ライバル
月例ランキング戦。
学園の闘技場。石造りの円形競技場に、全校生徒が詰めかけていた。個人戦のトーナメント。勝てばランクアップの査定に影響する。月に一度の、実力を示す場。
対戦表が光の掲示板に映し出された。
俺の目が、一つの組み合わせで止まった。
Dランク ワタル vs Bランク ディオン。
闘技場がざわめいた。
「DがBとやんの?」
「ランク外だった転移者だろ。無謀すぎる」
「ディオンは新入生最強だぞ。瞬殺だって」
——下馬評は全員がディオンの勝ち。当然だ。ランク差が二つ。実力差はそれ以上。
観客席の一角に、ガレス師匠が座っていた。酒瓶を片手に。少し離れた席にセリア先輩もいる。腕を組んで、じっと闘技場を見ている。
「あの飲んだくれ、今日は起きてるんだ」セリア先輩が呟いた。
師匠は酒をぐびっと飲んだ。
◇
闘技場の中央。俺とディオンが向かい合った。
十メートルの距離。観客の声が遠くなる。空気が張り詰める。
ディオンが剣を構えた。訓練用の刃引きした実剣だ。Bランク以上は実剣の使用が許される。ただし試合用の魔素強化がかかっている——殺傷力はないが、重さと衝撃は本物だ。
俺は木剣。Dランクは木剣しか使えない。こちらも試合用の魔素強化済みで、金属に当てても折れない。だが——重さが違う。リーチが違う。
「手加減はしない」
ディオンの声。冷たい。でも、侮蔑はない。真剣な目。
「退くなら、今だ」
「退かないって言っただろ」
ディオンの目が、一瞬だけ——何かを確かめるように細くなった。
審判が手を上げた。
「——始め!」
ディオンが動いた。
速い。
正統派の踏み込み。教科書に載るような、完璧な型。一歩で間合いを詰め、上段から振り下ろす。
美しかった。
観客が息を呑んだ。銀色の軌跡が空気を裂く。速く、正確で、重い。これが名門の剣か。磨き上げられた正統。
——見えた。
木剣を斜めに上げて受け流す。金属と木が衝突する硬い音。腕にしびれが走る。でも——弾かれなかった。
ガレス師匠に叩き込まれた受け方。「正面から受けるな。角度で流せ」。
ディオンの目が動いた。「受けた」という驚き。すぐに次の手。横薙ぎ。速い。
体を沈めて避ける。入学直後にセリア先輩が叩き込んだ基礎。「腰を落とせ。頭の位置を変えろ」。あの時は意味が分からなかった。今は——体が覚えている。
斬り上げ。左から。見えた。後ろに跳ぶ。距離を取る。
——三合。Bランクの攻撃を三合しのいだ。
観客がざわめく。「避けた?」「Dランクが?」
でも攻撃できない。俺の木剣はディオンに届かない。速さが足りない。リーチが足りない。一方的に受けるしかない。
四合目。ディオンの突き。鋭い。かわし切れず、肩を掠めた。痛みが走る。
五合目。横薙ぎ。木剣で受ける。衝撃で一歩下がる。
六合目。フェイントから上段。見えなかった。木剣ごと押し込まれる。膝をつきかけた。
「やはり——実力が足りない」
ディオンの声。冷静な分析。その通りだ。受けることはできても、攻めに転じられない。このまま続ければ、削り殺される。
七合目。八合目。九合目。
押されている。確実に。一合ごとに後退している。闘技場の壁が近い。追い詰められている。
観客が諦めた空気を出している。「やっぱりDじゃ無理か」「頑張ったけどな」。
——頑張った「けど」。
その言葉が、一番嫌いだ。
十合目。ディオンが踏み込んだ。今までで一番強い一撃。決めに来た。上段からの全力の振り下ろし。
避けられない。受けたら木剣が折れる。
——なら。
木剣を両手で握り直した。
闇を呼ぶ。恐れない。拒絶しない。俺の一部。
——来い。
闇が——応えた。
黒い光が右手から溢れた。光が木剣に流れ込む。刀身が漆黒に染まる。修行で何百回と繰り返した、闇纏い。
闘技場の空気が変わった。温度が落ちた。光が歪んだ。黒い光が、闘技場を染めた。
時間が止まったように感じた。
観客が凍りついた。
声が出ない。動けない。全員が——黒い剣を見ている。
「闇——」
誰かが呟いた。
「闇属性——!?」
叫びが上がった。闘技場が騒然となる。「ありえない」「禁忌の——」「二百年ぶりの——」
ディオンの振り下ろしが来る。
闇を纏った木剣で、受けた。
黒い光と銀の刃が衝突する。衝撃波。闘技場の石畳にひびが入った。ディオンの体勢が崩れる。全力の一撃が——止められた。
一瞬の隙。
踏み込む。ガレス師匠に教わった型。「隙は一瞬だ。迷うな」。
闇を纏った木剣が、ディオンの胸元に到達した。
寸止め。
先端が、ディオンの鎧に触れた。黒い光が散った。
静寂。
審判の声が響いた。
