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英雄の系譜  作者: 松葉
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第六話:自由国家アンダルス

 旅の終着点である海洋国家アンダルスは、聖王国とはまるで別世界の色彩と、混沌とした熱気をまとっていた。



 丘を越えると、視界を埋め尽くすのは宝石を溶かしたような深い蒼。



 海である。



 水平線は空と溶け合い、どこまでが海でどこからが空なのか判然としない。

 シャルロッテはもちろん、クラウスもこれほど鮮やかな海を見るのは初めてだった。



 海と対比を成す純白の石灰岩の街並み。急斜面にへばりつく家々の色鮮やかな屋根が、太陽の光を浴びて眩く輝いていた。

 だが、何よりも二人を驚かせたのは、その街を行き交う人々そのものだった。



「先生、あれは獣人ですよね? あっちはドワーフに……あの種族はなんでしょうか?」

 シャルロッテが、帽子を押さえながら呟く。

 


 海洋国家アンダルス城門前。

 城外であるというのに多くの露店が立ち並び、どこぞの小都市並みの賑わいを見せていた。

 そして、その賑わいの正体は、文字通りの『るつぼ』であった。

 



 巨大な魚を肩に担ぐ蜥蜴人リザードマンの漁師、露店で果物を売る猫人族キャットピープルの少女、立ち飲み場でジョッキを交わすドワーフと人間、そして路上で楽器を奏でるエルフ。



 聖王国では『亜人』として蔑まれ、あるいは奴隷として扱われるような種族であっても、ここでは当たり前のように市民として歩き、笑い、生活を営んでいる。



「アンダルスは、昔は辺境の一都市だったらしい。だが、魔族との大戦で故郷を追われた色々な種族の避難民たちが流れ着き、当時の元首もそれを受け入れた。海に面し、貿易が盛んだったこともあって、今では最も多様な文化が混ざり合う都市になったそうだ」



 クラウスは、さっき片耳で聞いたばかりの話を、それっぽくシャルロッテに話して見せた。



「それでも、こんなにたくさんの種族が対等に暮らしているのはすごいです」

「そうだね。きっと元首の政策が良いのもあるんだろう」



 フェルゼンのアルリック卿も名君と呼ばれていたが、血は良い意味でも争えないということだろうか。弟であるラミロ卿も、さぞ有能に違いない。



 クラウスは胸をふくらませながら、馬の手綱を引き、城門へ歩き出す。いつであっても、優秀な人に出会うというのは楽しいものだ。




 立派な角を生やした牛人族ミノタウロスの門番に、アルリック卿からの推薦状と冒険者ギルドのカードを提示すると、彼は鼻輪を揺らして驚き、すぐに道を開けてくれた。



 どうやら、話は既に通っているらしい。抜け目ない連絡網もさすがといったところだ。



 石畳の坂道を下り、海沿いに位置する元首の館へと向かう。

 道中、すれ違う様々な種族は皆一様に色鮮やかな衣服をまとい、表情は明るかった。聖王国の市民が浮かべていたような、権力への怯えや閉塞感は微塵も感じられない。



 

 自由。

 その言葉が、潮の香りとともに街全体に満ちていた。




 元首の館は、海に突き出した岬の上に建っていた。

 高度な技術で作られた大型のガラスが何枚も張られたエントランスに、開放的なテラス。美術館のように優美な館は、そのあり様だけで歓待していることが十分に伝わる代物であった。



 通された謁見の間には、一人の男が待っていた。

 アンダルス元首、ラミロ。



 兄であるアルリック卿とよく似た顔立ちだが、日焼けした肌と着崩したシャツの胸元からは、熟練の船乗りや商人のような豪胆な気質が垣間見えた。



「よく来てくれた、クラウス殿! 兄上から話は聞いている。聖王国の英雄を我が国に迎えることができ、光栄だ」



 ラミロはクラウスを見るや否や立ち上がり、歩み寄って力強い握手を求めてきた。

 その手のひらは硬く、分厚い。ただデスクでペンを握っている手ではない。現場と共に汗を流せる元首の証拠である。



「ラミロ様、突然の訪問にも関わらず、温かい歓迎に感謝します」

 クラウスも礼儀正しく頭を下げる。



 その時、ラミロの傍らに控えていた近衛隊長らしき男が、鋭い声をあげた。

 彼は狼の耳を持つ狼人族ウルフマンで、その鋭い嗅覚と視線が、クラウスの後ろに控える小柄な影に向けられていた。



「無礼であろう。元首の御前であるぞ。その帽子を取り、顔を見せぬか」



 場の空気が凍りつく。

 シャルロッテの肩が微かに強張るのが分かった。



 ここは多種族国家だ。角を持つ種族も珍しくはない。


 だが、それでも『魔族』は別だ。

 魔族はこの国の人々にとって、かつて故郷を奪い、家族を殺した戦争の元凶である。シャルロッテの角は紛れもなく魔族のそれであり、弁解の余地なく攻撃されても文句は言えない。



