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第6話:純白の隠蔽

 装甲ソリを引いていた四頭の凍原竜が、断末魔を上げる暇もなく泥状の魔力へと還元され、巨大な影に取り込まれていく。

 骨が軋み、肉が再構成される。


 伝説に語られる魔導獣『イフリート』。

 石板に封印されたものはその魂を模したレプリカだが、このグラキリスの大地に滞留する魔力、そして凍原竜の巨躯を糧として、本物と並び立つ魔力を有していた。


 その名も――『イフリート・グラキリス』

 まさに神話の獣が、数千年の眠りから今、絶望の叫びと共に呼び覚まされたのだ。


「は、ははは! 見たか! これこそが神話の力だ!」


 メルクリウスは歓喜に叫んだ。

「殺せッ、イフリート! その氷の息吹で、無礼な猟犬どもを塵も残さず消し去れ!」


 生き残った数名の魔術師たちも、地獄で仏に会ったかのように顔を輝かせ、祈るように魔獣を仰ぎ見る。


 これほどの質量、これほどの魔力。


 いかに個の武力が優れていようと、神話の化身を相手に物理で何ができるというのか。


――だが……。  


 メルクリウスの視界で、信じがたい光景が展開された。



 ヴァルグが血濡れのナイフを鞘に収めた。  


 カミラが棍棒を肩に担ぎ、退屈そうに首を鳴らした。  


 バルガスが巨大な斧を地面に突き立て、懐から煙草を取り出して火をつけた。


 彼らは武器をしまい、その闘気を抑え始めたのだ。


 

 その光景を見て、メルクリウスはこう確信した。

「……諦めたか。賢明な判断だ。恐怖で足も動かんだろう!」


 メルクリウスが再びイフリートに攻撃を命じる。  


 だが、魔獣は動かなかった。

 山を飲み込まんばかりに大きく開かれた顎が、虚空を見つめたまま完全に静止している。


「何を遊んでいる! さっさとその牙を振るえ、この役立たずがッ!!」


 メルクリウスが、大声でイフリートを怒鳴りつけた。



 その時だった。



――カラン、と。  

 凍りついた金属が触れ合うような、硬い音が響いた。


 断崖の上にいたはずのクラウスが、いつの間にかメルクリウスの数歩後ろ、雪原の上に立っていた。


 彼は、ゆっくりと、儀式的なほど静かな動作で剣を鞘に収めているところだった。


――刹那。  

 巨大なイフリート・グラキリスの胴体に、三筋の「虚空」が走った。  

 一拍置いて、山のような巨躯が、重力に従って三つの断片へと滑り落ちる。  


 断面は磨き上げた鏡のように滑らかで、そこから溢れ出した膨大な魔力が、行き場を失って眩い光の粒子へと霧散していく。


 伝説は、咆哮を上げる暇さえ与えられず、ただの氷屑へと成り果てた。


「な……ななな……ッ!?」


 メルクリウスの思考が停止した。


 何が起きたのか。  


 イフリートは物理的な肉体を持たない、高密度の魔力体だ。


 鉄の刃は透過し、いかなる名剣であってもその核を穿つことは不可能なはず。


「……どうやって……倒した……。貴様、何を、した……」


 クラウスは無感情な瞳でメルクリウスを見下ろした。


「魔法で編まれた存在なら、その『術式』を斬ればいい。それだけの話だ」

「術式を、斬る……? そんなデタラメな論理が……」


 ありえない。

 術式とは、その魔力物体を構築する元素そのもの。

 そして、破壊まで実現するには、その術式の核、すなわち『原子核』にあたるものを破壊しなければならない。


 物体の、原子核を的確に、それも複雑に絡み合った自動再生の魔力術式ごと切断する。


 そんな芸当が出来る人間がいるのか……。


「ば……化け物……」

 メルクリウスは周囲を見渡し、さらに絶望に染まった。  


 いつの間にか、歓喜していたはずの生き残りの魔術師たちが、一人残らず絶命していた。


――神速のクラウス。

 魔族の誇る強大な魔将ヨルムンガンド。


 誰もが恐れ、畏怖していた存在だったが、結局終戦までその姿を見た者は誰もいない。

 なぜならば、このクラウスが会敵した刹那に切り殺したからと伝わっている。


 くだらない戦場伝説。

 そう思っていた自分を、今メルクリウスは強く後悔していた。


 もはや、ここにはクリスト派の権威も、魔法の神秘もない。  


 あるのは、化け物じみた強者たちと、血に染まった雪原だけだ。


「ま、待て……助けてくれ! 金ならいくらでも出す! 私は……!」


 メルクリウスが這いつくばり、無様に命乞いを始めたその時。  


 上空から銀色の粒子が舞い降り、一羽の魔導通信機「銀鴉」へと姿を変えた。


『クラウス。いまどこにいる』


 聖都から響く、総長ヴァレリウスの声。


「グラキリスです。任務ですから」

『メルクリウスも……か?』

「はい」


 分かっている。

 ヴァレリウスは、そういう声を発した。


 クラウスは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべたが、直ぐにその姿は氷原に溶けて消えた。


『まだ生きているか?』

「はい……」

『そうか、よかった。メルクリウスは、殺すな』

「は?」

『メルクリウスは重要人物でな。殺すと少し面倒なことになる。生かして連れて帰れ』

「と言っても、もう殺すところですよ? そんなことをしたら我々の身が危ない」

『反主流派に襲われたことにすればいい。それを調査任務中のお前らが助けたって筋書きだ』

「どうやって?」

『簡単だ。メルクリウス本人に、そう証言させろ。……いいな? 証言させろ』


 それだけ言い残し、銀鴉は再び霧となって消えた。  


 あとに残されたのは、凍てつくような沈黙と、メルクリウスの荒い呼吸音だけ。


「……だそうだ。聞いていたな」


 クラウスが低く呟くと、背後からヴァルグたちが、獲物を囲む狼のような足取りで歩み寄ってきた。


「へぇ……証言、ね。俺、そういう『説得』は大得意なんすよ」  

 ヴァルグが、再びナイフを抜き、メルクリウスの爪の間に刃を当てた。


「カミラ、バルガス。総長が『生かしておけ』と言ったのは、心臓のことだ。それ以外は、少しぐらい欠けても問題ないだろ?」


「ええ、いいわね。……この男のプライドを、一欠片ずつ削ぎ落としてあげる」


 カミラが嗜虐的な笑みを浮かべ、釘バットをメルクリウスの膝の上で転がす。  

 バルガスは無言で、メルクリウスを固定するための杭を雪原に打ち込み始めた。


「や、やめろ……頼む! ひ、あがぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」


 グラキエスの夜に、執行官メルクリウスの、魂を削り取るような絶叫がこだました。

 猟犬たちは、その悲鳴を肴にするかのように、冷酷な作業を開始する。  


 氷原の雪は無常にも白く、地獄の底から響くような断末魔さえも、その純白の中に音もなく飲み込んで消し去ってしまった。

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