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クロノスフィア  作者: 遙 カナタ


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第四話:特異点の少年と、ハズレ世界線の回収屋

「おや。先客……いや、君、もしかして『ハズレ世界線』の一般人かい? なんでそんなモノを持ってるのかな?」


 トレンチコートを着た眠そうな目の男は、首から下げた奇妙なメーターをパチパチとプラスチックの指先で叩きながら、ひどく間の抜けた、しかしどこか冷徹な響きを持つ声を上げた。


 郷土博物館の第一展示室は、まさに惨惨たる有様だった。

 蓮が放り投げた古代の土器(の精巧なレプリカ)は微細な灰となって床一面に白く積もり、引き裂かれた木製の展示台からは、プラズマの熱で焼かれた黒い煙が未だに細く立ち上っている。

 その破壊の爪痕の中心で、高校二年生の東雲蓮は、詰襟の制服を灰で汚したまま、緑色の光を失った『不錆の鉄剣』を泥棒さながらに両手で構えて硬直していた。


(この人……今、確実に『ハズレ世界線』って言った。エレナが、あの銀髪のやつが言っていたのと、全く同じ単語を……!)


 蓮の背中を、先ほどの戦闘とはまた違う、奇妙な悪寒が駆け抜ける。

 現代の、それもこんな地方都市の寂れた博物館に、世界の裏側の構造を知っている人間がいる。その事実だけで、日常の境界線が足元から崩れ去っていくようだった。蓮は剣先を向けたまま、喉の渇きを堪えて問い返した。


「あんた……誰だ。警察じゃないな。民間人にも見えないけど」


「おっと、物そうで怖いね。まずはその物騒なオモチャを下ろしてくれないか。それは現代の女子高生が持っている防犯ブザーより、およそ数万倍は危険なシロモノなんだ。下手をすれば指の二、三本は光の粒子になって消し飛ぶよ」


 男はめんどくさそうに両手を軽く上げ、トレンチコートの深く使い込まれたポケットから、一枚のプラスチック製のIDカードを取り出して提示した。そこには、無限のループを思わせる歪んだ正弦波のロゴマークと共に、見たこともない特殊なフォントで組織名が印字されていた。


「僕は(いぬい)。『時空遺物管理局(タイム・ゴミ係)』の極東支部第一回収班に所属する、しがない一級回収員さ。一応、君たちが住んでいるこの世界線――つまり地球の国際連合が秘密裏に設立した、由緒正しい公的機関の人間だよ。怪しい者じゃない。まぁ、怪しさで言えば君も同等か、それ以上だけどね」


 乾と名乗った男は、けだるげにため息をつきながら、割れたショーケースの前に歩み寄った。首から下げた機械から伸びる金属製のプローブを床の磁場に向け、数値を手元のメーターで確認し始める。


「やっぱりか……。ヴァルハラの略奪兵(スカベンジャー)が時空転移した痕跡があるね。特有のタキオン粒子が残留している。……驚いたな。これを、そこの君――ただの詰襟(つめえり)の高校生が、生身で追い払ったのかい? 現代の陸上自衛隊が小銃を乱射したって、傷一つつけられずに全滅するようなバケモノ相手に」


「追い払ったっていうか……」

 蓮は徐々に剣を下げ、自分の手のひらを見た。まだ恐怖で小刻みに震えている。

「あいつの持ってた武器の安全弁をハッキングして、無理やりエネルギーを暴走させて、手を離させたんだ。俺の力じゃない」


「……ハッキング?」

 乾の手が、ピタリと止まった。眠そうだった細い目が、カッと見開かれ、蓮の顔を値踏みするように凝視する。

「君が? ヴァルハラの、それも軍事用に暗号化された制御回路を、このブロードバンド環境すらまともに整っていないローテク世界の一般人が解読したって言うのかい? それが本当なら、君はノーベル賞どころか世界の大統領になれる天才だよ」


「いや、だから俺じゃないって! この、ポケットの中の……あ」


 蓮は制服のポケットをまさぐり、完全に沈黙したエレナの端末――あの厚さ1ミリの透明なガラス板を取り出した。しかし、液晶には何の光も宿っていない。バッテリー残量は完全な0%。今や、ただの重い綺麗なガラスの板にすぎなかった。


 乾はその端末を一瞥し、すべてを察したように「あぁ」と気の抜けた声を上げてポンと手を叩いた。


「なるほどね! 『世界線:ベータ・3』――アトランティスの民生用マルチデバイスか。あそこの科学者どもは知的好奇心が旺盛な割に、実験の不始末とポイ捨ての常習犯だからねぇ。君、あの頭のネジが数本吹き飛んだアトランティスの科学者とコンタクトを取ったんだね? 災難だったね」