 クラウスは一歩前に出て、シャルロッテを庇うように立った。



「申し訳ありません。この子は、過去に酷い火傷を負っておりまして……。光に当てることも、人目に晒すことも、彼女にとっては耐え難い苦痛なのです。どうか、そのままでお許し願えないでしょうか」



 クラウスは、咄嗟に嘘をついた。

 シャルロッテは、ギュッとクラウスの裾を握りしめる。



 狼人族の隊長は鼻をひくつかせ怪しむように唸ったのち、判断を仰ぐべくラミロをチラリと見た。

 ラミロは、構わないと言わんばかりに手を上下させ、隊長に下がるよう合図を送る。


「ハハハ! よいよい! アンダルスは自由の国だ。服装や格好にとやかく言う野暮な真似はせんよ。……苦労したのだな、ようこそアンダルスへ」



 ラミロは、笑顔でシャルロッテに手を差し出した。 

 シャルロッテが、安堵の息を漏らすとともに握手をした。



「さて、クラウス殿。騎士団の指南役の件だが……」

「はい。お引き受けします。ただ、一つ条件がございます」



 クラウスの申し出に、ラミロが眉を上げる。

「ほう? 報酬の吊り上げか?」

「いえ。……私は、この街で道場を開く許可を頂きたいのです」

「道場?」

「はい。騎士団への指導は、週に三日もあれば十分でしょう。残りの四日は、自分の修行の時間が欲しいのです。そうでなければ、腕が鈍ってしまいます。それに、この子のこともある……」



 クラウスは、シャルロッテの方をチラリとみた。

 自分の修行の時間が欲しいというのは、半分は建前だ。



 シャルロッテの圧倒的な才能。

 まさに、毒にも薬にもなる諸刃の剣。このまま何もしなければ、いつか力を暴走させて破滅してしまう。

 そうなる前に、シャルロッテに『力の使い方』と『社交』を学ばせたかった。



 ラミロは目を丸くしたが、すぐにニヤリと笑みを浮かべた。

「面白い。聖都の英雄が、町道場を開くか。……いいだろう! 騎士団の連中も、毎日しごかれるよりは息抜きができて喜ぶだろうしな」



 交渉は成立した。

 住居兼道場として、街外れにある広めの空き家を提供してもらうことになった。

 


