9.愛瑠の過去
「お父さん、いつまで日本にいられるの?」
「うーん。途中で、調査をほったらかして帰ってきちゃったからな。明日には戻らないと」
「えっ? 一泊するだけのために、砂漠の真ん中から帰ってきたの?」
愛瑠が驚き半分、呆れ半分といった顔をすると、善三は優しい表情で微笑んだ。
「だって、気になるじゃないか。愛瑠がなぜ二人の殿方と共に暮らし始めたのか。愛瑠は、昔からいい男よりも、爬虫類が好きだっただろ。そんなお前が急にどうしたことかと思ってね」
「だからって、あの質問攻めはないよ」
帰ってきてから、実に三時間、斗真と榛名を警察が犯人を取り調べるかのごとく、善三は根掘り葉掘りと二人から話を聞いた。
「しかも、高校生にお酒なんて飲ませて……」
善三が土産に持ち帰ってきたお酒を調子に乗って飲んだ斗真は、酔っ払ってソファで寝ている。榛名は夕飯の支度をすると言って、キッチンに退避した。
「酒を飲めば、腹を割って話してくれるかと思ったが、そうもいかないようだね」
斗真の顔を見た後、善三は真面目な顔をして、愛瑠を振り返った。
「何か、複雑な事情を抱えているのか?」
「お父さん……」
愛瑠が困った表情をして、言葉を呑んだ。
どうしたものかと、髭に囲まれた彼の顔を見ながら考えを巡らせていると、突然、フェネックが甲高い鳴き声を上げ、庭に向かって吠え始めた。
「どうしたの?」
毛を逆立て、全身を震わせて吠えるフェネックに、二人は何事かと眉をひそめる。
「ふぁあ。なんかあったの?」
鳴き声に目を覚ました斗真が、欠伸をしながら起き上がった。
「分かんない。どうしたんだろう、急に」
フェネックの頭を撫でながら、愛瑠はその視線の先に目を向けた。
「ぬぉぉお! なんじゃ、あの生物は!」
突然、愛瑠の後ろから善三が叫んで、窓にへばりついた。
蜘蛛を大きくしたような体を持ち、顔だけが骸骨のように骨だけとなった生物。
「妖魔……」
「愛瑠、お父さんを連れて部屋の奥へ」
善三の叫び声にキッチンから飛び込んできた榛名が硬い声を出した。
「お父さん、行こう」
「何を言っている! こんな新種の生物を見逃せるものか!」
善三はそう言うと、窓を開けて外に飛び出した。
「まじかよ!」
斗真が叫んで後を追う。
妖魔が尻から放った白い糸で善三を捕らえた。しかし、当の本人は、
「なんじゃ、この糸は!」
と、怖がるどころが、興奮した様子で叫ぶ始末。
「勘弁してよ」
ため息交じりにつぶやきながら、斗真がブーメランを放った。ブーメランは善三に巻き付いた糸を断ち切って、斗真の手に戻っていく。続いて、妖魔に向かって飛び上がった斗真だったが、「やべっ。酒が抜けてない」と体制を崩して、妖魔の目の前に落ちてしまった。
再び妖魔の尻から糸が放たれ、斗真の体を拘束する。
「斗真!」
咄嗟に愛瑠が家から飛び出した。
「来るな! 愛瑠!」
斗真が制止するも、妖魔が飛び上がり、愛瑠に襲い掛かった。
「くそっ!」
斗真の体から立ち昇った光が、糸を断ち切り、すぐさま、彼は宙を舞って、愛瑠をかばう様に体を覆った。妖魔の足が斗真の肩に突き刺さり、叫び声をあげた斗真は、そのまま愛瑠の体の上に倒れてしまった。
「斗真!」
愛瑠の悲鳴と同時に、妖魔の体が宙に吹き飛ばされた。
「大丈夫か?! 斗真?」
棘の蔦で妖魔を拘束した榛名が空中から問いかける。
「あぁ……大丈夫だ」
「何てことだ……」
うなずいた斗真の前で、善三が震えるようにつぶやいた。
「どういうことだか、説明してくれるかな」
ソファに腰かけた善三がまだ信じられないと言った面持ちで、榛名を見ている。真正面のソファに座っている榛名が小さなため息をついた。
「すみません。例え、説明したとしても、今日あったことは全てあなたの記憶から消さなくてはならない」
「記憶を操作すると? そんなことも出来るのか?」
