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クロノスフィア  作者: 遙 カナタ


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第七話:裏山の遭遇戦

 乾が「公用車」と呼ぶ、ひどくタバコ臭くて加速の鈍い軽自動車は、悲鳴のようなエンジン音を響かせながら夕暮れの街を疾走した。

 夕日に照らされた茜色の世界の中を、場違いなSFガジェットを抱えた高校生とトレンチコートの男が突き進む。車窓から見える見慣れた通学路の景色が、まるで別の世界の出来事のように遠く感じられた。


「少年、一応おさらいをしておくよ。僕たちの目的は、裏山に落ちてきたアトランティス製の遺物の『迅速な回収と因果の固定』だ。ヴァルハラの連中との戦闘は、あくまでそれを邪魔された時の最終手段。いいかい、僕たちは公務員であって、正義のヒーローじゃない。定時退勤と安全第一がモットーなんだからね」

 乾は片手でハンドルを緩く握りながら、もう片方の手で火縄銃のような歪な長銃――時空遺物管理局製『因果中和銃アンチ・タキオン・ライフル』のレバーをがちゃりと引いた。


「言われなくたって、あんなバケモノ相手に自分から進んで戦うわけないだろ……!」

 蓮は助手席で、膝の上に置いた『不錆の鉄剣』をぎゅっと抱きしめた。

 主を失ったブレードは、今は鈍い銀色の輝きを放ち、ただの重い古鉄のように静まり返っている。しかし、これがひとたび起動すれば、空間すら融解させるプラズマの刃に化けるのだ。冷たい金属の感触が、蓮の掌にじっとりとした汗をかかせる。


『ちょっと蓮、情けない顔してんじゃないわよ!』

 ダッシュボードの上に据え付けられたスマホの画面から、エレナの桜色のホログラムが飛び出し、蓮の鼻先を指差した。

『その鉄剣の制御OSは、私が昨日のうちに完璧にアトランティス・アカデミー仕様に書き換えてあるわ! 持ち主の因果律をブーストして、ブレードの出力に直接変換するの。今のあなたなら、あいつらのゴツい次元装甲だって、紙切れみたいに切り裂けるはずよ!』


「その『はず』が怖いんだよ……! そもそも俺、剣道もフェンシングもやったことない帰宅部だぞ!?」


「まあまあ、なんとかなるさ。現場の裏山に到着したよ」

 乾がブレーキを踏み、軽自動車は緑ヶ丘高校の敷地裏、うっそうと木々が茂る第二裏山の麓に滑り込んだ。


 車外へ出た瞬間、蓮は肌を刺すような「奇妙な違和感」を覚えた。

 空気が、妙に冷たくて、重い。夕方だというのに、虫の声一つ、鳥の羽羽ばたき一つ聞こえない、完全な拒絶の空間。

 乾が首から下げた『エーテルアナライザー』の真鍮の歯車が、ギチギチと悲鳴を上げるような速度で回り始め、中央のガラス管の中の液体がどす黒い紫色に変色していく。


「……エーテル濃度、通常の三百倍を突破。空間の歪みが実体化し始めてるね。少年、お嬢様、ここからは『ハズレ世界線』の物理法則が通じない領域だ。足元に気をつけて」


 乾を先頭に、三人は鬱蒼とした雑木林の斜面を登り始めた。普段なら、サボり魔の生徒が煙草を吸いに来るくらいの寂れた裏山。しかし、奥へ進むにつれて、周囲の景色は急速に変貌していった。

 木々の葉が、ところどころガラス細工のように透明に変質し、地面の土からは、淡い青色の光の幾何学模様が、まるで脈動する血管のように浮き出ている。


『――待って、二人とも。来るわ!』

 蓮のポケットの中で、エレナの声が警戒を叫んだ。


 雑木林を抜けた先にある、小さな開けた空間――そこは、まさに「世界の壊れた交差点」だった。


 空間の中央に、直径二メートルほどの、歪んだ銀色の立方体が半分地面に埋まるようにして転がっていた。それこそが、ベータ世界線から落っこちてきた『アトランティス製・高密度エーテル貯蔵コンテナ』だった。コンテナの表面からは、凍てつくような冷気と、世界の整合性を揺るがす光の粒子が溢れ出している。


