召喚獣
召喚獣契約の授業は、入学してから全員が楽しみにしていたものだった。
この世界の騎士は、一人に一体の召喚獣を持つ。魔法陣を通じて契約し、一生のパートナーとなる。相棒。分身。命を預け合う存在。
「さあ、一人ずつ前へ。魔法陣に立ち、魔力を流せ。お前たちに応える存在が、必ず現れる」
教官が講堂の中央に巨大な魔法陣を展開した。紫色の光が床に走っている。
「召喚獣には種族がある。だが名前はない。名前はお前たちが与えるものだ。名を与えた瞬間、契約が完了する。——一生を共にする名だ。よく考えて呼べ」
次々と生徒が呼ばれていく。
猫のような獣を召喚した男子が「よっしゃ!」とガッツポーズ。鷹を出した女子が腕に止まらせて誇らしげに戻ってくる。小さなトカゲに「え……これだけ?」と落胆する生徒もいた。
教官がそれぞれの種族を説明する。「戦闘型」「支援型」「希少種」。希少種が出ると歓声が上がり、一般種だとため息が漏れる。
——全員が、何かを召喚できていた。全員。
最初にユウスケが出た。
魔法陣の中に立つ。目を閉じる。風が渦を巻いた。緑色の光が溢れる。
光の中から、影が現れた。
狼だ。白銀の毛並み。鋭い碧の目。体高はユウスケの腰くらい。精悍で、凛々しくて——美しい。
狼がユウスケと目を合わせた。二人とも動かない。二秒。三秒。
「風狼。極めて珍しい希少種だ!」
教官の声が上ずった。講堂がざわめく。
ユウスケは狼の目を見たまま、迷いなく呟いた。
「……フェンリル」
隣で聞いていて思った——こいつ、なんでその名前が出てくるんだ。でも、他の名前は想像できなかった。フェンリルが静かに頭を下げた。契約成立。似た者同士。寡黙で、強くて、隣に立つだけで信頼できる。
次にハルカ。
魔法陣が白く輝いた。光属性の光。温かい。
光の中から出てきたのは——ふわふわの白い小動物だった。手のひらに乗るサイズ。丸い目。柔らかそうな毛。
「光精霊。回復と浄化に特化した支援型だ」
「可愛い……!」
ハルカが両手で受け止めた。小動物がハルカの肩に登って、髪の中に潜り込んだ。
「きゅう」
小さな声。ハルカが目を細めた。
「……ルミ。あなたの名前、ルミ」
ハルカがそう呼んだ瞬間、ルミが「きゅう」ともう一度鳴いて、ハルカの首元に頬を寄せた。光るから——ルミ。ハルカらしい名前だと思った。
フタバが「フタバも触りたい!」と手を伸ばしている。
フタバの番。
魔法陣が赤く燃えた。火属性。轟、と低い音がした。
現れたのは——大きかった。子象くらいある。灰色の肌。太い四本足。額に赤い宝石が埋まっている。象に似ているが、もっとゴツい。岩を固めたような体だ。
「岩炎獣。攻撃と防御の両面をこなす万能型だ」
「わー! おっきい!」
フタバが見上げた。その巨体が——太い鼻をフタバに押し当ててきた。ぐりぐりと。
「あはは、くすぐったい! ——よし、お前はガン!」
「早いな」教官が苦笑した。
「だって見た目がガンって感じだもん! ね、ガン!」
ガンが「ブオォ」と鳴いた。了承らしい。フタバとガン。サイズが正反対。でも、なぜか合っている。
リクト。
魔法陣が茶色く光る。静かに。穏やかに。
現れたのは亀だった。甲羅の直径が三十センチくらい。甲羅の表面に、青白い光の線が走っている。データのような紋様。
「地鑑亀。解析と探知に特化した知性型だ」
「興味深い……」
リクトが眼鏡を押し上げて覗き込む。亀は動かない。甲羅の紋様がちかちかと点滅している。
「データを蓄積する甲羅……。シェル。お前の名前はシェルだ」
殻。データの器。リクトらしい命名だった。シェルは微動だにしない。相性抜群だ。
リーシャ。
魔法陣が金色に輝いた。眩いほどの光。
現れたのは鳥。鳳のような翼。金と白の羽根。気高く、美しく——高い場所から全てを見下ろすような目をしている。
「鳳鳥。偵察と空中戦に秀でた希少種だ」
リーシャの腕に止まった。二人とも、まっすぐ前を見ている。似ている。立ち姿が。
「ソラ」
リーシャが静かに言った。空を翔ぶ者。それだけ。短く、迷いなく。リーシャらしかった。
ソラがリーシャの肩で羽根を整えている。まるで「当然」とでも言うように。
◇
そして——俺の番だ。
魔法陣の中央に立った。足元で紫の光が回っている。
——魔力を流せ、と言われた。でも俺には魔力がない。属性がない。ランク外。
目を閉じた。
集中する。何を集中すればいいのか分からないけど、とにかく集中する。右手に意識を向ける。あの光が宿る場所に。
一秒。五秒。十秒。
何も起きない。
