魔物
警報が鳴ったのは、深夜二時だった。
甲高い音が寮中に響いた。魔素灯が赤に変わる。緊急事態を示す色。
飛び起きた。心臓がバクバクしている。隣の部屋からフタバの悲鳴が聞こえた。
「何!? 何なの!?」
「落ち着け」
ユウスケの声。冷静だ。こいつはどんな時でも冷静だ。
廊下に出ると、生徒たちが寝巻きのまま走り回っている。教官の声が響く。
「全生徒、寮から出るな! 結界を突破した魔物が侵入している! 繰り返す、寮から出るな!」
魔物。学園の結界を破って入ってきた。
フタバがリクトの後ろに隠れている。ハルカが窓の外を見た。
「——見て」
中庭に影が走っていた。巨大な影。四足の獣。赤い目が暗闇の中で光っている。転移した夜に遺跡で見たやつと似ている。あの時より——大きい。
「教官たちが対処するはずだ」ユウスケが言った。「俺たちは待つべきだ」
正しい。それが正しい判断だ。ランク外の俺が出て行っても邪魔になるだけだ。
——でも。
中庭の反対側に、もう一つの影が見えた。
人影。一人だけ。魔物に向かって走っている。
金色の髪が、月明かりに光った。
「リーシャ……!」
体が動いていた。
◇
寮の窓を蹴破るように飛び出した。——嘘だ、普通にドアから出た。でも速かった。
中庭を走る。石畳を蹴る。夜風が冷たい。
前方で、剣戟の音。金属と何かが衝突する硬い音。
リーシャが一人で戦っていた。
銀の剣が月光を反射して弧を描く。速い。鋭い。朝の模擬戦の比じゃない。本気の剣。
魔物が唸る。爪を振り下ろす。リーシャが横に跳んで避ける。着地と同時に斬り返す。刃が魔物の前脚を掠めた。黒い血が飛ぶ。
強い。リーシャは強い。
——でも、一人だ。
魔物は一体じゃなかった。
二体目。建物の影から飛び出してきた。リーシャの背後。死角。
「危ない!」
俺の声にリーシャが振り返った。——遅い。二体目がもう跳んでいる。
俺は走った。間に合え。間に合え。間に合え。
間に合った。
リーシャと魔物の間に、体をねじ込んだ。木剣を構える。魔物の爪が振り下ろされる。
受けた。
衝撃。体が吹き飛んだ。石畳の上を転がる。木剣が折れた。半分になった木の棒が手に残っている。背中が痛い。息ができない。
「来るなと言ったでしょう! ランク外のあなたじゃ——」
リーシャの声。怒っている。でも——震えている。
石畳に手をついた。指が震える。立て。立て。
膝が笑っている。口の中に血の味がする。視界がぐらつく。
——立った。
足を引きずって、リーシャの前に戻った。二歩。たった二歩が、百歩より重い。
魔物が二体、俺たちの前にいる。赤い目が四つ、こっちを見ている。
木剣は折れた。武器がない。力もない。ランク外。何もない。
——でも。
俺の後ろに、リーシャがいる。
退くわけにはいかない。
「来いよ」
声が出た。震えていた。でも、出た。
魔物が跳んだ。同時に二体。
——右手が、熱くなった。
前にも感じた熱。指先から腕全体に走る電流のような衝撃。でも今回は——前より強い。ずっと強い。
弾けた。
黒い光。
俺の右手から放たれた光が、夜の闇を裂いた。漆黒の閃光。矛盾している。黒いのに、光っている。闇が、光として弾ける。
魔物が二体とも、空中で動きを止めた。金縛りにあったように。
一秒。二秒。
その隙に、銀の軌跡が走った。
リーシャ。
二閃。二体の魔物が同時に崩れ落ちた。
静寂が戻った。
◇
膝をついた。力が抜けた。右手が痺れている。黒い光の余韻が、指先でちりちりと残っている。
足音。教官たちが駆けつけてきた。「大丈夫か!」「怪我は!」
リーシャが「問題ありません」と答えた。いつもの冷たい声。でも、俺を見下ろす目は——さっきと違っていた。
教官たちが魔物の処理を始めた。生徒を寮に戻す指示が飛ぶ。喧噪の中で、俺とリーシャだけが取り残された。
月明かりの廊下。二人で並んで座っている。壁にもたれて。さっきまで戦っていたのが嘘みたいに、静かだった。
リーシャが口を開いた。
「……ありがとう」
小さかった。蚊の鳴くような声。プライドが邪魔しているのが丸分かりだ。
「聞こえない」
「……二度は言わないわよ」
俺は笑った。リーシャが横を向いた。耳が赤い。月明かりでも分かる。
しばらく沈黙が流れた。虫の音と、遠くで教官たちが話す声だけが聞こえる。
「あの黒い光」
リーシャが静かに言った。
「何なの、あれ」
「……分からない」
正直に答えた。本当に分からない。
「でも——お前を守れたなら、いい力だ」
言ってから、「お前」呼ばわりしたことに気づいた。王女に。
リーシャが俺を見た。怒るかと思った。
「……変な人」
怒らなかった。むしろ——少しだけ笑った。口元が、ほんの少し上がった。
月明かりの廊下で、王女が笑った。たぶん、この学園で誰も見たことのない顔だ。
◇
翌朝。食堂。
テーブルについた瞬間、ユウスケが隣に座った。いつもより近い。
「あの黒い光」
小声。周囲に聞こえないように。
「コントロールできてないだろ」
「……分かってる」
「昨日の、転移の夜より強かった。加速してる」
ユウスケの目が真剣だった。いつもの無表情の奥に、心配の色がある。
「あれが何か分からないまま使い続けるのは——危ない」
「……ああ」
「一人で抱えるなよ」
ユウスケが俺の肩を叩いた。軽く。でも、その一瞬に全部が詰まっていた。
お前は一人じゃない。何があっても、俺はここにいる。言葉にしないけど——ユウスケの「肩を叩く」は、そういう意味だ。
「……ああ。ありがとう」
「礼は要らない。——ただ、無茶はするな」
無茶をするなと言われても。昨日、リーシャの前に飛び出した瞬間、頭は何も考えていなかった。体が勝手に動いた。
——守りたいと思った時、体が動く。それが俺の唯一の取り柄かもしれない。
でもユウスケの言う通り、あの光が何なのか分からないまま使い続けるのは危ない。
右手を見た。
何かがいる。この手の中に。眠っている。少しずつ目を覚ましている。
それが何なのか——まだ分からない。
でも。
分からないことが、少しだけ怖くなくなっていた。
右手の奥で眠っている何か。
それが目覚めた時、俺は——何になるんだろう。
はじめまして。
本日より連載を開始しました、新人の**夕凪 航**と申します。
数ある作品の中から、最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
この物語は、読者の皆様に「世界で一番美しい夕暮れ」と、その裏にある「切ない代償」を届けるために、全62話、すでに結末まで書き上げております。
処女作ではございますが、途中で更新が止まることは絶対にありません。最後まで、緻密に設計した「感情の波」をお約束します。
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明日からは**【18:00】**に毎日更新します。
あとがきまで読んでいただき、本当にありがとうございました!!
また「あの丘」でお会いしましょう!