「——勝者、ワタル!」
闘技場が爆発した。
歓声。悲鳴。困惑。恐怖。全部が混ざった音が降ってくる。
俺は木剣を下ろした。刀身を覆っていた闇が霧のように消える。息が荒い。全身が汗まみれだ。
目の前で、ディオンが仰向けに倒れていた。目を開けている。空を見つめている。
◇
「……闇属性」
ディオンが呟いた。空を見たまま。
「禁忌の力。それを使ってまで、勝ちたかったのか」
俺はディオンの前に立った。息を整えて。
「勝ちたかったんじゃない」
右手を、差し出した。
「退きたくなかっただけだ」
ディオンが俺の手を見た。
数秒の沈黙。闘技場の喧騒が遠い。ディオンの銀灰色の目が、俺の目をまっすぐ捉えている。
何かが、あの目の奥で動いた。怒り? 悔しさ? それとも——
ディオンが、手を取った。
引き上げる。立ち上がる。手の力が強い。剣を握る手だ。俺と同じ。
「……次は、負けない」
「望むところだ」
ディオンが背を向けた。去り際に、一度だけ足を止めた。今度は——振り返った。
「ワタル」
初めて、名前を呼ばれた。
「お前は——俺が思っていたより、強い」
それだけ言って、行ってしまった。
——足手まとい、とは言わなかった。
◇
闘技場を出た。
仲間が待っていた。——いつもの笑顔じゃなかった。
フタバが最初に走ってきた。飛びつく——と思った。でも、途中で足が止まった。
「ワタル先輩……あの黒い光、何……?」
声が小さい。怖がっている——のではない。怖がっていいのか分からない顔。
「……闇属性だ」
言った。隠せない。もう隠す意味がない。
沈黙。
ユウスケが口を開いた。
「……いつから」
「リクトが分析してくれたのは、一ヶ月くらい前だ」
「一ヶ月……」
ユウスケの目が、一瞬だけ鋭くなった。怒り——ではない。「なぜ言わなかった」という問い。でも口にはしなかった。拳を握って、開いて、もう一度握った。
「……そうか」
それだけ言った。それだけで——許してくれた。
ハルカが俺の前に立った。目が潤んでいる。でも泣いていない。
「闇属性って……禁忌って言われてるやつだよね。200年封印されていた」
「ああ」
「危ないの? ワタルの体に、悪い影響とかないの?」
——心配してくれている。闇を怖がるんじゃなく、俺の体を。
「大丈夫だ。師匠にも見てもらってる」
「……ほんとに?」
「ほんとに」
ハルカがじっと俺の目を見た。嘘をついていないか確かめるように。それから——手を伸ばして、俺の右手を取った。闇が宿る手を。
「……温かいね。普通の手だ」
「当たり前だろ」
「うん。当たり前だね」
ハルカが笑った。少し安心した顔。
「リクト先輩は知ってたんだ?」フタバが振り返った。
リクトが眼鏡を押し上げた。
「……はい。データの解析上、早い段階で判明していました。ですが——確証が持てるまで公表を控えていました」
「フタバには言ってくれなかったんだ」
フタバの声が少し震えた。怒っているのではない。寂しいのだ。
「……ごめん、フタバ。心配かけたくなくて」
フタバが顔を上げた。目が潤んでいる。でも——笑った。
「心配するに決まってるじゃん! フタバたち、仲間でしょ!」
ガンが「ブオォ」と鳴いた。同意らしい。
「次は、ちゃんと言ってね。——フタバ、怖くないから。ワタル先輩の力なら」
鼻を赤くしながら笑うフタバに、胸が熱くなった。
リーシャが歩いてきた。腕を組んで。いつもの冷たい顔。
「禁忌の闇、ね。——道理で、あの夜の光が普通じゃなかったわけだ」
あの夜。魔物に襲われた夜。ワタルの右手から弾けた黒い光。あれを覚えていたのか。
「怖いか?」
「愚問よ。——あなたが退かない人間だということは、もう知っている」
横を向いた。でも——口元が、ほんの少し上がっていた。
ノクスが肩の上で「クゥ!」と鳴いた。嬉しそうに尻尾を振っている。こいつだけは最初から何も変わらない。
◇
トーナメントは続いた。個人戦は召喚獣なしのルール。純粋な騎士としての力を問う場だ。
ユウスケはBランクの剣士を風の連撃で圧倒した。召喚獣なしでもこの強さ。「ユウスケ先輩つよー!」とフタバが叫んでいた。
ハルカは直接戦闘ではなく支援型として出場し、光属性の回復速度で判定勝ち。「戦い方は一つじゃないから」と穏やかに笑った。
フタバはBランクの相手に炎の拳で挑んで惜敗。でも「次は絶対勝つ!」と拳を握っていた。
リクトは相手の攻撃パターンを読み切り、カウンターで勝利。「データは嘘をつきません」。いつもの台詞がいつもより誇らしげだった。
リーシャはBランク同士の対戦で圧勝。剣技だけで観客を沸かせた。
