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クロノスフィア  作者: 遙 カナタ


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第二十三話:約束の嘘

 ――警告。中枢侵入を検知。防衛境界線『白亜の門』が物理的に突破されました。侵入者、数名。βとγ世界線の生体反応を確認。


 けたたましい警報音が、アトランティス中央監獄の冷徹な静寂を切り裂いていた。

 だが、その最底辺にある因果遮断層『白亜の檻』の中は、光も音も届かない絶対の暗闇だった。

 四肢を冷たい電磁の枷で縛られたまま、エレナ・ヴァレンタインは深く、深く、意識の底へと沈んでいた。

 精神消去プログラムの深度は98%。アトランティスの冷徹なシステムは、彼女の魔導演算コアから、地球の少年・東雲蓮と過ごした温かい記憶を、ゴミデータとして削り取ろうと侵食を続けている。

 エレナの身体はすでに冷たくなり、白銀の髪は泥と焦げた油膜にまみれていた。もう指先一つ動かす力も残されていない。彼女の意識は今、静かな死へと向かっていた。

 しかし、その監獄の制御エリアでは、まったく異なる「熱」が爆発していた。


「おい、この端末に表示されてるログは何なんだ……!? 説明しろ、Mk-II!」


 監獄の防衛システムをハッキングし、血路を切り開いて制御室へと乗り込んだ東雲蓮は、手元にある「スマホ」が自動的に受信し、空間へ投影したアトランティス側の通信ログを見つめながら、隣の相棒へと鋭い声を飛ばした。


 蓮の問いかけに、ホログラムとして展開したMk-IIの無機質な光がまたたく。その演算ノイズは、いつになく激しく波打っていた。

『――該当データ、解析完了。これは過去ログです、マスター。時間軸を特定……我々がヴァルハラ(γ世界線)を脱出する、まさにその瞬間に、エレナ・ヴァレンタインの端末からアトランティス中央サーバーへ逆流した、未送信のプライベート・モノローグ。彼女が囚われる直前の、最後の記録です』


 それは、過去編の終盤――あのヴァルハラを出る瞬間、エレナがアトランティスの大規模な包囲網に捕まる直前、端末に残したまま送信されることのなかった、彼女の本当の独白データだった。


『……蓮、みんな、ゲートは閉じたわね。無事に逃げ切れたみたいでよかった……』


 ログから流れるエレナの声は、激しい息切れと、恐怖に激しく震えていた。

 つい数分前まで、蓮たちの前では「私は天才科学者よ? すぐにハッキングで追いつくから先に行きなさい原始人!」と、いつものように傲慢に笑って身代わりを買って出た彼女の、それが完璧な嘘であったことをログは証明していた。


 画面に映るエレナは、執行官たちの無慈悲な魔導の刃に囲まれ、すでに少女の華奢な肉体を深く傷つけられていた。血の滲む唇を噛み締め、大粒の涙をボロボロと流しながら、それでも彼女は蓮たちが逃げ延びたゲートの残光を愛おしそうに見つめていたのだ。


『……嘘よ。本当は、めちゃくちゃに怖い。肉体なんて持つんじゃなかったって思うくらい、痛くて、怖くて、寒いの。もう二度と、あんたのトボけた顔を見られないかもしれないって思うと、演算コアが張り裂けそう……』


 執行官たちの電磁鎖がその細い首筋や手足に絡みつき、生々しい苦痛の呻きが漏れる。

 だが、エレナは涙を拭い、最後にカメラの向こうの「届かない蓮」に向けて、いつもの、無理に作った生意気な笑みを浮かべてみせた。


『でもね、後悔はしてないわ。あんたたちの明日を守れるなら、私、喜んでこの白亜の檻に入ってあげる。だから……絶対に泣くんじゃないわよ、原始人。私は、最強の天才科学者んだから……っ!』


 そこまで言って、ログは執行官に端末を踏み潰される凄絶なノイズと共に途切れていた。


 あの別れの時、自分たちを安心させるために、エレナがどれほどの恐怖と戦いながら、あの「ポーカーフェイス」を維持していたのか。

 その真実を初めて目の当たりにした蓮は、スマホを握る指が、白くなるほどに激しく震えていた。

 瞳の奥に宿るのは、アトランティスという冷酷な支配体制に対する、これまでにないほど深く、凄まじい「怒り」だった。


「あいつ……っ。なんだよそれ……何がすぐ追いつくだ。何が最強の天才科学者だ……!」


 蓮は歯が砕けるほどに奥歯を噛み締めた。

 喉の奥から、熱いものがせり上がってくる。エレナはあの瞬間からずっと、一人でこの無機質な監獄の底で、自分たちへの優しさだけを胸に地獄の拷問に耐え続けていたのだ。


「一人で全部背負い込んで……勝手に終わらせようとしてんじゃねえよ、バカエレナ……っ!!」


蓮はスマホをポケットに叩き込み、手にした因果を捻じ曲げる特異の武器を限界まで引き絞った。むき出しになったその膨大なエネルギーが、周囲の制御パネルをパチパチと狂わせる。


