第五話:神に選ばれし才
シャルロッテと出会ってから、一週間が過ぎた。
気ままな冒険者旅にである。
クラウスは、シャルロッテの事もあるため、のんびりとアンダルスを目指すことにした。
もう聖王国の威光が全く届かないエリアに入っている。
第四部隊の件も、そもそも情報が届いていないのだろう。
冒険者プレートを示すだけで、各関所は易々と通行することが出来た。
これであれば問題ないと、町に着いた時は宿を取ることにした。
シャルロッテは女の子だ。
奴隷だった彼女からすれば、初老の男と一緒のテントで過ごすことになんの抵抗もないようだったが、さすがにそうはいかない。
宿では別々の部屋を取り、それぞれで休むことにした。
結局、夜になるとシャルロッテはクラウスの布団に潜り込んでしまうため、あまり意味はなかったのだが……。
今日も、金色に輝く草木が生える平原と並行して走る街道を、西へひた走る。
アンダルスまで、もう少しといったところまで来た。
内陸から海へ近づいたためか気候は温暖になり、聖都周辺にあったような木々はすっかり見かけなくなった。
長旅を共に過ごしたこの馬も、心地よさそうに走っている。
クラウスの前には、ぶかぶかの帽子を目深に被った少女、シャルロッテ。
その後ろから手綱を握るクラウス。
旅の間、クラウスは多くのことをシャルロッテに語って聞かせた。
世界の成り立ち、各国の情勢、そして何よりも、彼らが生きるこの世界の理について。
「いいかい、シャルロッテ。この世界には二つの力がある。一つは『魔力』。これは、簡単に言えば物を変化させる力だ。熱くしたり、冷たくしたり、色々便利だが、使える人間が限られている。その人間のことを魔術師と呼ぶ。ちなみに、術式を書き込めるのは魔術士だけだが、術式を書き込まれた道具を使えば、誰でも簡単に魔法を使うことができる」
「魔術士、見たことあります。クソどもが、いい客だって言ってました」
「うーん……」
クラウスは眉間を揉んだ。
シャルロッテは、キョトンとした顔でクラウスを見つめる。
シャルロッテは、非常にもの覚えが早かった。
当初は子供っぽかった言葉遣いも、あっという間に大人のそれに変わった。
元々、魔族は知識の習得が異様に早く、それが故に強い力をもっているのだが、シャルロッテはその中でも格別だ。
知識を覚え、反復し、習得する。
そのサイクルを何段階も飛ばして実行できる。
知識を覚えれば、即座に習得する。
これはもはや、才能と言っていい。
一点、欠点を挙げるとすれば、奴隷だったころに奴隷商たちが使っていた言葉を、たまに好んで使うところだろうか。
丁寧な口調と可愛らしい声音。だが、それらを台無しにする罵詈雑言。
クラウスも最初は注意したのだが、どうやら本人が気に入ってるらしく、もう諦めることにした。
「もう一つの力は、『クオリア』だ。これは、シャルロッテも体感しているだろう?」
「こんなやつですか?」
シャルロッテは、両手を胸の前に掲げた。
両手の間に、シャボン玉のような不思議な塊ができあがる。
鍛錬していない人には見る事すらできないが、概念としてのクオリアを物理的な力として出力したものだ。
通常、この域まで到達するのに十年はかかるのだが……。
「その通り」
クラウスは、シャルロッテの頭をポンと撫でる。
シャルロッテは嬉しそうに微笑むと、塊を消し、両手を馬の背に戻した。
「クオリアは、魔力と違って誰もがもっているものだ。人間も、魔族も、動物さえもな。だが、それを『知覚』したり、『力』として行使できる存在は、実はそんなに多くない」
「あれ、でも奴隷商たちは使っていたような……?」
シャルロッテが首をかしげる。
「ああ、確かにクオリアを『意志』として表現できる戦士は多い。例えば、『この岩を斬る』と強く念じながら剣を振れば、岩は斬れる。だが、『岩を斬る』と念じながら、同時に『自分を守る盾を出せ』と言われても、人間の脳では処理できず無理だろう?」
「確かに……」
「実際の戦闘では、単純に『意志』をもって具現化するだけでは間に合わない。心の根っこにある『クオリア』をどう物理的なエネルギーとして出力するかが重要になってくる。例えば……」