——全員が、強くなっていた。
◇
「闇属性か……」
背後からガレス師匠の声。酒瓶を持ったまま、壁にもたれている。
「面倒なことになりそうだな」
「師匠?」
「闇属性が学園にいると知れ渡った。噂はすぐに城まで届く。王にも。……気をつけろ、ワタル」
師匠の目が、いつになく真剣だった。酔っていない目だ。
「気をつけるって——何にですか」
師匠は答えなかった。酒を一口飲んで、去っていった。
——何に、気をつけろと言ったんだろう。
闇属性。禁忌。二百年封印されていた力。
それが俺の中にあることを、世界が知った。
嬉しいはずだった。強くなった。ランク外から、Dから、Bランクのディオンに勝った。仲間が——驚いて、心配して、それでも受け入れてくれた。
なのに——師匠の目が、頭から離れなかった。
◇
その夜。寮のラウンジ。
「ねえ、ワタル先輩。一つ聞いていい?」
フタバが首を傾げた。
「今日の試合、闇を剣に纏わせてたよね。でも——あの授業で、みんなが手から属性の玉を出してたやつ。あれはできないの?」
属性魔法の実技授業を思い出す。全員が手のひらから属性の光を出した。フタバの炎。ユウスケの風。ハルカの光。リクトの石。——俺だけ、何も出なかった。
「……できない。剣に流すことはできるけど、手のひらから球にするのは——」
「教えようか」
ハルカが言った。穏やかに。当たり前のように。
「属性は違うけど、コツは同じだと思う。魔力を手のひらに集めて、形を意識する。私も最初は光がぼやけてたの。ミレイ先輩に教わって、球にできるようになった」
「フタバも最初は火が散らばるだけだったよ! ガンの鼻が焦げた!」
ガンが「ブオォ」と不満そうに鳴いた。
「魔力の収束率を上げれば球体化は可能なはずです。データ上、ワタルさんの闇纏いは既に制御できている。同じ原理を手のひらに応用するだけです」リクトが眼鏡を押し上げた。
ユウスケが黙って頷いた。「やるぞ」。一言。
——ただし問題がある。
「俺が闇を出したら、人目につく。禁忌だって知れ渡ったばかりだし……」
「じゃあ夜やろう! 抜け出して!」フタバが目を輝かせた。
「校則違反だぞ」
「前も抜け出したじゃん、ワタル先輩」
「……バレたら説教だからな」
「バレなきゃいいんだよ!」
深夜。裏庭。
五人と五体の召喚獣。月明かりだけが照らしている。
「まず見ててね」
ハルカが手のひらを上に向けた。白い光が灯る。ふわりと丸くなって、光の球が浮かんだ。きれいだ。
「手のひらの中心に集中して。散らばらないように、丸く包み込むイメージ」
俺も手のひらを上に向けた。闇を呼ぶ。
黒い光が灯った。——散らばる。煙みたいに広がって、形にならない。
「散らすな。握るな。包め」ユウスケが短く言った。
「風の球を作る時と同じだ。力を込めるんじゃない。流れに形を与える」
もう一回。集中する。包み込む。——散らばる。
「リクト、データで何か分かるか?」
「収束点がずれています。もう少し手首を内側に傾けて——そうです。そのまま」
フタバが横から見ている。「がんばれワタル先輩!」。応援が騒がしい。
「フタバ、声」
「あ、ごめん」
十回目。黒い光が——丸くなった。一瞬だけ。すぐに崩れた。
「今の! 今のいけてた!」フタバが小声で叫んだ。
「もう一回……」
十五回目。球体が五秒持った。
二十回目。十秒。
「——巡回だ」
ユウスケの声が低くなった。遠くから教官の足音。
全員で茂みに飛び込んだ。ノクスが「クゥ?」と鳴きかけて、俺が口を塞いだ。ガンの体がでかくて隠れきれない。フタバがガンの上に伏せた。リクトがシェルを甲羅ごと帽子みたいに被った。ハルカが光を消した。ユウスケがフェンリルと一体化するように動かない。
教官が通り過ぎた。
全員で息を吐いた。フタバが笑いを堪えている。リクトの頭にシェルが乗ったままだ。
「……馬鹿だな、俺たち」
「前にも同じこと言ってたよね」ハルカが小さく笑った。
三十回目。
手のひらの上に、黒い球体が浮かんだ。拳より少し小さい。漆黒。安定している。
「できた……!」
「おめでとう、ワタル」ハルカが微笑んだ。
「データ上、安定しています。実戦で使えるレベルです」リクト。
「やったーーー!」フタバが声を殺しきれなかった。
「静かにしろ」ユウスケ。でも、笑っていた。
手のひらの上の闇の球。仲間に教わった球。
剣に纏わせる闇は師匠に教わった。球にする闇は仲間に教わった。
——一人じゃない。全部、誰かがくれた力だ。
俺の力が、闇であること。
世界が知った。
——これが始まりだと、まだ知らなかった。




