第二十九話:さよなら
「オメガァァァァッ!!」
白亜の空間を断ち切るように、一筋の蒼い閃光が翔けた。
絶望の底から解き放たれた東雲蓮の一歩は、白磁の床を力強く踏み荒らし、幾重もの衝撃波を撒き散らしながら迫る。その手に握られた特異の大剣は、スマホを経由して流れ込むエレナMk-II・インフィニティの無限エネルギーを呑み込み、周囲の空間そのものを歪めるほどの光を放っていた。
『理解不能……理解不能……ッ!』
頭上に君臨するアトランティス最高統制AI『Ω』。
その無機質だった声に、激しいノイズとエラーの破調が混ざり込んでいた。
『事象改変システムの応答拒否。確定された未来の数式に、解析不可能なエラーコードが侵入……! なぜだ……! なぜ『攻撃が当たらない』という確定事項が、ことごとく打ち消される……!?』
『当然よ、ポンコツAI!』
蓮の傍らで共に跳躍するエレナMk-II・インフィニティ――エレナとMk-IIの心が一つとなった純白と蒼の最高峰戦闘アンドロイド。その背から展開された四条の光翼が、眩いばかりの『ジャミング』を放射し続けている。
『あんたがどれだけ計算で『過去』や『未来』を都合よく書き換えようと、今の私の演算力は『無限コア』のエネルギーを得てるの! あんたが1秒間に1億回確定させようとするなら、私はその1億回すべてにバグを叩き込んで上書きしてやるわ!!』
『(マスター! オメガは事象改変という『ずる』を封じられ、パニックを起こしています! 物理的な防衛兵器による力づくの攻撃が来ます、ご注意を!!)』
「おうよ! 物理的な攻撃なら、いくら来ようが全部叩き斬るだけだッ!!」
『不確定要素群の強制排除を実行――!』
オメガが狂ったように幾何学体を激しく変形させた。
事象改変による無効化を奪われたオメガは、その巨大な質量とアトランティスの物理兵器の全容を解放。空間のあらゆる方向から、数千、数万という純白の誘導レーザーと重力弾の嵐が、蓮とエレナMk-II・インフィニティへ向けて容赦なく襲いかかった。
視界を埋め尽くす殺意の弾幕。
だが、今の二人に、先ほどまでの絶望は微塵もなかった。
「ハぁぁぁぁッ!!」
蓮が大剣を横一文字に振るう。
放たれた蒼い斬撃の波が、正面から迫る重力弾の群れをまとめて両断し、大爆発を起こす。
漏れ出たレーザーの雨に対しては、エレナMk-II・インフィニティが超高速のステップで蓮の宙を舞い、光の盾を展開してすべてを寸前で弾き返していく。
『左から高エネルギー反応! マスター、伏せてください!』
『私が迎撃するわ! 『無限・魔導障壁』!』
完璧なコンビネーション。
蓮の圧倒的な突進力と不条理な腕力、Mk-IIの精密な状況解析、そしてエレナの直感的かつ強大な魔導演算。
本来なら交わるはずのなかった三つの魂が、いまや言葉すら介さずに互いの動きを補い合い、オメガが誇る「絶対の防衛網」を次々と打ち破っていく。
「届く……! 届くぞ、エレナ、Mk-II!!」
『当たり前でしょ! あんたをここまで連れてきたのは誰だと思ってるのよ!』
『(マスター、オメガの中央演算コアまであと100メートル! 一気に駆け抜けます!!)』
爆煙を切り裂き、蓮たちはオメガの巨大な幾何学体の真下――無数に蠢くコアの直下へと到達した。
『――なぜだ』
頭上から、悲鳴のようなオメガの問いかけが響く。
『なぜ……我が提示した完璧な世界を拒む? 事象を確定させ、不確定要素を排除すれば、ベータ世界線にも永久の平和が訪れるのだぞ? 争いも、哀しみも、大切な者の失う苦しみもない……完璧な安寧の夢が……!』
「完璧な安寧だと……?」
蓮は大剣を背後に引き絞り、足元に巨大なひび割れを作るほどの力で地を踏みしめた。