クラウスは、自分の右肩のあたりを指さした。
甲冑を纏った騎士が、うっすらと見える。
「お化け?」
「ははは、正解だけど不正解だな。これは、クオリアを『思念体』として出力したものだ。世間で幽霊や亡霊と呼ばれるものも、実はこれと一緒だ。生前の人の強烈なクオリアが、思念体として残ったものがそう呼ばれている」
シャルロッテは、興味深々といった表情で、その琥珀色の目をまあるくしていた。
「この思念体は、クオリアから出来ている。別の独立した意志を持たせることで、多角的な攻撃を……って、まだ教えるには早かったな」
シャルロッテは、じっとクラウスの思念体を見ながら、ブツブツと何か呟いていた。
かつて、魔族が単一の種族で世界を脅かすほどの脅威となった理由。
それは、彼らがどの種族よりも遥かに強大な魔力を持っていたからだけではない。
長い寿命と高い学習能力、そして絶え間ない探求心を持っていたからだ。
『自分たちはどの種族より上位の存在である』という、種としての絶対的な自信。そして、それをさらに強固にする飽くなき探求心。
魔族は、『魔法』の活用を著しく発展させ、この世界の文明レベル全体を一段飛ばしにした種族といっても過言ではない。
だからこそ、戦争の原因ともなったのだが……。
「クオリアの応用範囲は様々だ。この辺りは、またじっくり話をすることにしよう」
「……なるほど。よく理解しました、先生」
シャルロッテは、真剣な表情で頷いた。
「先生って……」
「クラウスは私の先生です。学びました。礼節はきっちりと。だから先生と呼ばせてください」
クラウスは、苦々しい表情を浮かべた。
「いまいち慣れないけど、慣れないとなんだよなあ……」
「そうですよ。甘えはダメです!」
シャルロッテは、満面の笑みを浮かべた。
そんな話をしているうちに、結構な距離を進んだ。
明日には、アンダルスに到着するだろう。
わざわざ町に寄り道することも手間だし、野営の素晴らしさをシャルロッテに教えることも必要だろうとクラウスは考えた。
途中の町で、既にシャルロッテ用のテントも購入済みだ。
馬を繋ぎ、焚き火の準備を始める。
シャルロッテは、自分にできることはないかと周囲を見回し、空になった革袋と手桶を掴んだ。
「先生、水を汲んできますね! そこの川ですよね?」
「ああ、頼むよ。あまり遠くへ行くなよ」
「はい! いってきます!」
シャルロッテは軽い足取りで、沢へと降りて行った。
クラウスはシャルロッテを見送ると、火打ち石を打ち合わせる。
火花が散り、枯れ葉に小さな炎が灯る。
テントを広げ、食事の準備を進める。
その時だった。
クラウスの手が止まる。
常に広範囲で展開しているクラウスの防護網に何かが引っ掛かった。
――浮ついた悪意。
強敵ではない。ただの雑魚だ。だが、複数いる。
「……!」
悪意が定まり、明確な敵意へと変わる。
何かを見つけ、それが目的であった時の典型パターン。
「シャルロッテか!」
クラウスは、弾かれたように駆け出した。
疾風の如き速さで林を抜け、視界が開ける。
川沿いの開けた沢平。
そこに、シャルロッテがいた。
だが、一人ではない。
五、六人の薄汚れた男たちが、彼女を取り囲んでいた。
彼らの身なりは粗末だが、腰には剣や斧を帯びている。
おそらく、シャルロッテを捕まえていた奴隷商だろう。
シャルロッテの足元には桶が転がり、汲んだ水がこぼれたのか大きな水たまりを作っていた。
「やっと見つけたぞ、魔族のガキが」
リーダー格らしき男が、イラついた様子でシャルロッテに近付く。
「こんな汚ねえ帽子なんて被りやがって! おかげで見つけにくいったらありゃしなかったぞ!」
男は、シャルロッテから帽子を強引に引きはがした。
「あ、返してください! それは、大事なものなんです!」
シャルロッテが手を伸ばし、取り戻そうとする。
だが、男は必死なシャルロッテをあざ笑い、帽子を地面に投げ捨てた。
「何が宝物だ。こんなゴミ。臭くてかなわねえ」
