第二十七話:崩壊と絶望
「ハァ……ハァ……ッ!!」
白亜の巨大空間『中央駆動室』に、荒い息遣いと金属片が弾け飛ぶ乾いた音が虚しく響いていた。
頭上に君臨するアトランティス最高統制AI『Ω』の幾何学体から放たれる圧迫感は、もはや一つの部屋ではなく、世界そのものが押し潰してくるかのような絶対的な質量を持っていた。
「くそっ……! 乾が命がけで繋いでくれた道なんだ……! ここで終わってたまるかよォッ!!」
血の滲む唇を噛み締め、蓮が特異の武器を力強く構える。
「マスター! エレナの魔導回路、並びに私の広域演算ユニットを同期させます! これでオメガの事象改変の隙を突きます!」
「ええ、行くわよ二人とも! 私たちの全存在をかけた『不条理な科学』……アトランティスに見せてやるわ!」
蓮の肉体、エレナの生体魔導コア、そしてMk-IIの解析システム。
本来なら交わるはずのない三つの存在が魂の底で完全に一つに重なり合う。蓮の握る武器が莫大な光を放ち、二重の光輪を纏う超絶的な一撃――【三位一体・ドライブ】の構えが完成した。
「オメガァァァァッ!! これが俺たちの……全開だぁぁぁぁぁッッ!!」
轟音と共に放たれた閃光。
物理法則を歪め、空間すら抉り穿つその一撃は、まさにこの世界の如何なる防衛機構をも破滅させるはずの、不条理の一撃だった。
――しかし。
『――不確定要素群による複合事象の発生を確認』
オメガは、ピクリとも動かなかった。
避けることすら、バリアを展開することすらしない。ただ冷酷に、その純白の指先を僅かに一ミリ掲げただけだった。
『概念書き換え実行。対象の攻撃が『命中した』という過去を消去。『初めから放たれなかった』という事象へ確定収束』
ド……ッ。
次の瞬間、蓮たちがすべての命を賭して放ったはずの絶大な光線が、オメガの目の前でまるで最初から存在しなかったかのように、一瞬で「消えて」なくなった。
爆発も、衝撃波も、摩擦熱すら発生しない。ただ、世界からその攻撃という事実そのものが削り取られたのだ。
「な……ッ!?」
「バッ……カな……!? 私たちの連携が……かすりもしないで、消えた……!?」
信じがたい無敵感。
どれだけ熱い想いを重ねようが、どれだけ命を燃やそうが、オメガの持つ『絶対事象』の前では、すべてが白紙に還元される。圧倒的な絶望の壁が、三人のか細い希望を容赦なく叩き潰した。
『勝利確率、0.0000%。……あがきは終了だ』
オメガが頭上に巨大な幾何学模様を展開させる。
そこから解き放たれたのは、存在の概念そのものを世界から抹消する絶対の一撃。
「しまっ――」
直撃すれば、蓮の存在そのものが世界から消し去られる。
疲弊しきった蓮の身体は、すでに反応することすらできなかった。
「――蓮ッ!!」
視界を染め上げたのは、白銀の髪だった。
ドバァァァァァァンッッ!!!!
生々しい破砕音と、激しい火花が視界を埋め尽くす。
蓮の目の前に飛び出し、その華奢な身体を盾にして光線をすべて受け止めたのは、エレナだった。
「え……? エレ……ナ……?」
蓮の時が止まった。
爆風が去り、崩れ落ちてきた彼女の身体を、蓮は吸い寄せられるように抱きかかえた。
――だが、その腕の中に伝わってきたのは、あまりにも凄惨で、残酷な感触だった。
「あ……がっ……ふっ……!? 蓮……っ」
エレナの右半身は、見るも無残に吹き飛んでいた。
さっきまで人間と変わらない柔らかさを持っていた美しい人工皮膚はズタズタに引き裂かれ、露出した内部の生体金属フレームは赤黒く溶け落ちている。損傷した高圧回路からバチバチと狂ったように青白い火花が撒き散らされていた。
生体ナノマシンすら完全に焼き切られ、青い生体血液が、蓮の服を、手を、容赦なく濡らしていく。
「な……なんだよ、これ……! 嘘だろ……!? エレナ! 目を開けろ! エレナッ!!」
「は……ぁ……っ……ごめ……ん……ね……蓮……」
蓮の手を握り返そうとしたエレナの指先が、力なくダラリと垂れ下がった。
さっきまでセーフゾーンで感じていた、あんなに温かくて柔らかかった肌が、急速に冷たく、冷ややかな死の機械へと変わっていく。
胸の奥から響いていた命の鼓動が消え、その蒼い瞳から、光が完全に失われていった。
『警告。エレナ・ヴァレンタインの生体コア……機能停止』
蓮の隣で、Mk-IIの音声が微かに震えていた。
『人工心臓停止。脳領域の演算反応……ゼロ。生体ナノシステムの全損を確認……。修復……不可能です』
「あ……ああ……あ……っ……」
蓮の頭の中が、真っ白に染まった。
三位一体の攻撃すら届かず、手を取り合えたはずだった大切な存在が、目の前で冷たい泥のように壊れ去っていく。
「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だッ!! エレナぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!」
蓮の悲痛な絶望の叫びが、虚しく白亜の部屋にこだました。
その瞳から生気が消え失せ、光を失った瞳は、ただ冷たく転がる彼女の遺体を見つめるだけの「絶望の器」へと変わっていく。
『感情というバグが生んだ、当然の帰結だ』
オメガは冷ややかにそれを見下ろし、地球消滅へのカウントダウンを加速させ始めた。
『バグは排除された。これよりβ世界線を確定的に消滅させ、アトランティスの永久の安寧を証明する』
三位一体の崩壊。愛する者の死。絶対無敵の敵。
すべてが深い闇へと沈んでいく中――。
――しかし。
絶望に伏せる蓮の隣で明滅していたMk-IIの小さなホログラムレンズだけが、静かに、誰にも気づかれずに『信じがたい異変』を検出していた。
『(……!? 警告、内部プロセッサに緊急オーバーロードが発生。未確認の外部データが侵入……!?)』
Mk-IIの演算領域へ、凄まじい密度のデータ群が雪崩のように流入してくる。
それは、壊れたエレナの生体コアから吐き出された、彼女の記憶、感情、そして『自我』そのものだった。
『(バ、バカな……!? エレナの生体ボディは完全に沈黙したはず! なのに……なぜ、エレナの自我プログラムが、マスターのスマホを暗号通信の経路上にして、私のサブCPU領域へ直接退避してきている……!?)』
Mk-IIのシステム内で、エレナの自我データが凄まじい勢いで自身のAI制御権を侵食し、書き換えていく。
『ちょっと……勝手に人の自我を『データ』扱いしないでよ、このポンコツAI……!』
『(ええええええええっ!?? エ、エレナ!? 私のシステム領域内で普通に喋らないでください! プログラムの容量がカツカツです!!)』
『うるさいわね! 身体が壊されたんだから、ここくらいしか逃げ込む場所がなかったのよ!』
オメガの冷酷な目すら欺いた、コンマ一秒の『魂の引っ越し』。
生体ボディは死に、蓮は絶望の底に沈んでいる。だが、Mk-IIの小さな機体の中で、エレナの「心」は確かに息づいていた。
『(マスターは完全に絶望し、オメガはベータ世界線の消滅プロトコルを起動した……。ですが、エレナの自我が私のボディに融合したということは……!!)』
Mk-IIは、オメガの無敵の計算を完全に覆す「逆転の可能性」に気づいていた。