 だが、蓮たちの視線を釘付けにしたのは、そのコンテナの前に立つ、二つの「影」だった。


「――やはり来たか。ハズレ世界線のネズミども」


 地を這うような冷酷な電子音声。

 そこにいたのは、昨日博物館で交戦した男とは別個体の、しかし全く同じ血のような赤いバイザーを持つ、ヴァルハラの『次元略奪兵』だった。それも、二体。

 彼らはすでにコンテナに太いケーブルを打ち込み、アトランティスのエネルギーを強引に抽出する作業を始めていた。男たちの纏う鈍色の次元装甲が、夕闇の中で怪しく明滅している。


「チッ、二人組か。有給どころか残業確定だね、これは」

 乾が心底嫌そうに吐き捨て、火縄銃型の因果中和銃を構えた。

「そこのお二人さん。そのコンテナは当世界線の不法投棄物として、我が管理局が回収させてもらう。速やかに作業を中断して、元の世界線へお帰り願おうか」


「笑止。この世界線の存在確率など、我らヴァルハラの軍勢が明日には踏み潰すゴミ屑に過ぎん。因果のゴミ拾い風情が、我らの(エネルギー)を遮るな」

 一体の略奪兵が、腰から『高周波電磁ブレード』を引き抜いた。ガシャァン、という鋭い起動音と共に、刀身から狂暴なエメラルドグリーンのプラズマが噴き出し、周囲の空間を焼き焦がす。


「少年、左のあいつは僕が引き受ける。君は右のあいつを足止めしてくれ! 殺されちゃダメだよ、時給が払えなくなる!」


「無茶言うなぁぁぁ!!」


 乾が叫ぶと同時に、因果中和銃の引き金を引いた。

 ズドン!!!という大砲のような重低音と共に、目に見えない「因果を打ち消す衝撃波」が放たれ、左側の略奪兵の足元を爆破する。略奪兵は質量を無視した超高速でそれを回避し、乾目掛けて躍り出た。


 そして、もう一体の略奪兵の赤いバイザーが、真っ直ぐに蓮を捉えた。


「東雲蓮。因果律の監視網に登録された『バグ』か。ここで消去する」


 男が床を蹴る――いや、斜面の土を爆発させて、一瞬で蓮との距離をゼロに詰めてきた。

 頭上から振り下ろされる、死を運ぶ緑色の閃光。昨日の恐怖がフラッシュバックし、蓮の身体が硬直しかける。


『蓮、ビビんじゃないわよ! ブレードを構えて、私のカウントに合わせて、思い切り突き出しなさい!!』

 脳内でエレナが叫ぶ。その声が、蓮の思考を強制的に覚醒させた。


「う、おおおおおおっっ!!」


 蓮はがむしゃらに、両手で抱えていた『不錆の鉄剣』を前方へと突き出した。

 その瞬間、蓮の身体を流れる『特異点』としての生体エネルギーが、エレナの書き換えたOSを通じて、鉄剣へと爆発的に流れ込んだ。


 ドオォォォォン!!!