男は、泥水の中に落ちた帽子を、革ブーツの底で踏みつけた。
グリグリと、執拗に、泥に沈めるように。
「……返せ」
シャルロッテの声が震える。
「ああん? 何かいったか?」
男は笑いながら、さらに力を込め帽子を踏みにじる。
――プツン。
シャルロッテの中で、何かが切れる音がした。
「……やめろつってんだろ、クソが」
低く、地を這うような声。
次の瞬間、世界の色が変わった。
「シネ」
シャルロッテの声と共に、彼女の体から爆発的な何かが噴き上がった。
それは、男たちには視認できない透明な力。
だが、クラウスの目には、どす黒い炎のように立ち昇るそれが、はっきりと見えていた。
クオリアの塊。
(そんな……、いやまさか……)
熟練の騎士でさえ持ち得ないほどの、異常な総量。
量だけではない……。
シャルロッテの背後の空間が歪む。
噴出したクオリアが徐々に形を形成し、固有の存在として顕現する。
上半身は天使のように美しい女性だが目がなく血の涙を流し、下半身には蜘蛛のような脚が生え、背中には蛾のような羽根が生えていた。
おそらく、彼女が「恐怖の象徴」として認識しているものの集合体。
相手を滅ぼすため、自身の『恐怖』を徹底的に追及した思念体。
(おいおい……さっき、軽く教えただけだぞ。もう顕現までできるのか)
「な、なんだぁ!?」
男たちが悲鳴を上げ、腰を抜かす。
シャルロッテは、虚ろな瞳で男を睨みつけ、小さな手をかざした。
「「シネ」」
シャルロッテの声ではない。
その思念体が発している。
おぞましく、この世の絶望を音にしたような声。
無邪気なほどに純粋な殺意。
思念体が発した黒い衝撃波が、帽子を踏んでいた男を直撃する。
男の体が、まるで枯れ葉か真綿のように軽々と宙を舞った。
骨の砕ける不吉な音が響き、男は数メートル先の岩場に叩きつけられ、動かなくなった。
「ひぃっ、ば、化け物!」
「逃げろ!」
残りの男たちが恐慌状態に陥る。
だが、シャルロッテは止まらない。
次いで、二人。
思念体の黒い瘴気が大きなハンマーとなり、二人の男を肉片へと変える。
「た、助けて!」
男が必死に逃げる。
彼女の瞳からは理性の光が消え、ただ殺戮を遂行するシステムのようだった。
「「キエロ」」
「……まずい!」
クラウスは、地面を蹴った。
彼女はまだ、自分の力を制御できていない。
おそらく、周囲の「物体」全てに対して、無差別攻撃を行っているのだろう。
このままでは、周囲の生き物全ても殺しつくしてしまう。
クラウスは、クオリアを放出した。
瞬間、周囲の温度が氷点下まで下がったかのような錯覚が場を支配した。
絶望。虚無。絶対的な死の予感。
クラウスが練り上げた、混じり気のない殺気。
その瞬間、逃げる男たちをターゲットにしていたシャルロッテの思念体はピタリと動きを止めた。
一瞬の静寂。
だが、それもすぐに終わりを迎える。
思念体の咆哮。
圧倒的なまでの殺意を消滅させんとする明確な意志。凄まじい勢いで、思念体がクラウスに襲い掛かる。
鋭い蜘蛛の脚が、クラウスへと振り下ろされる。
「……ごめんな」
クラウスは、振り下ろされた脚の軌道を、紙一重で見切る。
黒いかぎ爪が頬を掠め、数本の髪の毛が散る。
そして、思念体の懐へ踏み込む。
シャルロッテの意識は既になく、目が真っ黒になっていた。
クラウスは、そっと彼女の首筋に手刀を当てた。
優しく、しかし確実に、意識を断つ一点を突く。
シャルロッテの体が、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
同時に、思念体も消え、包んでいたクオリアの瘴気は霧散していった。
クラウスは、倒れこむシャルロッテを両手で優しく抱き留めた。
その体は高熱を発したように熱く、小さく痙攣していた。
「ふぅ……、参ったな」
クラウスは、泥水の中に落ちていた帽子を拾いあげると、彼女を抱きかかえたまま、焚き火の待つテントへとゆっくりと歩き出した。
その背中は、かつての孤独な兵士のものではなく、悩み多き父親のそれに見えた。