「あの……さっきから聞いていると、アトランティスだの、ハズレ世界線だの、あんたたちはいったい何を管理しているんだ?」


 蓮の問いに、乾は割れたショーケースの縁に腰掛け、コートのポケットから一本の缶コーヒーを取り出してプルタブを引きながら、観念したように語り始めた。長編のパズルのピースが、ここでようやく組み合わさっていく。


「いいかい、少年。君たちが学校で習う歴史や科学は、この広大な宇宙のほんの一片、それも一番ツマラナイ部分だけなんだ。世界は一つじゃない。選択の数だけ平行に並ぶ『世界線』が存在する。そして僕たちがいるこの地球は、科学の発展が極端に遅れた、通称『ハズレ世界線』。紀元前にエーテルを発見して今や宇宙を支配しているアトランティスや、軍事技術を極限まで高めて他世界を侵略しているヴァルハラとは違って、未だに化石燃料を燃やして喜んでいる原始的な世界さ」


 乾は缶コーヒーを一口すすり、ぬるい湯気を眺めた。


「そんな上位の世界線から、時空の歪みを経てこの世界線に落っことされるゴミがある。それが、君たち一般人が『オーパーツ』とか『呪物』って呼んで大騒ぎしているロストテクノロジーの数々さ。絶対に錆びない剣、勝手に動く歯車、永久に消えない灯火……全部、向こうの世界のただの不良品や粗大ゴミだよ。それらがこの世界線の歴史を狂わせないように、秘密裏に回収して回るのが僕たち『時空遺物管理局』の仕事さ」


 乾は立ち上がり、蓮の手からひょいと『不錆の鉄剣』――高周波電磁ブレードを抜き取った。


「さて、事情は分かった。このアトランティス製の鉄剣と、その君の手にある文クズ(端末)は、規定に基づき僕が没収、もとい管理局で厳重に回収させてもらうよ。一般人が持っていていいものじゃない」


「待ってくれ、それは困る!」

 蓮は思わず乾の腕を掴みかけた。

「その鉄剣のエネルギーがないと、スマホの中のあいつ――エレナが、元の世界に戻れなくなるんだ! それに、俺の部屋にはまだ、アイツらが落とした『駆動炉のコア』っていう、半径1キロを吹き飛ばすヤバい爆弾が転がったままなんだぞ! あれを引き取ってもらうためにも、アイツと連絡が取れないと困るんだ!」


 乾は驚いたように片方の眉を跳ね上げた。

「駆動炉のコアだって? あいつら、一般家庭の民家にそんな特級指定危険物までポイ捨てしたのか……。着払いでアトランティス政府に送りつけてやりたいよ、まったく。……でもね、少年。道理は分かるけど、そのアトランティスの端末は完全に沈黙している。この世界線のコンセントに流れているスカスカな電気じゃ、逆立ちしたって充電できない。起動すらしないんじゃ、交渉もクソもないよ」


「そこをなんとかするのが、国家公務員だか国際機関だか知らないけど、あんたたちプロの仕事だろ!」


 蓮の必死の剣幕に、乾は心底めんどくさそうに頭をボリボリと掻いた。

「……はぁ、これだから一般人を巻き込むのは嫌なんだ。地方公務員の残業代を舐めないでほしいね、本当に。……よし、今回だけは特別だ。僕の始末書が一枚増えるだけさ」


 乾は首から下げていたメーター付きの機械『エーテルアナライザー』の裏蓋を爪でこじ開け、中から親指ほどの大きさの、青く怪しく発光する『結晶体』をピンセットで慎重に取り出した。


「これは、以前僕たちが別の遺跡から回収した、アトランティス製の『ポータブル・エーテルバッテリー』の(コア)だ。残量はごく僅かだけど、まだ純正の魔導エネルギーが残ってる。これの放電特性と、その鉄剣の刀身に残っている残留磁場を力技で干渉させれば、一回くらいならその端末の通信機能を強制起動できるかもしれない」


 乾は手際よく、床のコンクリートの上に鉄剣を置き、その刀身の上にエレナの透明な端末を重ねた。さらにその上に、青い結晶を配置する。

 ポケットから取り出した携帯用の極細の導線を、まるで複雑な魔方陣を描くように、ガラス板の表面の幾何学ラインへと繋ぎ合わせていく。


「さぁ、少年。仕上げだ。君が端末の画面に直接触れて、強く『エレナ』の名前か、あるいはアトランティスの回路を意識してくれ。僕たち管理局の人間が触れても、この端末は起動しないんだ」


「え? なんで俺が?」


「いいから早く! 結晶の寿命は数十秒だ!」乾の細い目が鋭くなる。

「なぜか君には、普通の人間にはない、世界線同士の歪みを引き寄せて固定する『特異点(アトラクター)』の素質がある。君が触れることで初めて、世界の壁に小さな因果の穴が開くんだよ!」


「俺が、特異点……?」

 蓮はごくりと唾を飲み込んだ。

 自分がなぜ、ネットオークションの画像一枚で本物のオーパーツを見抜けたのか。なぜ昨日、クリップ一本で世界の崩壊を止められたのか。そのすべての答えが、その不気味な単語に集約されている気がした。


 蓮は意を決して膝をつき、導線が複雑に絡み合う透明なガラス板へと、右手の指先を力強く突き立てた。

 脳裏に浮かべるのは、あのうるさくて、高飛車で、でも自分の過失を必死に止めようとしていた、銀髪ツインテールの少女の横顔だ。


(おい、エレナ……! 起きろ、このポンコツ天才科学者!!)


