45話「老人」
「おぉ、君は……」
ふいに、優花の後ろから声がした。まるで予想していなかったことに、優花はビクリと肩を震わせる。
かすれるような声がした方向を見ると、その声から想像した通りの老人が傘をさして立っている。
老人は深々と帽子をかぶっていた。その隙間から見える顔は、想像よりも老けていない。立ち姿もしっかりしていることから、老人とはいえ、初老なのかもしれない。
優花は首を傾げた。少なくとも、優花の知り合いにこの老人の顔はない。
「間違いない。大きくなったな」
老人は、優花を見てうんうんと首を縦に降る。さながら、久々に会った孫の成長でも噛み締めているようだ。
そんな様子から、優花は人違いをしているのではないだろうかと思い始めた。
きっと、ボケた老人がこんな裏路地まで迷い込んでしまい、あまつさえ他人を孫かなにかと勘違いしまっているのだと、そう思った。
あいにく、優花はそんな老人に付き合っている気分ではないのだ。さっさとこの場から去ってもらおう、そう言葉を出そうとした時だった。
「あぁ、久々に訪れたこの地で君に会えるなんて……これも、桜子さんの導きなのかもな」
「え……?」
「本当に大きくなった。お母さんにそっくりだよ」
「母を……知っているの?」
優花は、ついさっきまでの考えなど吹き飛んだ様子で老人に尋ねる。
よもや、母親の名前が出てくるとは思っていなかったのだ。
母の知り合い、それならさっきの反応にも納得はいく。要は、老人は幼少期の優花に会っているのだ。
「知ってるも何も、桜子さんには本当にお世話になった」
「……ということは、昔あの教会で一緒に暮らしてた誰か……?」
「覚えてないかい?」
老人の眉がやや垂れ下がる。覚えられていなかったことが、ちょっとショックだったのかもしれない。
「お母さんが、あちこちで住む場所に困ってる人を連れてきてたから……流石に全員は思い出せないかな」
「人……?」
老人が怪訝そうな反応をした。優花はそれが不思議だった。
老人は、やや困惑した様子で優花に尋ねた。
「もしかして……お母さんがしていたことを知らないのかい?」
「え? だから、あちこちで住む場所に困ってる人を……」
「……なるほど、どうやら本当に知らないようだ」
老人は、帽子を斜めにして顔を隠す。彼が今、どんな表情を浮かべているかは、優花には想像もつかなかった。
ふぅーっと長いため息を吐いた老人は、再び優花の瞳を真っ直ぐに見つめる。
「正直、君は知らないほうがいいのかもしれない。だけど、ここに来たってことは、なにか君の中できっかけになるようなことでもあったのだろう? だから、あえて話すとするよ」
「なによ。母が何をしたっていうの?」
「悪いことじゃない。いや、今の君は悪いことのように思うかもしれないし、理解できないかもしれない」
「もったいぶるね」
「では、本題だ。桜子さん……君のお母さんは魔法少女だった。これは知っているね? もちろん知っているはずだ。君も昔、『私も魔法少女になる』とはしゃいでいたのだから」
「……ちょっと待って。なんでそれを貴方が知っているの? 私は、魔法少女の話は母としか話さなかったはずよ。魔法少女の話題は人の前では話さないって約束してたもの」
「あぁ、君はそれをしっかり守っていた。幼いながら聡明だったよ」
「貴方……何者?」
優花は、やや警戒した様子で口にする。いくら母の知り合いとはいえ、正体不明の老人をおいそれと信用はできない。
そのことを感じ取ったのか、老人は困ったような表情を浮かべた。
しかし、それは当たり前の反応と、老人は諦めた。
「君が魔法少女になりたがっていたのは、桜子さんから直接聞いたよ」
「嘘よ。お母さんは、魔法少女のことをペラペラと他人に喋ったりしないわ」
「いいや、本当さ。幼い君を除いて、あの場にいた大人はみんな知っていたのさ。ただ、黙ってただけ」
「本当になんなの……あなた」
「……仕方ない、本当は、この姿にはなりたくなかったんだが、仕方ないか」
そう老人が口にすると、帽子を深々と被ったまま、老人の体が変化する。
堂々とした雰囲気の体からは、隠しきれない異形のモノの片鱗が浮かぶ。この変化をもし人が見たのなら、悲鳴を上げ、あたりはパニックになることだろう。
元の面影もない老人の口が、ゆっくりと開いた。
「魔族だよ。私も、あの場にいた全員もね」
「…………ッ!!!」
優花は、即座に変身した。結んでいた髪は解かれ、水に濡れた艷やかな髪が地面に向かって垂直に降りる。
ナデシコの表情は、さきほどよりも険しくなった。服も、いつの間にか軍服をモチーフにしたような衣装に変わっていた。
手に現れた槍を構え、今にも相手に向かって突撃しようとした時だ。
「ま、待った待った! 戦うつもりは微塵もない!!」
魔族は、慌てて先ほどまでの老人の姿へと戻った。それが、戦闘の意思はないという現れで、それがナデシコにも伝わったのか、彼女が彼に攻撃を加えることはなかった。
安堵の息を漏らす老人は、変身によって緩んだ服を整える。
しかし、ナデシコは変身を解除しない。これは、話は聞くが妙な真似をしたらすぐに殺すという威嚇の表れでもあった。老人もそれを理解している。
だが、ナデシコには、老人の表情は恐怖というより悲しみが溢れているように思えてならない。
悲しげな瞳が、ナデシコをその瞳に写し続けた。
次回更新は、4月30日(土)です。




