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第3話:猟犬の矜持

 聖都の夜は、冷たい雨に濡れていた。  


 第四部隊の拠点である旧兵舎の地下に、重苦しい沈黙が降り積もる。


 大広間での屈辱から数時間。

 ヴァルグは荒い手付きでナイフを研ぎ、カミラは窓のない石壁を見つめ、バルガスは無言で武具の調整に没頭していた。


「……納得いかねえ。俺たちは総長の犬かもしれねえが、あんな腐れ魔術師に頭を下げるために剣を握ってるわけじゃねえ」  


 ヴァルグが、研ぎ石を床に投げ捨てる。その声には、やり場のない憤怒が滲んでいた。  


 クラウスは一人、暗がりの中でパイプの煙を吐き出していた。灰色の瞳には、依然として何の感情も映っていない。

 だが、彼の視線の先には、先ほど懐に届けられたばかりの「新たな指令書」があった。


「謹慎じゃなかったのね。ということは隊長、そいつはまた別の『汚れ仕事』?」  

 カミラが皮肉を込めて尋ねる。


 クラウスは無言で指令書をテーブルの中央に投げ出した。そこには聖印が押され、簡潔な文字が並んでいた。


 ――北方、極寒の地『グラキエス』における、未登録魔石鉱床の調査。


「グラキエスだと? あそこは魔術協会の勢力が強い領域だ。おまけに、騎士団の反主流派が潜んでいるって噂の死地じゃねえか」  

 バルガスが低い声で唸る。  


 北方はかつての戦争でも激戦区だった。今では地脈が狂い、魔力が暴走する吹雪が吹き荒れる不毛の地だ。そこへ、北区への立ち入りを禁じられたばかりの彼らが派遣される。


 それが何を意味するか、彼らには容易に理解できた。


「名目上は『名誉挽回の機会』だ。だが、メルクリウスの言葉を忘れるな。……あそこは死体を隠すのに丁度いい場所だそうだ」  

 要するに、『生きて帰れると思うな』ということ。


 クラウスの言葉に、部屋の空気がさらに冷え切る。


「――そんなに腐るなよ。退屈しなくて済みそうなネタを持ってきてやったからさ」


 軽薄な声と共に、影から一人の男が姿を現した。  


 第四部隊の目と耳を担う斥候、ジーンだ。騎士団の制服を完全に脱ぎ捨て、影に溶け込む黒い軽装に身を包んだ彼は、一流のシーフ(盗賊)としての身のこなしでテーブルに歩み寄る。


「ジーンか。で、どうだった?」  

 クラウスが重い瞼を上げた。


「隊長の読み通りさ。腹黒い総長が、汚れ仕事専門の俺たちを捨てるわけないってこと」


 ジーンがニヤリと笑い、一枚の紙をテーブルに広げた。

 そこには、魔術協会の重要人物たちの北方への出張計画が記されていた。


「明日、魔術協会クリスト派の一行が、北方の未登録魔石鉱床へ視察に赴く。新たな利権が手に入るって盛り上がってるそうだ。で、その視察団の長は、あのメルクリウスってわけだ」


 その名が出た瞬間、部屋の空気が一変した。

 ヴァルグの研ぎ澄まされた殺気が膨れ上がり、バルガスが斧を握る手に力がこもる。


「……北方の調査任務。表向きは調査で、実態はメルクリウスとクリスト派を殺れってことね」  

 カミラが棍棒の釘を指先でなぞりながら、低く呟いた。


「ご名答。総長は、メルクリウスと手を握る一方で、協会内の対立勢力であるセーニャ派とも密約を交わしたらしい。俺たちを使ってメルクリウスを消し、セーニャ派を支配下において、魔術協会の主導権も騎士団に取り込んじまおうって腹だろうな」


「ハッ、狂ってやがる!」  

 ヴァルグが、剥き出しのナイフをテーブルに突き立てた。


「あのクソ野郎、メルクリウスと茶を飲みながら、裏じゃ俺たちにその喉元を掻き切れって言いやがんのか。不条理すぎて反吐が出るぜ」


 バルガスが巨大な斧を担ぎ、重苦しい足音を立てて歩み寄る。

  「だが、相手は今まで魔術アイテムをほぼ全て手中に収めてるクリスト派の精鋭だ。メルクリウス本人はもちろん、護衛の魔術師どもも協会屈指の強者揃い。……たった一個部隊で葬れと言うのか。文字通りの無理難題だな」


 部屋を支配したのは、重苦しい沈黙ではない。  

 それは、獲物を前にした獣たちが発する、ひりつくような熱を帯びた殺気だった。


「……まあ、これも仕事だ」  

 クラウスがゆっくりと立ち上がり、壁にかけられた愛剣を引き抜いた。

「第四部隊らしいじゃないか、なあ?」


「行くのかい、隊長?」  

 ジーンが面白そうに目を細める。


 クラウスは答えず、剣を鞘に納めた。その瞳には、謝罪の時の倦怠感は消え、代わりに底冷えするような闘志が宿っていた。


「何ども言わせるな。仕事だ」


「了解だ、隊長」  

 ヴァルグが狂おしげに笑う。  


 最強の猟犬たちは知っている。

 自分たちが、主人の気まぐれで放たれた使い捨ての駒に過ぎないことを。


 だが、それでも。牙を立てるべき標的が目の前に現れたなら、その喉笛を食い千切るのが、彼らの唯一の存在証明だった。


「第四部隊、出撃だ。一人も逃すな」


 夜明け前の聖都。  



 向かうは北方の死地、グラキエス。  



 激しい雨の中、猟犬達の影が音もなく街を駆け抜けた。  

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