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【全62話完結済み】幼なじみと異世界転移したら俺だけ禁忌の闇属性だった——だけど、この力の代償を俺はまだ知らない  作者: 夕凪航


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師匠

 学園の外れに、古い建物がある。

 誰も近づかない。授業で使われている様子もない。蔦が壁を覆い、屋根の一部が崩れている。地図にも載っていない場所。

 俺がそこに迷い込んだのは、完全に偶然だった。

 裏庭で夜の秘密練習をしていた帰り、道を間違えた。暗かったし、ノクスが肩の上で寝ていて役に立たなかった。気づいたら、見知らぬ建物の前に立っていた。

 中から、明かりが漏れていた。

 そして——酒の匂いがした。


「ん?」


 扉を開けると、広い部屋があった。

 道場だ。木の床。壁に木剣が何本も掛かっている。天井は高い。かつては立派な場所だったのだろう。今は埃と蜘蛛の巣だらけだが。

 その中央に、男が座っていた。

 銀髪混じりの髪。無精髭。片目の下に古い傷。四十代くらい——いや、もっと上かもしれない。年齢が読めない。着物のような服を着崩していて、帯が緩い。

 そして、手に酒瓶を持っていた。

「生徒か。肝試しなら他でやれ」

 酔っている。声が少し呂律が回っていない。

「いや、道に迷って——」

「迷う場所でもないだろう。さっさと帰れ。俺は飲んでるんだ」

 男が酒瓶を傾けた。ぐびぐびと飲む。だらしない。昼間——いや、もう夜だが——から酒を飲んでいる飲んだくれだ。

 帰ろうとした。

 でも——足が止まった。

 壁に掛かった木剣。その並び方。間隔が均等で、高さが揃っている。埃をかぶっているのに、柄だけが磨かれている。

 ——この人、剣を使う人だ。

 振り返った。男がこちらを見ていた。

 さっきまでの酔っぱらいの目じゃなかった。

 鋭い。深い。底が見えない目。一瞬で空気が変わった。温度が二度下がったような——いや、リーシャの時とは違う。これは、重さだ。存在の重さ。

「……お前、面白い魔力を持ってるな」

 男が立ち上がった。酒瓶を置いて。

 ——速い。

 立ち上がっただけだ。なのに、体が反応した。全身の毛が逆立った。本能が叫んでいる。この人は——強い。信じられないくらい。

「名前は」

「ワタル。転移者です」

「転移者か。……そうか。それで闇の気配がするわけだ」

「闇……?」

「右手だろう。そこに何かが眠っている」

 心臓が跳ねた。この人は、一目で分かったのか。リクトが何日もかけて分析したことを。

「あんた……誰だ」

「ガレス。ただの飲んだくれだ」

 嘘だ。ただの飲んだくれがこんな圧を出すわけがない。

 壁の木剣が目に入った。並び方。間隔が均等で、高さが揃っている。埃をかぶっているのに、柄だけが磨かれている。

「……あんた、剣を使う人だ」

 ガレスが一瞬、目を細めた。

「俺に——剣を教えてください」

 自分でも驚いた。体が勝手に動いた。頭を下げていた。

「断る。帰れ」

「お願いします。俺の中には——力があるらしいんです。でも、制御できない。自分の意志で出せない。いつ暴走するかも分からない。——だから、剣が要るんです。自分の意志で振れる武器が」

「……」

 ガレスが酒瓶を置いた。壁から木剣を取った。一本を俺に投げてよこした。

「一手だけだ。それで帰れ」


    ◇


 ガレスが構えた。

 ——構えた瞬間、別人になった。

 目が変わった。体の軸が変わった。だらしなく着崩した服が、鎧のように見えた。木剣が、本物の剣に見えた。

 空気が、震えた。

 俺も木剣を構えた。セリア先輩に教わった構え。足の幅、腰の高さ、手首の角度。全部正しい。——はずだ。

 踏み込んだ。

 

