第五話:我が家の爆弾と、魔改造の有給休暇
「――で、ここがその、世界の命運を握る特級危険物が鎮座しているという、最高にスリリングな少年の自室かい?」
トレンチコートの襟をだらしなく寛げた乾は、蓮の部屋のドアを開けるなり、心底気の抜けた声を上げた。
郷土博物館での死闘から、およそ一時間後。
蓮は、乾の運転するこれといって特徴のない国産の軽自動車に揺られ、すっかり夜の帳が下りた自宅へと帰還していた。幸いにも両親は共働きで帰りが遅く、詰襟の制服を灰だらけにした不審な息子と、その後ろについて歩く怪しいトレンチコートの男が家に入る瞬間を見られることはなかった。
六畳一間の男子高校生の部屋。
使い古された学習机、ベッド、適当に放り出された教科書や、趣味のゲームのポスター。そんなありふれた日常の光景の真ん中で、それは異様な存在感を放ち続けていた。
昨日、蓮がクリップ一本で無理やり強制停止させたアトランティス製の『駆動炉のコア』だ。
一万円のオークション品は、机の上の消しゴムのカスの隣で、未だに「キュイーン……」と、蚊の鳴くような、しかし確実に空間を歪ませている微弱な駆動音を立てて冷たく光っている。
「うわぁ、本当だ。ベータ世界線の『第三世代型時空エーテル駆動炉』の圧縮コアじゃないか。懐かしいなぁ、僕が新人の頃に一回だけ研修マニュアルで見たよ」
乾は部屋に一歩踏み込むと、踏み荒らされたマンガ本の山を器用に避けながら机に近づいた。首から下げた『エーテルアナライザー』の歯車が、カタカタと狂ったように回転を始める。
「おい、乾さん。懐かしいとかのんきなこと言ってないで、早くそれを回収してくれよ。これ、一歩間違えたらこの街ごと消し飛ぶんだろ?」
蓮は部屋のドアを閉め、背中で寄りかかりながら、どっと押し寄せた緊張感に眉をひそめた。
すると、蓮のポケットの中で待機していた透明なガラス板が、まるでその言葉を遮るようにまばゆい桜色の光を放った。
『ちょっと! 誰の設計が「新人用マニュアル」レベルだって言うのよ!? それを開発したチームには、うちの研究所の偉大な先輩がいたんだからね! 失礼しちゃうわね、ハズレ世界線の公務員!』
部屋の空間に、再び現れる銀髪ツインテールの立体ホログラム。エレナは空中で腕を組み、乾を見下ろして不満げに頬を膨らませた。
「おや、アトランティスのお嬢様。復活早々元気だね。だけどね、設計が素晴らしくても、君たちがこれを『燃えないゴミ』の感覚で時空の隙間にポイ捨てするせいで、僕たちの世界の因果律はいつだって破綻寸前なんだ。現に、さっきはヴァルハラの物騒な兵隊さんまで釣られてやってきた。これは立派な国際問題、いや、世界線間問題だよ」
乾は缶コーヒーをサイドテーブル(ただのカラーボックス)に置き、めんどくさそうに懐からスマホを取り出した。しかし、それは蓮が持っているような現代のスマートフォンではなく、側面に不自然なほど多くの真空管と、小さなアンテナが飛び出している、異形のガジェットだった。
「さて、お嬢様。博物館での約束通り、取引を始めようか。これを安全に君の世界線へ送り返すには、僕たち管理局のローテクな『時空歪曲回収ポスト』じゃ容量が足りない。君の端末の通信ポートと、僕の『魔改造ガジェット』を同調させて、臨時の安定したワームホールを開く必要があるんだ」
『フン、いいわよ。ハズレ世界線のテクノロジーをちょっと底上げしてあげるくらい、アトランティス時空動力研究所の首席であるこの私にかかれば、赤子の手をひねるようなものよ』
エレナは誇らしげに胸を張ると、ホログラムの指先をパチリと鳴らした。
彼女の透明な端末から、無数の細かな幾何学模様の光のラインが空中へと投射され、乾が差し出した「真空管付きスマホ」の周囲を包み込んでいく。
「へえ、さすがだね。光子的なハッキングじゃなくて、因果律の直接書き換えか。アトランティスの科学は相変わらずエレガントで、そして恐ろしいよ」
乾の持つ端末の真空管が、見たこともない鮮やかな琥珀色にパチパチと発光し始める。現代の電気回路では絶対にあり得ない速度で、データの書き換えが行われているのが素人目の蓮にも分かった。
「……あのさ、二人が盛り上がってるところに水を差すようだけど」
蓮は二人のオタクじみた会話についていけず、おずおずと手を挙げた。
「俺は何をすればいいんだ? ただここで、部屋が爆発しないように祈ってればいいのか?」
乾は真空管スマホの画面を見つめたまま、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「まさか。少年、君が主役さ。さっきも言っただろう? 君は世界線同士の矛盾を引き寄せて固定する『特異点』なんだ。アトランティスの超科学と、地球の隠蔽技術、そして目の前にある暴走寸前のコア。この三つの異なる『存在確率』をこの部屋という狭い空間で同時に成立させるには、君の指先が媒介として必要なんだよ」
『そうよ蓮! 乾のローテク端末のボタンを押すのは、あなたじゃなきゃダメなの。私や乾が押したら、世界の確率が拒絶反応を起こして、その瞬間にコアが臨界点に達して、ドカン、よ!』
「サラッと恐ろしいこと言うなよ!!」
蓮は顔を引きつらせた。クリップ一本で爆弾を止めたあの日から、自分の人生の難易度が急上昇しているのを実感する。
「よし、同調完了だ。少年、この端末をコアに向けて、画面の『エンターキー』に触れてくれ。タイミングは僕が指示する。……ああ、神様、これで僕の今月の有給休暇が守られますように」
乾はどこまでも私欲な祈りを捧げながら、真空管から煙を噴き出している奇妙な端末を蓮に手渡した。
蓮は生唾を飲み込み、端末を両手でしっかりと保持した。先端を、机の上で妖しく光る『駆動炉のコア』へと向ける。
画面には、現代のOSとは全く違う、緑色の煙のような文字で「因果定着率:42%」と表示されていた。その数値が、エレナの放つ桜色の光を受けて、急速に上昇していく。
『リンク確立、90……95……今よ、蓮! 押しなさい!!』
「うおおおお、頼む、爆発するなよ!!」
蓮は思い切り、画面の「ENTER」と書かれた物理ボタンを押し込んだ。
ズウゥゥゥゥンッ!!!
