第二十二話:消えない熱
――個体識別名『エレナ・ヴァレンタイン』。大逆罪および下位世界線への機密データ漏洩容疑により、中央監獄最深部『因果遮断層』への永久勾留を決定する。
ガギィィィン! と、空間そのものを切り裂くような重々しい金属音が響き渡り、漆黒のエネルギー障壁がエレナの視界を完全に遮断した。
α世界線が誇る絶対不可侵の要塞――アトランティス中央監獄。その最も深い底にある冷たい床に、エレナは少女の肉体を激しく叩きつけられていた。
四肢を強固に拘束する電磁の枷から、容赦ない高電圧のエーテル電流が走り、彼女の機械細胞を内側から激しく焼き焦がしていく。脳に相当する魔導演算コアには、絶え間なく精神消去プログラムの負荷がかけられ、生々しい激痛が彼女の意識を何度も白濁させていた。
かつて、廃電脳スラムのドブ底から命懸けで地球へと通信の糸を伸ばし、東雲蓮という不条理な原始人の少年と出会った。
アトランティスの冷徹な科学をただのペーパークリップ一本でへし折ってみせたあの少年の熱量に触れ、データ越しに温かい日常を分けてもらう中で、エレナの心は完全にアトランティスを離れていた。だからこそ、彼女はアトランティス上層部が地球に対して企てていた「完全エネルギー搾取計画」の全容を知ったとき、迷わずそれを阻止するために最高機密データを強奪し、本当の意味での『大逆の逃亡者』として白亜の都市を駆け抜けたのだ。
しかし、並行世界の帝国の追跡網はあまりにも苛烈だった。激しい攻防の末、エレナはついに執行官たちに捕らえられ、すべての端末を奪われ、この光一つ届かない絶対の檻へとブチ込まれてしまったのだ。
「無駄な抵抗だ、エレナ・ヴァレンタイン。貴様がどれほど下位世界の原始人に執着しようと、世界線の壁を越えて通信を繋ぐマルチデバイスはすでに没収した。貴様とあの少年を繋ぐ糸は、完全に断たれたのだ」
障壁の向こうから聞こえる、執行官の血の通わない冷酷な声。
没収されたデバイス――それは、地球の蓮の手元にある「あのスマホ」と対になっている、エレナ側の親機のことだった。それが破壊されるかアトランティスの管理下に置かれた以上、もう二度と、あの不器用な少年と画面越しに罵り合う日常は戻ってこない。地球の完全搾取計画を止めるためのデータも、あと一歩のところで蓮に送りきることができなかった。
完全な敗北。これ以上ない絶望。アトランティスの冷え切ったシステムは、エレナから全てを奪い去った。
「う……、あ……」
電流に焼かれ、白銀の髪を泥と冷や汗に濡らしながら、エレナは弱々しく呻く。手に入れさせられたこの少女の肉体はボロボロで、演算領域の9割以上がシステムによって凍結され、呼吸をするのすら苦しい。
だが、その深く冷たい蒼色の瞳の奥に灯った「火」だけは、アトランティスのいかなる拷問プログラムをもってしても、1ビットたりとも消し去ることはできていなかった。
(……笑わせないでよ、システムの人形ども)
エレナは血の滲む唇を歪め、心の中で傲然とあざ笑った。
確かに端末は奪われた。通信は引き裂かれた。自分は今、二度と出られない暗黒の檻の中にいる。
けれど、エレナの魂のコアには、あの始まりの日に蓮がクリップ一本で世界を救ったときの、あの理不尽で圧倒的な『人間の意志の熱』が、今も確かにインストールされたまま脈打っている。データ越しに「一緒に食おうぜ」と言ってくれた唐揚げの温かさが、「原始人って呼ぶな」と不貞腐れていたあの少年の真っ直ぐな笑顔が、今の彼女の絶望をすべて焼き尽くすほどの最強のバグとして、この胸の奥で爆発しているのだ。
(あんたたちがどれだけ計算式を並べたって、あの原始人は……東雲蓮は、あんたたちの予想を全部ぶち壊すイレギュラーなのよ)
エレナは激痛に耐えながら、そっと瞳を閉じた。
もう、自分から蓮に声を届けることはできない。けれど、不思議と恐怖はなかった。あの少年なら、自分が残したわずかな因果の痕跡を辿って、必ずこの完璧な数式の檻さえもこじ開けに来てくれる。根拠のない、確率演算上はゼロに等しい妄想。しかし、エレナの「心」はそれを絶対の真実だと確信していた。
「待ってるからね……原始人の男の子……」
意識消去の波に飲み込まれ、深い眠りへと落ちていく直前、少女は愛おしい少年の名前を小さく呟いた。
――そして、物語は「現在」へと還る。
まさにエレナがこの冷たい檻の中で囚われの身となっている今、地球では、彼女の残した黒いスマホを握りしめた東雲蓮が、仲間たちと共にアトランティスへの反撃の門を叩こうとしていた。過去と現在が今、一つの戦線へと収束する。




