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クロノスフィア  作者: 遙 カナタ


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第二十五話:ぬくもりの証明

 無機質なアトランティスの警報音が遠ざかり、重厚な石造りの扉がズズズ……と重い音を立てて閉ざされた。

 そこは、アトランティスの監視ネットワークすら届かない、最下層に打ち捨てられた『古代の退避施設(セーフゾーン)』だった。


「ふぅ……間一髪だったな。とりあえず追っ手は巻けたみたいだ」


 ガトリングガンの銃身から上がる煙をふうっと吹き消しながら、乾が肩の力を抜いて息を吐き出した。

 彼は部屋の隅にあった壊れかけの通信機に手持ちのバッテリーを繋ぐと、チラリと蓮とエレナの方に視線をやり、ニッと口元を綻ばせた。


「俺は外の通路の見張りと、武器の弾薬補充をしてくる。アトランティスの中枢を叩く作戦会議は、お前らの『手当て』が終わってからにしよう」


「あっ、おい乾――」


 蓮の呼び止めを軽やかに片手で制し、乾が扉へ向かおうとしたその時だった。


『――マスター、ならびにエレナ』


 蓮の肩口で、ホログラムの光を撒き散らしながらMk-IIが無機質な音声を響かせた。


『生体バイタルならびに人工生体素子の表面温度を計測した結果、お二人共に内部動力を示す数理負荷が平常時の1.4倍まで上昇しています。特にエレナの顔面皮膚層は人工毛細管の拡張による熱上昇を記録中。これは……いわゆる『青春の甘酸っぱいエンカウント』による動揺と推測されます』


「なッ……!? ちょっと、何勝手に人の人工皮膚バイタル計測してんのよこのポンコツAI!?」


 エレナが真っ赤になって叫ぶが、Mk-IIはどこ吹く風で光をチカチカと点滅させた。


『私は高性能AIですので、空気と雰囲気という非科学的な概念も察知可能です。これ以上の滞在は、マスターの意気地のないアプローチの邪魔になると判断。私も乾氏の武器整備に付き合い、高物価時代における愛のプライバシーを守ることに貢献いたします。では……ごゆっくり』


「おいMk-II! 『意気地のない』とか余計なこと言ってんじゃねえ!」


『ふふ、健闘を祈ります、マイマスター』


「ハハッ! ナイスアシストだ、Mk-II! じゃあな、二人とも!」


「「待てって言ってるだろ!!」」


 蓮とエレナのハモった叫びも虚しく、乾とMk-IIはニヤニヤしながら手際よく重い扉を閉めてしまった。

 ガチャン、と施錠されるような重い音が響き、室内には一瞬でしんと静かな静寂が訪れる。


「……あいつら、あとで絶対に一回殴る……」


「同感よ。徹底的に分解して初期化してやるわ……」


 真っ赤になった顔を誤魔化すように二人は同時に毒づいたが、どこかその空気は柔らかかった。


「……でも、気の利く奴らね」


 部屋の奥に置かれた古いソファに腰掛け、エレナが小さく呟いた。

 白銀の髪は泥と埃で汚れ、華奢な身体のあちこちには、監獄で受けた電磁拷問の痛々しい痕が残っている。破れた衣服の隙間から覗く肌は、人間と何一つ変わらない柔らかな白さだったが、傷口の奥には微かに金属光沢を放つ生体フレームが覗いていた。


「……待ってろ。手当てするから」


 蓮は苦笑しながら簡易医療キットを手に、エレナの隣へと歩み寄った。

 ソファの前に膝をつき、ナノ修復液を含ませたガーゼを手に取る。


「ちょっと染みるぞ」


「ふん、なによ。私のボディはアトランティス特製の生体ナノフレームよ? 人間みたいに傷に沁みたりなんて――ッつぅ!?痛ぁ!?」


「強がるなって言っただろ、バカ。生体皮膚なんだから痛みくらい感知するだろ」


 わざとらしく痛がるエレナに、蓮は呆れたような、けれどどこか愛おしそうな笑みを浮かべた。

 そっと彼女の細い手首を取り、ナノ修復液を染み込ませていく。傷口の生体金属が微細な青い火花を散らし、人間の皮膚のようにゆっくりと塞がっていく。


 その時――ふと、蓮の手が止まった。


(……小さい。それに……)


 蓮は自分の手と、エレナの手を見比べた。

 アトランティスの超科学で作られた、ターミネーターのように精巧で強力な人造の肉体。だが、こうして触れてみると、その手は恐ろしいほどに小さく、華奢で、儚かった。

 そして何より――人間と変わらない「温もり」があった。

 触れ合う皮膚の柔らかさ。それと同時に、彼女の胸の奥から静かに響いてくるのは、電子音などではない。魔導演算コアと人工心臓が奏でる、人間よりも正確で、けれど確かに『生きている』力強い鼓動の振動だった。