蓮の部屋の、わずか数センチの空間の空気が、強烈に「圧縮」された。
耳の奥がキーンと痛むような、完全な無音の衝撃波が部屋を駆け抜ける。
次の瞬間、学習机の上の空間がぐにゃりと万華鏡のように歪み、そこへ直径30センチほどの、小さな、しかし底知れない闇を湛えた『黒い穴』が出現した。
『キャッチしたわ! アトランティス側の受け取りポート、正常に稼働! 空間安定度、グリーンよ!』
エレナが歓声を上げる。
「よし、少年、そのまま端末を動かさないで! お嬢様、一気に吸い上げて!」
乾が叫ぶ。
学習机の上に転がっていた、あの恐ろしい『駆動炉のコア』が、ふわりと重力を無視して浮かび上がった。そして、吸い寄せられるようにして、空間の歪みの中心へとゆっくりと吸い込まれていく。
コアの放つ禍々しい青い光が、ワームホールの闇の中に完全に消えたその瞬間――。
パチン、と電球が弾けたような軽い音がして、部屋の歪みは完全に消失した。
後に残されたのは、いつもの散らかった六畳一間。
机の上には、コアが置いてあった場所だけ、うっすらと焦げ跡が残っているだけだった。
「はぁ………………終わった…………?」
蓮はガクリと膝をつき、乾の魔改造端末を床に落とさないように必死にしがみつきながら、長い長い息を吐き出した。
『やったわ! 成功よ! 駆動炉のコア、我がアトランティス動力研究所の隔離倉庫への格納を確認! 蓮、あなた本当に最高の原始人よ!』
ホログラムの中で、エレナが飛び跳ねて喜んでいる。
「いやぁ、お見事。これで僕の始末書も、世界の崩壊も、まとめて回避されたわけだ。素晴らしい。これなら明日は有給を取って、一日中寝ていられるよ」
乾は缶コーヒーを完全に飲み干し、心底満足そうに伸びをした。
「……本当に、これで全部解決したんだな? 俺の日常は、明日から元通りなんだな?」
蓮は眼鏡を押し上げながら、確認するように二人に視線を向けた。
しかし、乾はトレンチコートのポケットに手を突っ込み、少しだけ意地の悪い、しかしどこか楽しげな笑みを浮かべて蓮を見つめていた。
「日常に元通り? まさか、少年。君はさっき、アトランティスの超科学と直接リンクして、因果律を固定してみせたんだ。そんな『特異点』の履歴を残した人間を、僕たちの組織が、そしてあのヴァルハラの『次元略奪兵』たちが、放っておくと思うかい?」
「え……?」
「東雲蓮くん。君にはね、これから僕たち『時空遺物管理局』の、非常勤の外部協力員として働いてもらう。もちろん、時給は相場より色をつけてあげるし、高校の出席日数も僕たちの権力でいくらでも改ざんしてあげるよ。断る権利はない。だって君が動かないと、次の『ゴミ』が落ちてきた時に、この街が本当に消し飛ぶからね」
『ちょっと! 蓮は私の相棒(仮)なんだから、そっちのローテク組織で勝手にこき使わないでよ! 私の端末の充電方法も開発しなきゃいけないんだから!』
画面の向こうで騒ぐ異世界の天才少女と、目の前で有給休暇の計画を練り始めるけだるげな現代の回収屋。
二つの世界線の非日常に挟まれ、蓮は机の上の焦げ跡を見つめながら、これから始まるであろう、全く平穏ではない高校生活を思って、この日一番の深い、深い溜め息を吐くのだった。




