辛いのは分かる! でもワタル先輩が閉じこもったら——フタバたち、どうすればいいの!?」

 フタバの声が震えていた。

「ワタル先輩がいないと——誰が前に立つの。誰が『大丈夫』って言ってくれるの」

 ——ああ。

 そうだった。

 俺が閉じこもっている間も、あいつらは心配して、待っていて——

「ワタルさん。データ上、三日間の絶食は身体に深刻な影響を与えます」リクトが眼鏡を押し上げた。「生物学的に許容できません」

 お前はそっちの心配か。——でも、ありがたかった。リクトらしくて。

 ユウスケが入ってきた。無言で。俺の前に立って、手を差し出した。

「立て」

 一言。

 ——こいつも師匠を失っている。こいつも辛いはずだ。なのに、俺より先に立ち上がっている。

 リーシャが扉の外に立っていた。中には入らない。でも——いる。

「早くしなさい。食堂が閉まるわ」

 不器用。最高に不器用。

 

 そして——ハルカが入ってきた。

 何も言わなかった。俺の隣に座って、手を握った。

 闇の剣を握った手。師匠に教わった手。何もできなかった手。

 その手を——ハルカが、温かく握っていた。

「……行こう、ワタル」

 目が熱くなった。

 ユウスケの手を取った。立ち上がった。膝が笑っている。三日間何も食べていないから。

 枕元の木剣が目に入った。「退くな。折れるな」。

 ——退かない。折れない。

 フタバが鼻をすすった。リクトがノートに何か書いた(たぶん「回復初日」とか書いている)。ユウスケが「飯食うぞ」と言った。リーシャが背を向けて先に歩き出した。ハルカが俺の手を離さなかった。

 ノクスが肩に飛び乗った。「クゥ」と鳴いた。


 ——師匠はいない。

 ロイド師範もいない。

 二人の師匠が教えてくれたことは、まだ俺の中にある。

 ユウスケの中にもある。

 消えていない。消えない。

 木剣に刻まれた六文字が、背中を押している。


 食堂のスープは、温かかった。

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