 蓮の手の中で、眠っていた鈍色の古鉄が、目も眩むような「桜色のプラズマ」を爆発的に吹き出させた。

 アトランティスの超科学と、蓮の特異点の波長が完璧に同調した、世界線を拒絶する輝き。


 激突。

 略奪兵の緑色の刃と、蓮の桜色の刃が正面からぶつかり合い、周囲の雑木林の木々を一瞬でなぎ倒すほどの強烈な衝撃波を撒き散らした。


「ぬ……何だと!? 刀身の出力が……押し負けているだと!?」

 略奪兵のバイザーの奥から、驚愕の声が漏れた。


 昨日までは土器を投げることしかできなかった原始人が、自分たちの兵器を完璧に使いこなし、それどころか、規格外の桜色の出力を叩き出している。

 金属同士が擦れ合う凄まじい火花の中、蓮は必死に歯を食いしばり、全身の体重を剣へと預けていた。筋肉が悲鳴を上げ、制服の袖がエネルギーの余波でパチパチと焦げていく。


『いいぞ蓮! そのまま押し切りなさい! あいつらの次元装甲は、同じアトランティス規格の超高周波プラズマなら、無効化できずにそのまま引き裂けるわ!』


「いっけえぇぇぇぇぇ!!!」


 蓮は渾身の力で、桜色のブレードを上方へと跳ね上げた。

 凄まじいエネルギーの反発が起き、略奪兵の巨体が、その質量に反して大きく後方へと弾け飛ぶ。


 その刹那だった。

 蓮が放った桜色のプラズマの残光が、略奪兵の頭部をかすめ、あの不気味な血のような赤いバイザー(仮面)を斜めに叩き割った。


 パキィン、とガラスが砕けるような硬質な音が響き、割れた仮面の隙間から、内部の「素顔」が夕日に晒される。


「え――」

 それを見た蓮は、息を呑んだ。


 剥き出しになったその横顔。夕暮れの光に照らされたのは、戦闘狂のサイボーグなどではなく、驚くほど白く滑らかな肌と――エレナと酷似した、繊細な少女の輪郭だった。

 固く結ばれた唇、そして割れた仮面の奥から蓮を睨みつけたその瞳の色は、エレナの放つホログラムと同じ、鮮やかな桜色をしていた。


『……っ!?』

 ポケットの中の端末から、エレナが言葉にならない短い悲鳴のような息を呑む音が聞こえた。


 しかし、その驚愕の瞬間は一秒にも満たなかった。

 少女のようにも見えた略奪兵は、すぐに顔を背け、無事な左手で割れた仮面を隠すように押さえた。そのバイザーの隙間から、再びノイズ混じりの冷酷な電子音声が響く。


「現地民ごときが……調子に乗るな!」

 弾き飛ばされた略奪兵が、空中で姿勢を立て直し、再び殺意を漲らせて突入してこようとした、その時。


「はい、そこまで。よそ見をしてちゃダメだよ、お友達」


 いつの間にか、もう一体の略奪兵を『因果中和銃』で蜂の巣にして、空間の彼方へ強制送還し終えた乾が、蓮と対峙していた略奪兵の真横に音もなく立っていた。

 乾はヨレヨレのトレンチコートを揺らしながら、火縄銃の銃口を、略奪兵の頭部へと完全に密着させていた。


「チェックメイトだ。君たちの抽出データは、僕の端末で今さっき全部妨害して消去させてもらった。これ以上ここにいても、残業代も出ないし無駄骨だよ」


「くっ……! 時空遺物管理局の、狗どもが……!」

 略奪兵は忌々しげに蓮と乾を睨みつけた。しかし、仲間の戦線離逃と自身の装甲の損傷、そしてデータの喪失を悟り、これ以上の戦闘は不利と判断したのだろう。


「東雲蓮、あるいはベータ世界の魔女め……。ヴァルハラの本隊が動く時、貴様らの世界線ごと、すべてを因果の塵にしてくれる」


 男――いや、あの少女と同じ顔をした兵士が胸のスイッチを押すと、その背後に禍々しい赤いゲートが出現し、巨体を吸い込むようにして一瞬で消滅した。

 風が吹き抜け、裏山の空間に、ようやく元の静寂と、夕暮れのひぐらしの声が戻ってくる。


「……はぁ、はぁ、はぁ……っ!!」

 蓮はその場にドサリと尻餅をつき、鉄剣を地面に落とした。


(今のは……見間違いか? なんであいつの顔が、エレナに……?)

 混乱する頭で、蓮は隣の端末へと視線を向けた。

 いつもなら「やったわ!」と大騒ぎするはずのエレナが、今はホログラムの姿すら見せず、ポケットの中で静かに、ただ小さく、小刻みに震えるように桜色の光を明滅させているだけだった。


「いやぁ、お見事お見事。少年、君の初陣としては100点満点だ……」

 近づいてくる乾ののんきな声すら、今の蓮の耳にはどこか遠くで鳴っているようにしか聞こえなかった。

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