 バチチチチチチチチッ!!!


 室内が、昼間のような真っ青な閃光で満たされた。

 青い結晶が激しく明滅し、そのエネルギーが鉄剣の刀身を伝って、濁流のように透明な端末へと逆流していく。ガラス板の内部に刻まれた無数の回路が、桜色の光を放って脈動を始めた。


『――警告。外部より非正規のエーテルパルスを感知。システム、強制再起動(リブート)。時空間通信リンク、ベータ・3ライン、再確立!!』


 電子の歌声のような美しい起動音が、静かな博物館に響き渡る。

 そして、ガラス板から溢れ出た光の粒子が、空間で一気に結像し――再び、あの立体ホログラムを形作った。


『プハッ!! やっと繋がったわーーーっ!!! 暗黒のスタンドバイ画面の中で、私の天才的な頭脳が退屈で死滅するかと思ったじゃないのよーっ!!』


 銀髪のツインテールを激しく振り乱し、勢いよく空間に飛び出してきたエレナは、自分のホログラムの身体を何度もペタペタと触りながら、大音量で不満をぶちまけた。


『こっちのメインサーバーとの同期が強制切断されるなんて、アトランティス始末書もののシステムエラーよ!? 繋がった! 繋がったわ蓮! 端末のログを読んだときは、通信が戻らなくて一生あなたと連絡が取れないかと思って……っ、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ焦ったんだからね!』


「復活して開口一番それかよ! まずは『助けてくれてありがとう』だろ!」


『ふふん、天才科学者が原始人に頭を下げるとでも思った? ……って、あれ?』


 エレナがフッとホログラムの視線を下げると、そこには、相変わらずトレンチコートを着て、けだるそうに二本目の缶コーヒーを開けている乾の姿があった。

 乾は、空間に浮くエレナの美しいホログラムを見上げ、ひらひらと片手を振った。


「おやおや、アトランティス時空動力研究所の特級お嬢様。お初にお目にかかります。僕たちの世界線のゴミ拾い(ボランティア)に、これ以上仕事を増やさないでほしいな。君たちがポイ捨てするせいで、僕の有給休暇が全て消滅しているんだよ」


 エレナはホログラムの中で一歩後ろに下がり、アメジストの目を鋭く尖らせた。


『ちょっと、そのトレンチコートの男……あなた、この世界線の「管理局」の人間ね? どうして私のスマホの在処が分かったのよ』


「仕事だからね。君たちの世界から落ちてきた『電磁ブレード』が、この郷土博物館で夜な夜な緑色に光って近所のオカルト掲示板を賑わせていたんでね。回収に来たら、まさかヴァルハラの兵士と、そこの『特異点』の少年が修羅場を展開しているとは思わなかったけど」


 乾は缶コーヒーを飲み干し、それをゴミ箱へ正確に放り投げた。


「さて、アトランティスのお嬢様。話は早い。この少年の部屋にある『駆動炉のコア』と、この『電磁ブレード』。僕が管理局の金庫で永久に保管してもいいけど……それだと君、上司に大目玉を食らって研究所をクビになるんじゃないかい? 特級危険物の紛失報告書なんて、どこの世界線でも出したくないだろう?」


 エレナの顔が、ホログラム越しでも分かるほどに図星で引きつった。


『うぐっ……! それは……そう、だけど……』


「だったら、取引をしよう」

 乾は不敵に微笑み、蓮の肩にポンと手を置いた。


「この『特異点』の少年――東雲蓮くんの力を借りて、君たちの世界のゴミをアトランティスへ安全に送り返すルートを構築する。その代わり、お嬢様。君の超科学の知識で、僕たちの管理局のガジェットを少しだけ改造(アップデート)してほしいんだ。これでお互いウィンウィン、僕の残業も減る。どうだい?」


 蓮の散らかった自室の爆弾から始まった奇妙な事件は、現代の秘密組織と、別の世界線の天才科学者を巻き込み、世界の構造そのものを揺るがす壮大な「ゴミ回収任務」へと姿を変えようとしていた。


 蓮は、眼鏡の奥の目を丸くしながら、自分の肩に置かれた乾の手と、画面の向こうのエレナを交互に見つめ、ただ一人、深く、深い溜め息を吐くのだった。

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