「騎士団との顔合わせは明日にしよう。今日は旅の疲れを癒し、この街の空気を楽しむといい」

 ラミロより相応の滞在費を受け取ったのち、二人は館を後にした。



 提供された家は、港の喧騒から離れた丘の中腹にあった。

 それでも海は十分に見え、絶景とまでは行かないが、十分な景色だ。



 元は倉庫か何かだったのだろうか。石造りの壁はツタに覆われ、庭には雑草が生い茂っていたが、建物自体は頑丈で、中は広々としていた。

 一階は広い土間になっており、道場にするにはうってつけだ。



「うわあ……ボロい! 汚い!」

 シャルロッテが、埃の舞う室内を見回して毒舌を吐いた。

 相変わらずの口調だが、声色は弾んでいた。




「掃除し甲斐がありそうだな。……よし、シャルロッテ。まずは窓を開けて空気を入れ替えよう」

「はい、先生!」




 二人は手分けして荷物を運び込み、掃除を始めた。

 クラウスが箒で床を掃き、シャルロッテが雑巾で窓を拭く。



 長い間、誰も住んでいなかったのだろう。

 部屋の隅には蜘蛛の巣が張り、床は少し掃いただけで無数の埃が舞い上がった。


 一通り簡単な掃除を終え、夕陽が差し込むころ合いになった。

 突如、入口の扉が乱暴に開け放たれた。



「おい! 誰だお前ら!」



 クラウスとシャルロッテが目を向けると、一人の少年が立っていた。


 年齢はシャルロッテと同じくらいか、少し上に見える。

 金色の髪を短く刈り込み、身なりは良いが泥だらけ。そして何より目を引くのは、髪の間から突き出た、長く尖った耳だった。



 エルフ族である。



「ここは俺様の秘密基地だぞ! 勝手に入ってんじゃねえよ!」

 少年は、ずかずかと土足で上がり込み、クラウスを睨みつけた。



「……君の家? ラミロ様からは、空き家だと聞いていたのだが」

 クラウスが穏やかに返す。



「うるせえ! 俺様が先に見つけたんだから、俺様のもんだ! とっとと出ていけ!」



 ああ、なるほどとクラウスは思った。

 俗にいう、『秘密基地』というやつだ。


「申し訳ないが、今日からここに住むことになったんだ。道場も開くから、いつでも来たらいいよ」

「道場だあ? こんな貧相なおっさんが?」


 少年は鼻で笑い、腰に下げていた木剣を引き抜いた。

 隙だらけで、雑な構え。だが、重心は低く安定し、寸分のブレもなかった。


「ほう……」

 クラウスは、目を細める。


「言っておくがな、俺様はエルフだ。人間と違って長生きなんだよ。見た目はガキでも、お前より長く生きてるかもしれねえんだぞ。魔法だって使える。痛い目を見ないうちに出ていった方が身のためだぜ」


 エルフ族は長命種だ。

 外見が子供でも、実年齢は数十年、あるいは百年を超えていることも珍しくない。この街にはそんな「子供の姿をした老人」も多く暮らしている。



 だが、クラウスの眼力は誤魔化せない。

 この少年の魂の輝き、クオリアの質は、間違いなく若い。


 

「よし、じゃあ、かかっておいで。一本取れたら、出て行ってあげよう」

 クラウスは、掃除に使っていた箒を片手に持ち、軽く構えた。



「言ったな! 約束だぞ!」



 少年が地面を蹴った。



……速い。



 風魔法で身体強化を行っているのだろう。

 残像を残すほどの速度でクラウスの懐に潜り込み、木剣を下から突き上げる。


 洗練されていれば、これで勝負が決まっていたかもしれない。

 だが、あまりにも直線的すぎた。


「攻め気を出しすぎだ。攻撃する前から、攻撃するところがわかってしまうよ」


 クラウスは、箒の柄をわずかに動かした。

 少年の木剣が、見えない壁に弾かれたように軌道を逸らされる。


「なっ!?」

 体勢を崩した少年の足元へ、クラウスが箒を滑り込ませる。

 足がひっかかり、少年はそのまま地面に転ぶ……ところだった。

「危ない!」

 少年の体はフワリと浮き、横になったままソリに乗っているかのようにクラウスと距離を取った。



「これならどうだ!」

 少年は魔力の術式詠唱を行い、その手のひらから複数の風の刃を放った。



 クラウスは、その刃の軌道を丁寧に一つずつ箒で逸らす。

 建物が傷つかないよう、刃が窓から外へ逃げていくように力と角度の調整も行った。


 シャルロッテは、お見事と言わんばかりに両手をパチパチと叩く。


 一方、少年は呆然としていた。

 それもそうである。

 風魔法の刃は、刀身全てが斬撃だ。本来、木製の箒などで触れれば、切断されるのは箒のほうである。



「なんで……」



 クラウスは、にっこりと笑う。

「それを教える道場だからね」


 少年は悔しそうに顔を歪め、木剣を床に投げ捨てた。


「お、覚えてろ! 約束は忘れるなよ! また来るからな!」

「ああ、またおいで」


 クラウスに軽くあしらわれ、少年の顔は大きく膨れた。

 投げ捨てた木剣を拾い上げると、少年は道場から出ていこうとした。



「あ、そうだ。君、名前は?」

「……エリオ」

「そうか、エリオ。またね」



 エリオは軽くコクンと頷き、出ていった。



「生意気なクソガキが……」

「ふふ、でもシャルロッテのいいライバルになるかもしれないよ?」

 シャルロッテが、ムッとした表情を浮かべる。



「断じて! あり得ません!」

「そのためには、一生懸命練習しよう」

「もちろんです!」

 


 シャルロッテは箒を拾い上げて、ブンブンと振り下ろした。


 クラウスは、やれやれと肩を竦めながらも、これから始まる賑やかな日々を予感して、自然と口元が緩むのを止められなかった。

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