第4話:白銀の処刑場
北方の死地グラキエス。そこは神が世界を創り替えた際の、燃えカスの如き荒野であった。
空は万年、低く垂れ込めた鈍色の雲に覆われ、地脈から噴き出す魔力が結晶化した雪となって降り注ぐ。
一粒一粒がナイフのように鋭く、剥き出しの肌を刻む。
騎士団の制式装備ですら数時間で鉄が脆くなり砕け散る、生きることを拒絶された「白銀の地獄」である。
だからこそ、最大にして最高の鉱床があると言われている。
魔族を滅ぼした今、この大地を侵食して憤るものはいない。
大地と空の色だけが、その絶望をひっそり讃えている。
だが、その絶望を嘲笑うかのように、白一色の世界を鮮やかな極彩色の列が横切っていた。
魔術協会クリスト派、北方視察団。その規模は、騎士団の一個中隊に匹敵する総勢六十名。
過剰な隊列は、それだけこの視察団にいる人物が重要であることを示している。
列の中央には、四頭の魔獣「凍原竜」に引かせた、巨大な装甲魔導ソリが鎮座していた。
表面にはクリスト派の象徴である黄金の紋章が刻まれ、周囲には二十名以上の結界魔導師たちが交代制で『常時発動型・恒温防御結界』を維持している。
結界の内部は、春の陽だまりのように暖かく、花の香りが漂う。
彼らは極寒の地を歩いているのではない。
温室を持ち込み、この地を「自分たちの領土」として塗り替えながら進んでいるのだ。
「……ふむ、退屈な風景だな」
装甲ソリの豪華な応接間で、メルクリウスはクリスタルグラスを揺らしていた。
彼の周囲には、派閥の精鋭たちが控えている。
前衛には、魔法障壁を発生させる盾を持った『重装魔導歩兵』が二十名。
後衛には、広域殲滅魔法を操る『上位魔術師』が十名。
屋根には、最新鋭の遠距離狙撃魔導具を構えた『魔導猟兵』たちが目を光らせている。
「執行官、間もなく予定の鉱床地点です。セーニャ派の連中が手を出す前に、この地の地脈をクリスト派の刻印で上書きしてしまいましょう」
側近の言葉に、メルクリウスは薄く笑った。
「ああ。ヴァレリウスの老いぼれも、たまには気の利いた手土産を用意するものだ。これで、クリスト派の支配は盤石となる。神聖騎士団も直に我らの傘下になるだろう」
窓の外では、吹雪がさらに激しさを増していた。
視界は五メートル先も見えない。索敵魔法さえもノイズに掻き消される魔力の嵐。
だが、クリスト派の魔導師たちは、結界の強度を信じて疑わなかった。
彼らにとって、この吹雪は「騒音」に過ぎず、そこに殺意が潜んでいるなどとは夢にも思わなかった。
――その傲慢が、音を立てて砕け散った。
突如、吹雪の咆哮を上書きする「異音」が響く。
それは、空気が極限まで圧縮され、爆発する直前の悲鳴に似ていた。
メルクリウスの隣にいた魔術師が何かに気づき、口を開こうとした瞬間――視界のすべてが、巨大な「黒」に塗りつぶされた。
脳裏から全身に駆け巡る激しい振動。
天から隕石が落ちたかのような衝撃。
世界最高の硬度を誇るはずの、クリスト派の多層防護結界が、たった一撃で「ひび割れた」。
「な、何事だッ!?」
メルクリウスがグラスを投げ捨て、窓の外を見る。
そこには、三メートルを超える巨大な質量が、結界の天面を踏み抜いて着地していた。
雪煙が晴れ、現れたのは一人の怪物。
三メートル近い巨躯に、丸太のような腕。鼻から白い蒸気を荒々しく吐き出す大男――バルガス。彼が担いだ身の丈ほどもある巨大斧が、結界を貫通したまま地面に突き立てられていた。
「だ、第四騎士団だと!」
「……暑苦しい結界だな。おかげで斧が錆びそうだぜ」
バルガスがニヤリと笑い、力任せに斧を引き抜く。
その拍子に、結界の構造そのものが耐えきれずに霧散した。
一瞬にして「春」が奪われ、マイナス四十度の冷気が牙を剥いて魔術師たちに襲いかかる。
「防衛陣形! 早くしろ、一人のデカブツに――」
指揮官が叫び、重装魔導歩兵が魔法の盾を構えようとした、その時。
バルガスの影から、銀色の閃光が跳ねた。
吹雪に溶けるほど白い肌。冷酷なまでの美貌。
第四部隊のカミラだ。
彼女はバルガスの背を足場に、重力を無視したような跳躍を見せた。
手には、無数の鉄釘が不規則に打ち込まれた、禍々しい特製の棍棒。
「死にたくないなら、詠唱を止めなさい。……もっとも、止めたところで殺すけれど」
カミラが空中で身を翻し、最前列の魔術師の側頭部へ棍棒を叩き込む。
魔力を帯びた防護服も、強化された骨格も、彼女の「物理的な殺意」の前では豆腐と変わらない。
グシャリ、という生々しい破壊音。
脳漿と鮮血が白銀の雪原にぶち撒けられる。
一人は巨大な斧で結界ごと叩き潰し、一人は針の穴を通すような正確な暴力で急所を破壊する。
最強の魔法陣。最強の防御。
それが今、たった二人の「人間」の奇襲によって、無惨な屠殺場へと変えられようとしていた。
断崖の上。
クラウスはまだ、無言で、無感情に、その惨劇を睥睨していた。




