10.三人の関係
翌日、フェネックを抱いて玄関に立った善三に、愛瑠が寂しそうな顔をして向かい合っていた。
「フェネック置いて行ってくれないの?」
愛瑠が拗ねたようにつぶやき、善三が微笑む。
「私と違って、お前には傍にいてくれる人がいるだろ?」
善三はそう言うと、愛瑠をギュっと胸に抱きしめた。
「ちょっ、ちょっと、お父さん、やめてよ。恥ずかしい……」
「愛瑠。ずっと、お前を一人にしてごめんね」
「お父さん……」
しばらく黙ったまま善三は愛瑠を抱きしめた後、そっと離れて笑顔を見せた。
「でも、これからは榛名君と、斗真君がいてくれるから安心だ」
「おう、任せろ」
斗真が親指を立てる。榛名も笑顔でうなずく。
最後に善三は愛瑠の耳元で、
「早くどちらかに絞れよ。日本は一夫一婦制だからな」
そう囁くと、カァっと顔を赤くした愛瑠を置いて、大声で笑いながら、その場を後にした。
「おっちゃん、なんて言ってたの?」
斗真がに聞かれて、愛瑠は「焼肉とお寿司のどちらが好きかと聞かれただけ」とはぐらかす。
「俺は断然焼肉だな!」
と、斗真が聞いてもいないのに、断言する。
「榛名は寿司だろ? お前は肉より魚派だもんな」
「そうだね」
「じゃぁ、愛瑠は?」
「私?」
私は……。
「……どっちも好き。選ぶことなんてできない」
そう答えると、「欲張りだなぁ。愛瑠は」と、斗真が笑った。
だって、仕方ないじゃん。どちちも大切なんだから。
榛名と斗真の顔を見ながら、心の中でそうつぶやく。
ずっと、こうして三人で一緒にいられればいいと思う。これからも、ずっと……。
けれど、善三の言葉に翻弄されるかのように、三人の関係は微妙に形を変えていった。
日曜日、愛瑠は家の庭で日向ぼっこをしていた。
「気持ちよさそうだね」
家の中から、榛名が優しげな表情で話しかける。
「気持ちいいよー。榛名も日向ぼっこしたら?」
「ちょっと、調べごとがあるから、また今度にするよ」
クスリと笑って、榛名は部屋の奥へと戻っていった。
こんなに気持ちいいのに、調べごとなんて気がしれないな。
柔らかな日差しの下で、ベンチに座った愛瑠が目を閉じる。
あぁ、温かいなぁ。気持ちいい天気だなぁ。
あっという間に、ウトウトし始めた愛瑠は、数秒もしないうちに深い眠りについた。
家の庭ということもあり、油断していたことは確か。半妖になってから、日が経ち、緊張感が薄れていたことも手伝って、気付いたときは遅かった。
秋風に吹かれて目を覚ました愛瑠は足元の違和感に気付いて愕然とする。
「きゃぁぁあぁぁぁっっ!!」
静かな午後の空に、愛瑠の叫び声が響き渡った。
変異し、土に根を張った自分の足。
急いで、元に戻そうと試みるが、その足は愛瑠の意思に反して、地下へ地下へと根を伸ばしていった。
「愛瑠!」
叫び声を聞きつけた榛名が、家の中から飛び出し、愛瑠のもとへと駆け寄ってきた。
「落ち着いて。大丈夫だから」
そう言って、隣に座り、その手を握る。
「ほら、深呼吸して」
「ダメ。いつもと違うの! 私の意思に逆らって、勝手に体が土の中に根を広げていく!」
「養分を得ようとしているんだ……」
榛名はつぶやくと、
「愛瑠。よく聞いて。棘の実は意思を持つんだ。だから主より自分が優位だと思うとコントロールが利かなくなる。好き勝手させないよう、強く命じて。精神を集中して自分が主なんだってことを言い聞かせるんだ」
そう言って、彼女の手を包み込んだその手に力を込めた。
「大丈夫。愛瑠ならできるから」
微笑んだ榛名に、愛瑠はうなずいて、ギュっと目を閉じた。
戻れと強く命じる。
戻れ……。
戻れ……戻れ、戻れ、戻れ!
戻らないと、切り株にしてやるからっ!