魔法陣は紫のまま。光は変わらない。何の反応もない。
講堂がざわめき始めた。
「やっぱりダメか」
「ランク外だしな」
「召喚獣も出ないとか……」
隅でディオンが鼻で笑うのが見えた。
拳を握った。もう一度、集中する。右手に力を込める。何かがあるはずだ。あの夜、俺を守った力。リーシャの前で弾けた光。
——来い。
頼む。
俺には、何もない。でも——お前がいてくれたら。
右手が、熱くなった。
魔法陣の色が変わった。紫から——漆黒に。
講堂の空気が変わった。温度が二度下がったような感覚。全員が息を呑んだ。
黒い光が魔法陣から吹き上がる。渦を巻く。天井まで届きそうな闇の柱。
その中心に——何かがいた。
小さい。手のひらに乗るくらい。
黒い鱗。小さな翼。細い尻尾。赤い瞳。
ドラゴン。手のひらサイズの、黒い小さなドラゴン。
闇の柱が消えた。
ドラゴンが——俺の肩に降りた。
軽い。子猫より軽い。でも、温かい。小さな爪が制服の肩に引っかかって、ちょこんと座った。
赤い目が、俺を見ている。まっすぐに。
講堂が凍りついていた。誰も動かない。誰も声を出さない。
「黒い……」
「闇の……召喚獣……?」
教官も動揺していた。記録を確認している。
「これは……前例がない。闇属性の召喚獣など、記録にない」
——記録にない。俺だけ。世界で、俺だけ。
肩の上で、小さなドラゴンが「クゥ」と鳴いた。
甘い声。高い声。こんな小さいのに、さっきの闇の柱を出したのか。
「……よろしくな」
名前が浮かんだ。なぜか、最初から知っていたような気がした。
「ノクス」
ノクスが「クゥ」ともう一度鳴いた。俺の首に小さな頭を擦りつける。
温かい。
禁忌の闇。世界に記録のない召喚獣。——でも、この温もりは本物だ。
◇
放課後。中庭が動物園みたいになっていた。
フェンリルが木陰で寝そべっている。ユウスケがその背中に手を置いて、同じように目を閉じている。完全に一体化している。
ルミがハルカの髪の中で昼寝している。ハルカが動くたびにもそもそ動く。「くすぐったいよ、ルミ」。
ガンの上にフタバが座っている。「進め! ガン!」「それ乗り物じゃないだろ」とガルド先輩が突っ込む。ガンは嬉しそうに歩いている。
シェルは動かない。リクトが甲羅のデータ紋様を手帳に写している。「データの更新速度が素晴らしい」。シェルの沈黙がリクトの賛辞に聞こえる。
ソラは校舎の屋根の上にいる。高い場所から全員を見下ろしている。リーシャが中庭の端に座って本を読んでいる。ソラとリーシャ。どちらも高い場所が好きらしい。
そして——ノクス。
こいつは問題児だった。
食堂で俺の皿から肉を奪った。手のひらサイズのくせに、自分の体の半分くらいある肉を丸飲みにした。
「おい! 俺の肉!」
「クゥ」
悪びれていない。赤い目がキラキラしている。肉が好きらしい。
フェンリルに近づいたら睨み合いになった。フェンリルが低く唸る。ノクスが翼を広げて威嚇する。体格差は百倍くらいあるのに、一歩も退かない。
三秒後、じゃれ合いに変わった。フェンリルの尻尾にノクスが飛びついている。ユウスケが「放っておけ」と言った。
ガンの頭の上に乗ろうとして、ガンに振り落とされた。フタバが「ノクスー! 大丈夫ー!?」と拾い上げた。ノクスはフタバの手の中で「クゥ」と鳴いた。
ルミに近づいたら、ルミがハルカの髪の奥に隠れた。ハルカが「ノクス、怖がってるよ」と笑った。ノクスがしょんぼりした。
——こいつ、可愛いな。
◇
夜。寮の自室。
ベッドの上で横になっていると、ノクスが俺の胸の上に乗ってきた。小さくて温かい。呼吸に合わせて体が上下する。
赤い目が、俺を見ていた。
——その目が。
ふと、変わった。
さっきまでのキラキラした目じゃない。肉を奪った時のいたずらな目でもない。
悲しそうだった。
深くて、静かで、何かを知っているような目。
「なんだよ、その目」
ノクスは答えない。言葉を喋れない。ただ、小さな頭を俺の手に擦りつけた。ぐりぐりと。
「……何か言いたいのか?」
「クゥ」
小さな声。甘い声。でも——寂しい声に聞こえた。
気のせいだろうか。今日会ったばかりの召喚獣に、何が分かるというんだ。
「まあ、いいや。一緒に寝ようぜ」
ノクスの頭を指で撫でた。ノクスが目を細める。小さな体が、俺の胸の温もりに沈んでいく。
すぐに寝息が聞こえた。
俺も目を閉じた。
黒い小さな竜が、俺の胸で眠っている。
闇の召喚獣。禁忌の属性。世界に一体しかいない。
——でも、こいつの温もりは、本物だ。