感嘆のため息をついて、善三は榛名の隣で斗真を心配そうに窺う愛瑠を見つめた。
「大丈夫? 斗真。ごめんね。私が飛び出したりしたから」
「大丈夫だよ。さっき、癒しの実を飲んだから、すぐに治る」
斗真は愛瑠を安心させるように二カッと笑った。そんな彼らを、善三はしばらく考え深げに見ながら髭を撫でていたが、そのうちに何かを吹っ切ったように微笑んだ。
「君たちは、愛瑠を守るためにここにいるんだね?」
そう言うと、
「愛瑠。父さんは彼らと男の話をするから、少し、外してもらえるか?」
と、愛瑠を見た。
「でも……」
「愛瑠。戦闘したら腹減ったから、何か作って」
斗真が背を押すように言うので、愛瑠は渋々と部屋を出ていった。それを見送り、善三は二人に向き直ってニコリと笑いかけた。
「記憶を消される前に、ひとつだけ、聞いておいてほしいことがあるんだが、いいかい?」
榛名と斗真がうなずいて、背を正す。
「あの子は、少し変わっているだろ? 子供の頃からなんだ。爬虫類や小動物にしか心を開かなくてね……。全部僕のせいなんだが」
そう言って切なげに視線を落とした。
「あの子の母親は、育児ノイローゼになってしまって、ずいぶん愛瑠もつらい思いをしたんだ。愛瑠の母は、私と同様、元々、研究者として研究に明け暮れていた毎日だったからね。愛瑠を産んだことによって、自分のやりたい研究ができなくなって、それが、ストレスになったのだろう。気付いたときは精神的にボロボロな状態だったよ」
ふぅと深いため息をついて、うつむく。
「僕がちゃんと支えてやればよかったのだけど。お世辞にもよい夫、よい父親といえるような人間じゃなかったからね。僕が研究に明け暮れ、成果を出すのを見るたびに、きっと彼女の中で何かが壊れていったのだと思う。結局、愛瑠が六歳の頃、あの子を置いて自殺したんだ」
善三は息もつかずに話し終えると、一旦、黙りこんだ。
『人間は……私には理解ができなくて、難しい』
愛瑠らしくない言葉に、暗い瞳。
『嘘をつくのも自殺をするのも人間だけでしょ?』
互いに顔を合わせた斗真と榛名の様子に、善三はうなずきながら、苦しげに息を吐いた。
「その日、愛瑠が公園の遊具から落ちて……。周囲の人の話だと、そばで見ていた彼女は、愛瑠が落ちるまでずっと見ていたらしいんだ。落ちかけた愛瑠を、微動だにせず、ずっと。救急車で運ばれて、複雑骨折で手術することになって、その間に彼女は病院の屋上から飛び降りて自殺した」
絞り出すように言葉を続ける。
「その後、愛瑠の体にあざや古傷が見つかって、慢性的に虐待されていたことが発覚したんだ。それなのに、愛瑠はそんな母親を恋しがってね。母親の死を自分のせいだと思い込んで、それ以来、人と関わることが怖くなってしまった。僕はそんな愛瑠を見ているのが苦しくて、ここから逃げ出したんだ」
善三の悲壮な横顔に、
「トカゲの尻尾は切れても伸びる」
と、斗真がつぶやいた。
「愛瑠がよく使うんだ。前向きになるためのおまじないだって。いつまでも起こってしまったことを嘆いていないで、前を向くよう、あなたから言われたって。愛瑠はあなたが逃げ出したなんて思っていない。あなたが思うより、愛瑠はずっと強いよ。だから大丈夫だ」
「斗真君」
驚いた顔で、善三がつぶやく。榛名も斗真の言葉にうなずいた。
「それに、僕たちは彼女を守るって決めたから、だから、安心してください」
善三はしばらく、二人の言葉を噛みしめるようにして、「そうか」と何度もつぶやき、涙を湛えながら微笑んだ。
「あの子が自分以外の誰かと生活を共にすると聞いて、嬉しくてね。君たちのことを信頼できる人だから安心してくれとメールに書いてあって。爬虫類にしか心を開かなかったあの子が信頼できる誰かと出会えたのだと思ったら、嬉しくて嬉しくて、地球の裏側から飛んできてしまったんだ」