「Mk-II、残りの防壁を全部ブチ壊す! エレナのいる最深部まで、最短ルートを抉じ開けろ!!」


 少年が放った咆哮は、アトランティスの冷え切った回廊を激しく震わせた。


『了解、マスター』

 Mk-IIの声が、どこか熱を帯びたように低く響く。

『これより全演算領域を因果歪曲のサポートへ回します。アトランティスの防衛数式など、我がマスターの怒りの前にはただのゴミ屑に過ぎません。道を拓きます――最大出力、解放!』


 ドゴォォォン!! と、制御室の隔壁が蓮の一撃によって木端微塵に吹き飛んだ。迫り来るアトランティスの自律防衛ドローンの一群が、因果を歪められた衝撃波によって一瞬で捻じ切られ、火花を散らして崩落していく。蓮は一歩も足を止めることなく、ただひたすらに、エレナの囚われる最底辺へと向かって突き進んでいった。


 ――同じ頃。

 深淵の檻。エレナの精神コアの初期化率は、ついに99.9%に達していた。

 もはや「東雲蓮」という名前の輪郭すら霞み、すべてが真っ白な虚無に染まろうとしていたその時。


 絶対に通信が届くはずのない、並行世界の因果すら遮断するはずの『白亜の檻』の闇の中に、突如として、あまりにも場違いで、気の抜けるようなメロディが響き渡った。


 ――たらりら、たらりら、たらりらりん♪


 それは、地球の安っぽいジャンクスマホに設定されていた、あのダサくて、どこまでも聞き馴染みのある、いつもの「着信音」だった。


「な……んだ、これ……?」

 檻の外で監視していた執行官たちが、その数式にない不条理な音波に驚愕して色めき立つ。


『報告! 因果遮断障壁の内側に、未知の超広帯域バースト通信が直撃しています! 防護数式が……書き換えられていく!?』

 アトランティスの超科学ネットワークが、地球の極めて原始的な「電波(ノイズ)」によって激しくハッキングされ、次々とエラーを吐き出しながら強引に上書きされていく。その通信を強引に捩じ込んだのは、他でもない、Mk-IIの限界突破したハッキングと、蓮のスマホが放つ共鳴だった。


 そのダサいメロディが暗闇に響いた瞬間。

 凍りついていたエレナの蒼い瞳の奥に、パチリと、一筋の青い火花が散った。


『精神初期化プロトコルに致命的なエラー。論理回路が不条理な因果干渉によって逆流しています。初期化、強制停止――』


 エレナの脳内に直接、ノイズまみれの、けれど誰よりも温かく、力強い「原始人」の声が流れ込んできた。


『聞こえるか、ポンコツ天才科学者!』


 激しいノイズ。けれど、それは間違いなく、彼女がずっと待ち望んでいた、世界で一番不条理なヒーローの声だった。


『嘘ばっかりついてんじゃねえよ! 怖いなら怖いって、助けてほしいならそう言え! 原始人舐めんな!』


 監獄の分厚い物理防壁の向こうから、凄まじい爆発音が響く。蓮たちがすぐそこまで、力技で壁をブチ壊して迫ってきているのだ。壁の向こうから伝わる微震が、エレナの肌を優しく叩く。


『今すぐそこに行く! その大嘘つきの泣き虫面、直接拝みに行ってやるから――目を開けろ、エレナ・ヴァレンタイン!!』


 その叫びが、エレナの魂を縛っていたすべての呪縛を、一瞬で粉々に打ち砕いた。


 完全に初期化されかけていた演算コアに、かつてないほどの激しい『意志の熱』が逆流する。システムに与えられた少女の肉体が、生々しい生命の鼓動を再開した。

 四肢を縛る電磁の枷が、彼女の内側から湧き上がる莫大な魔力出力によってパキパキとヒビを割走らせていく。

 エレナは泥まみれの顔を持ち上げ、檻の向こうの闇を見据えて、フッと、いつもの生意気で、けれど今度は本物の、愛おしげな笑みを浮かべた。


「……原始人のくせに、遅すぎるわよ、バカ蓮」


 少女の蒼い瞳に、完全な「心」の炎が灯る。

 過去編の因縁はすべて今、この瞬間に収束した。ここからはもう、画面越しのやり取りではない。


「さあ――私の肉体を返してもらうわよ、アトランティス。私の大好きな原始人が、迎えに来てくれたんだから!」


 監獄の最深部を覆う漆黒の障壁に、外側から巨大な亀裂が走り、眩いばかりの光が差し込んでいく。

 そこには、特異の武器を構え、全身から圧倒的な怒りと闘志を立ち上らせた東雲蓮の姿があった。

過去と現在が今、完璧に一つに重なり合った。

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