愛瑠が怒りを込めて、心の中で叫ぶと、地下へ伸ばしていた根の動きがピタリと止まった。ゆっくりとではあるが、体の中に戻ってくるのを感じる。
「頑張ったね」
優しく囁いた榛名の笑顔に、愛瑠は泣きそうな顔でうつむいた。
「よかった。榛名がいてくれて……。もう、戻らないんじゃないかと思った」
愛瑠の手が震えているのを感じ取り、榛名は握った手を引き寄せて彼女の頭を自分の胸に抱いた。
「ごめんね、愛瑠。そんな体にしてしまって」
その声は、悲痛な響きを含んでいる。
しばらく榛名の胸に顔をうずめていた愛瑠が、「髪を切りに行かなくても済むようになったこと」と突然つぶやいて、顔を上げた。
「お腹が空いたら日光浴すれば満たされること。それから……斗真と榛名に出会えたこと」
そう言ってニコリと笑う。
「私が半妖になってよかったことだよ。ほかにもたくさんある。だから大丈夫」
愛瑠の言葉に榛名は息を呑み、穴のあくほどに彼女を見つめた。
「君は、本当に……」
それ以上続けられず、黙りこんだ榛名を見て、愛瑠はペロッと舌を出す。
「こちらこそ、ごめんね、榛名。いつも、いつも迷惑ばかりかけて。もっと私がしっかりした人間だったらよかったのに」
「そんなことないよ」
榛名はうつむきがちにつぶやいて、それから真面目な顔で愛瑠のことを見つめた。
「こんなこと言ったら、怒るかもしれないけど、僕は棘の実に寄生されたのが愛瑠でよかったと、本当に思っているんだ」
「榛名……」
「君の優しさと強さに僕は凄く助けられている」
真剣な瞳でじっと自分を見つめる榛名に、愛瑠が照れた顔で笑う。
その耳にギシっと床の軋む音が届いて、振り返ると、立ち去ろうとしていた斗真がばつの悪そうな顔でこちらを向いた。
「あ。悪い、邪魔した」
ポリポリと鼻の頭をかいて、そのまま姿を消す。
「なんか、勘違いさせちゃったかな」
榛名が困ったような顔をしてつぶやき、愛瑠も微妙な顔で「別にいいのにね」と答えた。
その日の夕飯は愛瑠自ら作ると言った。毎日、榛名に作らせているのが申し訳なくなったというのもあるが、今日の一件に対する感謝の気持ちも兼ねていた。
斗真が「食べられるもん作れるのか?」と心配そうにキッチンに顔を出す。
「大丈夫だよ。これまでちゃんと夕飯は自炊していたんだから」
「何作っているの?」
「カレー」
「野菜、デカ過ぎるだろ。面倒くさがらず、ちゃんと切れよ」
「うるさいなぁ。大きい具が、ゴロゴロ入っている方が美味しいんだよ!」
その時、手元から目線を外した愛瑠が誤って自分の指を包丁で切ってしまった。
「いったぁい。斗真が話しかけるか……ら……」
言いかけた愛瑠の声が止まり、愕然とした様子で傷を負った指を見つめた。
傷口から出てきた液体が、指を伝ってまな板の上に垂れる。
「何、これ……」
愛瑠は痛みも忘れ、強張った顔でそれを見つめた。
血液とは程遠い、深い緑色をしたドロドロの液体。
「大丈夫か?」
気遣うように斗真が愛瑠の顔を覗き込むと、彼女の顔が泣き出しそうに歪んだ。
「私……本当に……化け物みたい……」
かすれた声でそう言って、唇をかむ。
そこに、「どうかした?」と、リビングにいた榛名が顔を出した。
泣きそうだった愛瑠がハッとした様子で、すぐに笑顔を取り戻すと、「斗真が邪魔するから、滑って指切っちゃったよー」と言って舌を出した。
「愛瑠……」
その様子に小さくため息をついた斗真は、
「榛名、消毒液買ってきて」
そう言って、榛名を見た。
「癒しの実で……」
言いかけた彼に対して首を振り、
「悪い。頼むから、買って来きてくれ」
ともう一度言う。
彼の強い視線に何かを感じ取った榛名は、無言のままうなずいてその場を立ち去った。
二人だけになると、「今のうちに泣いておけ」と言って、斗真はティッシュを二枚取り、一枚を愛瑠の指に、もう一枚を愛瑠の顔に押し付けた。
「なに……急に……」
「榛名に気を遣う必要ないから、泣きたかったら泣けって言ってんの」
今度は怒ったように言って、斗真は愛瑠を自分の胸に抱き寄せた。
「本当は、不安なんだろ? 榛名に責任を感じさせないよう、何でもない振りをしてんだろ? もう、無理するな」
ため息交じりに言うと、愛瑠は唇を噛みしめてうつむいた。声を押し殺すようにして泣き始めた愛瑠の背を、斗真は優しく撫でてやった。
「血が緑とか、エイリアンみたいだし」
グスグス言いながら、愛瑠がつぶやく。
「うん……」
「ムカデのお化けとか、蜘蛛の怪物みたいなのまで現れるし」
「うん……」
「おまけに、天界の人たちは、まるで私のこと容疑者扱いだし」
「うん……ごめんな」
ただ、優しくうなずき、斗真は受け止めてやる。ずっと不安を抱え、恐怖と戦っていた愛瑠が涙と共に、すべてを吐き出す。ずいぶん長い時間、そうやって過ごし、落ち着きを取り戻した愛瑠は、ゆっくりと斗真から離れた。
「ありがとう。もう、大丈夫」
ちょっと頬を赤らめて、目を逸らした愛瑠に、斗真も顔を赤くする。
「いつもそれくらい素直でいりゃぁ、可愛いのに」
「なっ、何、可愛いとか言ってんの。気持ち悪いし!」
「可愛いから、可愛いって言ったんだろ。何が悪い!」
斗真は怒ったように言うと、愛瑠を再び引き寄せて、きつく抱きしめた。息を呑んだ愛瑠が、斗真の顔を見上げる。
斗真は黙ったまま愛瑠を見つめ返した。
「なぁ。お前、榛名のこと好きなの?」
「え……?」
「前に言ってた、榛名との初めてって、何? あいつとキスしたの?」
そう言って、切なげに瞳を覗き込む。
耳まで真っ赤になった愛瑠が、ドンと斗真の体を突き飛ばした。
「へっ、変なこと聞かないでよ! 変態!」
愛瑠はそう叫んでキッチンから駆け足で出て行ってしまった。
「変態って……。俺にとってはかなり重要なことなんだけど」
誰もいなくなったキッチンで、斗真が吐息をついた。