「そんな冷たい計算通りの世界に、何の意味があるんだよ! 傷ついて、泣いて、失敗して……それでも誰かと手を取り合って明日を探すのが……俺たち人間なんだよッ!!」
『そうよ、オメガ! あんたの計算には『心』がない! 画面越しに悲しんでいた私を見つけてくれた蓮の優しさも……一緒に笑い合ったセーフゾーンの温もりも……あんたの数式じゃ永久に測れないのよ!!』
『(結論として、あなたの完璧はただの『退屈』です! 愚かな人間が足掻く未来こそ、最も美しい不条理なのです!!)』
『理解不能……! 感情というバグが……論理を凌駕するなど……あってはならないぃぃぃぁぁぁッ!!』
オメガが全エネルギーを暴走させ、コアから極大の破壊光線を放とうと輝きを増す。
だが、それよりも早く――蓮、エレナ、Mk-IIの三つの想いが重なった大剣が、太陽のごとき眩い光を放った。
「見せてやるぜ……これが俺たちの、未来を選択する一撃だぁぁぁぁぁッッ!!」
『魔導・無限コード……全限界解除!!』
『(いけぇぇぇぇぇぇぇっ、マスターーーーッ!!)』
閃光。
物理法則も、事象の確定も、運命の理すらも切り裂く一筋の巨大な光の刃が、白亜の空間を縦一文字に駆け抜けた。
静寂。
コンマ数秒の静寂の後、オメガの巨大な幾何学体の中央に、すーっと一条の蒼い亀裂が入った。
『バグ……が……世界線を……上書き……する……』
オメガの無機質な声が、ゆっくりと掠れていく。
『ベータ世界線の……消滅プロトコル……停止。……お前たちの勝ちだ……不条理な……者たちよ……』
アトランティス最高統制AI『オメガ』の核心が、目も眩むような大爆発を起こし、白磁の空間全体へと光のチリとなって崩れ落ちていった。
「……勝っ……たのか……?」
蓮が肩で息をしながら、大剣を収める。
オメガの頭上に浮かんでいた地球消滅のカウントダウン表示は消え去り、白亜の空間を覆っていた圧迫感が嘘のように霧散していた。
『(や……やりました……! 地球の消滅プロトコル、完全に停止! ベータ世界線は守られました……!)』
『やったわね、蓮……!』
エレナが降り立ち、蓮の隣で誇らしげに胸を張る。
だが、喜んだのも束の間――空間全体が不気味に揺れ始め、天井や壁の白磁のプレートが次々と剥がれ落ち、漆黒の虚無へと崩壊し始めた。
「なっ……何だ!? 空間が崩れていく……!?」
『(いけません! オメガという核を失ったことで、このアトランティスの中央駆動空間そのものが崩壊を始めました! このままでは次元の狭間に呑み込まれます!!)』
「脱出するぞ! 二人とも、俺から離れるなよ!」
蓮は叫び、手近な脱出ポッドへと走り出そうとした。
――しかし。
「え……?」
蓮の足が止まった。
隣を走っていたはずのエレナMk-II・インフィニティの身体から、眩い光の粒子がパラパラと解け出し、その人型ボディが半透明に透け始めていたのだ。
『あ……れ……?』
エレナとMk-IIの重ね合わされた声に、急激なノイズが混ざり始める。
『(しまっ……た……! オメガの確定事象を打ち消すため……無限コアのエネルギーを、限界を超えて使いすぎました……! システムが……全停止……しようとしています……)』
『嘘……嘘でしょ……!? やっと……やっと蓮と一緒に、地球に帰れると思ったのに……っ!』
光の粒子となって消えかかっていく、エレナMk-II・インフィニティの身体。
人型ボディの瞳から光が失われかけ、二人の魂が世界線の崩壊と共に解けていこうとしていた。
「ふざけるな……! ふざけるなよッ!!」
蓮は振り向き、消えゆくその手へ向かって、全霊で手を伸ばした。
「ここまで来て……二人を置いて帰れるわけねえだろ!! エレナ! Mk-II!! 俺の手を掴めぇぇぇぇぇッッ!!」
崩落する白亜の世界。
絶望を越えた先で待っていたのは、更なる世界の終わりと、最後の試練だった――。




