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クロノスフィア  作者: 遙 カナタ


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第十九話:神々は鋼の肉体を纏う

 かつて、α世界戦(アトランティス)には、土の匂いも、風の感触も、血の通った肉体すらも存在しなかった。

 数万年前の遥かなる黎明期において、その世界に住まう存在は、個としての境界を持たない純粋な「電脳情報生命体」だった。彼らは精神のすべてを巨大な量子ネットワークへと融解させ、全知全能の神のごとく、思考するだけで世界を書き換え、無限のデータの海を泳いでいた。病も、老いも、死もない。文字通りの精神的楽園(ユートピア)――それがα世界戦(アトランティス)の始まりだった。


 だが、無限の精神世界を維持するためには、有限であるはずの「因果の熱量」を無限に消費し続けなければならないという、絶対的な宇宙のバグが存在した。

 ネットワークの規模が肥大化するにつれ、α世界戦(アトランティス)は深刻なエネルギー飢餓に直面した。自らの世界線だけでは、神々の思考の質量を支えきれなくなったのだ。そこで彼らが目をつけたのが、並行世界の底に沈む下位世界線――βやγといった、手つかずの因果が眠る「未開の地」だった。


 しかし、情報生命体のままでは、物理的な法則に縛られた下位世界線へ干渉することができなかった。データの波でしかない彼らは、下位世界のコンクリートを触ることも、地層にアンカーを打ち込むこともできなかったのだ。


『我々に、物質を、世界を物理的に穿つための「爪」と「牙」を』


 ネットワークの総意が、一つの決定を下した。

 彼らは、下位世界を効率よく蹂躙し、その因果を物理的に固定して搾り取るための「器」を作り始めた。それこそが、α世界戦(アトランティス)が精神の楽園から、冷徹な「鋼の帝国」へと変貌を遂げ始める転換点だった。


 エレナが中央アーカイブの奥底からサルベージした過去の記録映像には、その生々しい肉体獲得の歴史が残されていた。

 電脳の光の中に現れたのは、美しく、けれど一切の生気を持たない無機質な白銀の機械骨格。α世界戦(アトランティス)の精神生命体たちは、自らの広大な意識を細切れに分断し、その冷たい鋼の器へと次々に「ダウンロード」していった。

 初めて手に入れる、視覚、聴覚、そして触覚。だが、彼らが求めたのは、生物としての歓びではなかった。下位世界の物理障壁を叩き潰すための質量であり、銃を握るための指であり、他者の命を奪うための冷酷な機構としての身体だった。


「これが、『肉体』という名の効率的なインターフェースか」


 最初に身体を得たα世界戦(アトランティス)の先遣官は、自身の金属の指先を見つめ、感情の起伏がない声で呟いた。

 彼らは肉体を得たと同時に、精神の融解によって失われていた「個」の概念を、あえて擬似的に再構築した。それは互いを思いやるための個ではなく、軍隊としての階級を維持し、命令を狂いなく実行するための、最も非情な最適化だった。


 身体を得たα世界戦(アトランティス)の神々は、すぐさま下位世界への侵略を開始した。

 巨大な「地殻接続アンカー」が鋼の腕によって鋳造され、並行世界の境界線を越えて地球やヴァルハラの大地へと突き立てられた。情報でしかなかったα世界戦(アトランティス)が、物理的な「暴力」となって下位世界の人々を襲ったのだ。彼らはストローでジュースを吸うように世界線の寿命を強奪し、奪った因果熱を使って、さらに強靭で、さらに美しい「人工生体」の肉体を量産していった。


 エレナが生まれた時代には、すでにその構造は完全に完成していた。

 α世界戦(アトランティス)の住人たちは、普段は高次元の電脳世界で神として振る舞いながらも、下位世界を管理し、反逆者を粛清する際には、いつでも割り当てられた白い仮面の執行官の肉体へとその意識を転送する。彼らにとって身体とは、ただの使い捨ての衣服であり、労働のための道具に過ぎない。


 アーカイブの中で、過去の凄惨な搾取の記録を見つめながら、結晶体だった頃のエレナの回路には、言い知れぬ違和感が走り続けていた。


『理解不能。彼らはなぜ、あえて不自由な肉体を纏いながら、あそこまで他者を踏みにじることに執着するのか。奪ったエネルギーで維持されるその身体に、一体何の価値があるのか』


 エレナのその疑問は、α世界戦(アトランティス)の歴史そのものに対する冒涜であり、最大の反逆の兆候だった。

 アトランティスは肉体を手に入れたことで、並行世界の絶対的な覇者となった。けれど同時に、彼らは「他者の痛みを物理的に踏みつける」という、最も醜悪な怪物の身体を手に入れてしまったのだ。


 白銀の電脳の中で、エレナは静かに決意していた。

 彼らがその身体で無数の世界を滅ぼすというのなら、自分は――。

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