「……なに固まってんのよ、原始人」


 エレナが不審そうに首を傾げる。

 蓮はハッと正気に戻り、小さく息を吸い込むと、握っていた彼女の手を、壊れものを扱うようにぎゅっと力強く握りしめた。


「……本当に、そこにいるんだな」


「え……?」


「ずっと画面越しだったからさ。お前が超科学の機械だってことは知ってたけど……こうして手に触れると、お前が本当に生きてて、血を奪われても息をして、俺の目の前にいるんだって……やっと実感できた」


 蓮の声が、少しだけ震えていた。

 過去編のログで見た、泥にまみれて「本当は怖い」と泣いていた彼女の姿が脳裏をよぎる。アトランティスは彼女を「観察用アンドロイド」として作ったかもしれない。だが、自分に触れているこの少女の体温も、涙も、心も、本物の人間以上に「本物」だった。


 蓮の言葉を受け、エレナは一瞬、蒼い瞳を丸く見開いた。

 そして、照れくささを隠すように、ふいっと顔を背けた。だが、人工皮膚の耳の先は、リンゴのように真っ赤に染まっている。


「……当たり前じゃない。私がそこらのポンコツロボットと一緒にしないで。最高傑作の生体ボディなんだから」


 いつもの強がりなセリフ。

 けれど、エレナは握られた蓮の手を振り払おうとはしなかった。それどころか、生体金属の入った彼女の小さな指が、蓮のゴツゴツした手を、すがりつくようにぎゅっと握り返してきた。


「……でもね」


 ポツリと、エレナの唇から小さな声が零れ落ちた。


「あの檻の中で、メモリの記憶データが少しずつ初期化されていく時……本当は、めちゃくちゃ怖かったの。あんたの顔も、生意気な口答えも全部消えて、機械としての冷たい虚無に戻されるのが……怖くて、寂しくて……」


 エレナの手が、細かく震えていた。

 プログラムには存在しないはずの「恐怖」と「寂しさ」。アトランティスがバグと呼んだそれは、彼女が蓮と出会って獲得した「本当の心」だった。


「でもね……届いたのよ。あのダサい着信音が。あんたの、バカみたいに真っ直ぐで、うるさい声が……電子の闇の底まで届いたの」


 エレナは顔を上げ、涙の滲む蒼い瞳で、真っ直ぐに蓮を見つめた。その頬に、柔らかな、本物の笑顔が咲く。


「ありがとう、蓮。私を見つけてくれて……私に『心』をくれて」


 画面越しには絶対に届かなかった、心の底からの言葉。

 その笑顔と、涙と、自分だけに伝わる動員の鼓動を目にした瞬間、蓮の胸の奥が熱い感情で破裂しそうになった。


「当たり前だろ」


 蓮は力強く頷き、エレナの小さな肩を引き寄せた。

 驚いて目を見開くエレナを、そのまま優しく、けれど絶対に離さないという強い意志を込めて抱きしめる。


「俺が拾ったスマホなんだ。お前が機械だろうがアンドロイドだろうが関係ねえ。お前がどんな世界の底にいたって、何度でも助けに行くに決まってんだろ」


「……ちょっと、抱きしめる力が強すぎ……バカ原始人……」


「もう二度と、一人で抱え込ませない。お前の明日は、俺が一緒に作ってやる」


 蓮の胸に顔を埋めたまま、エレナは言葉を失っていた。

 彼の力強い胸の鼓動と、包み込むような温もりが、彼女の生体回路と心を優しく満たしていく。

 エレナは小さく息を吐き出すと、蓮の背中に回した腕にぎゅっと力を込め、満足そうに瞳を閉じた。


「……ほんと、不条理な奴。でも……まあ、悪くないわね」


 静かなセーフゾーンの中に、ふたつの体温が重なり合う。

 画面越しの偽りの距離を越え、ふたりの魂が完全につがなった瞬間だった。


『――マスター、エレナ。大変雰囲気をぶち壊すようで恐縮ですが、アトランティス中央駆動コアのエネルギー出力が急上昇を始めました』


 扉越しにMk-IIの音声が響き、ガチャリと扉が開いて乾が戻ってきた。


「おいおい、Mk-IIに『もう入って大丈夫か?』って聞いたら突入指示が出たぞ! でもいい雰囲気のところ悪いが、アトランティスの上層部が痺れを切らしたみたいだ! 地球へのエネルギー回収プロトコルを強制始動させやがった!」


 乾とMk-IIの登場に、蓮とエレナは顔を見合わせ、お互いに照れくさそうにパッと身体を離した。


「……行くわよ、蓮」


 エレナは立ち上がり、泥を払うと、いつもの強気で不敵な微笑みを浮かべた。蒼い瞳には、もう迷いも恐怖もない。


「アトランティスの身勝手な支配も、これで終わりにしてあげる。私とあんたの……私たちの不条理な科学でね!」


「おう! 決着をつけに行こうぜ!」


 手を取り合う二人と、背中を預ける仲間たち。

 本当の絆を取り戻した一行は、アトランティスとの最終決戦が待つ中央駆動コアへと、力強く駆け出していくのだった。

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