 ——気づいたら石の床に転がっていた。


 何が起きた。一歩踏み込んだ。その次の瞬間には仰向けだった。体に衝撃はある。でも、どこを打たれたか分からない。見えなかった。

「遅い。軽い。読みやすい」

 ガレスが木剣を肩に乗せて見下ろしている。

「——終わりだ。一手だ。帰れ」

「もう一回!」

 立ち上がった。ガレスが眉を上げた。

「聞こえなかったか? 一手だけだと——」

「もう一回、お願いします!」

 ガレスが俺の目を見た。二秒。ため息をついた。

「……勝手にしろ」

 構えた。踏み込んだ。

 転がった。

「もう一回!」

 転がった。

「もう一回!」

 転がった。

 五回。六回。七回。全部一瞬。何をされているか分からない。ただ転がされる。ガレスは「一手だけ」と言ったのに、付き合ってくれている。口では面倒だと言いながら。

 八回目。少しだけ見えた。ガレスの木剣が俺の構えの隙間を通って、足を払っている。速い。だが——見えた。

 九回目。足払いを避けた。が、次の瞬間に胴を打たれた。

 十回目。胴打ちも見えた。避けようとした。でも体が追いつかなかった。

 転がった。十回目。

「……ほう」

 ガレスの声に、さっきまでなかったものが混じった。

 興味だ。

「十回目で三手目が見えたか。反射神経は悪くない」

「でも全敗です」

「当たり前だ。俺に触れるには百年早い」

 ガレスが木剣を壁に戻した。酒瓶を拾って、また飲み始めた。飲んだくれモードに戻った。

「俺を——弟子にしてください」

 言った。考えるより先に口が動いた。

「断る」

 即答だった。酒瓶から目も離さない。

「面倒だ。ガキの面倒を見る趣味はない。帰れ」

「でも——」

「帰れ」

 ガレスの目が鋭くなった。さっきの戦闘の時と同じ目。

 ——今日は、帰った。


 翌日も来た。

 「帰れ」と言われた。

 その翌日も来た。

 「しつこい」と言われた。

 四日目。ガレスが扉を開けなかった。木剣を持って外で素振りした。

 五日目。雨だった。ずぶ濡れで素振りした。ガレスが窓から覗いて「馬鹿か」と呟いた。

 六日目。風邪をひいた。ハルカに怒られた。「何やってるの!」。それでも来た。鼻水を垂らしながら。

 七日目。

 扉が開いていた。

 ガレスがため息をついて立っていた。


「……しつこい奴だな」

「はい」

「面倒くさい」

「すみません」

「泣いても知らんぞ」

「泣きません」

「嘘をつけ。絶対泣く」

 ——ガレスが、木剣を投げてよこした。

「明日から来い。朝六時。一秒でも遅れたら破門だ」

 受け取った。ガレスの木剣。重い。あの夜、俺を十回転がした木剣とは違う、新しい一本。

「——ありがとうございます、師匠」

「師匠と呼ぶな。気持ち悪い」

「師匠」

「……勝手にしろ」


    ◇


 翌朝。朝六時。

 ガレスは酒瓶を片手に壁にもたれていた。

「遅い。五秒遅刻だ」

「す、すみません!」

「冗談だ。——構えろ」

 木剣を構えた。ガレスが構えない。酒を飲んでいる。

「……師匠、構えないんですか」

「構えなくても十分だ。来い」

 踏み込んだ。転がった。酒瓶を持ったまま俺を転がした。

 もう一回。転がった。もう一回。転がった。

 三十分で二十回転がされた。一度も触れられない。でも——昨日より、一瞬だけ長く立っていられた。

「……師匠、酒瓶置いて本気でやってくださいよ」

「俺に酒瓶を置かせるには百年早い」

 鼻で笑われた。——いつか、絶対に置かせる。

 

    ◇


 稽古を終えて水を飲んでいると、道場の扉が開いた。

「まだ生きてたか、この飲んだくれ」

 声が響いた。入り口に立っていたのは——長身の男。黒髪。真面目そうな顔つき。姿勢が真っ直ぐ。ガレスとは正反対の雰囲気。

 ガレスが振り返った。

「お前こそ」

 二人が見つめ合った。三秒。

 同時に——笑った。

「久しぶりだな、ロイド」

「ああ。元気そうで何よりだ。相変わらず飲んだくれているな」

「文句あるか」

「大いにある。だが今日はそれを言いに来たんじゃない」

 ロイドが俺を見た。真っ直ぐな目。ガレスとは違う種類の強さがある。鉄のように硬くて、曲がらない目。

「この子が、お前の弟子か」

「弟子じゃない。ついてくる迷惑な奴だ」

「弟子です」

「師匠と呼ぶなと言っただろう」

「師匠」

 ロイドが声を出して笑った。ガレスが嫌そうな顔をした。

「俺はロイド。騎士団の教官をやっている。ガレスとは昔馴染みだ」

「はじめまして。ワタルです」

「聞いているよ。転移者の——属性なし、か。なのにガレスが弟子を取るとは。君、余程見どころがあるんだろうな」

 ロイドが真面目な顔に戻った。

「実はもう一人、見てやりたい生徒がいてな。君の仲間のユウスケだ」

「ユウスケを!?」

「風属性で、Aランク相当の風狼を召喚した生徒だろう。騎士団内でも話題になっている。才能は十分だが、型にはまらない指導が要る。——それで、こいつの道場を借りに来た」

 ロイドがガレスを見た。ガレスが酒を飲みながら「勝手にしろ」と言った。ロイドが「相変わらずだな」と返した。旧友同士。息が合っている。

 

 ——ふと、目に入った。

 ガレスの部屋の奥。壁に掛かった一枚の写真。

 古い写真だ。色が褪せている。魔素写真というらしい。

 写っているのは三人。若い男が二人と、女性が一人。

 若いガレスだと分かった。傷がない顔。笑っている。隣のロイドも若い。短い黒髪。真面目な顔だが、笑顔。

 そして——二人の間に、女性がいた。

 長い髪。柔らかい笑顔。三人の中で一番自然に笑っている。

「師匠、この人は?」

 ガレスの手が、一瞬止まった。酒瓶を持つ手が。

 一瞬だけ、目を伏せた。

「……昔の仲間だ」

 それ以上は語らなかった。

 ロイドも黙っていた。さっきまで笑っていた顔が、少しだけ影を落とした。

 ——触れてはいけない何かがあると、分かった。

 あの写真の三人は、楽しそうだった。若くて、強くて、何でもできそうな顔をしていた。

 今、ここにいるのは二人だけ。

 あの女性は——どこにいるのだろう。


    ◇


 道場を出た。朝の光が眩しかった。ノクスが肩で欠伸している。

 師匠ができた。飲んだくれで、だらしなくて、酒を片手に剣を振る人。

 でも——剣を構えた瞬間、世界が変わった。十回転がされて、一回も触れられなかった。あれが本物の強さだ。

 写真の中の三人。若くて、笑っていた三人。あの女性のことは聞けなかった。聞いてはいけない気がした。

 ——この人の下でなら、俺は強くなれる。

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