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赤髪の美貌の持ち主は、湖で戯れている(ようにしか見えない)見覚えのある姿に、呆れたようにため息を漏らした。
「何やってるんですか、あの人は……」
正確にはあの二人、となるはずだが、シュニアとしては自分の主人が第一。その他は彼女なりの優先順位があるが、一位との差はやはり歴然としている。
もっとも、今回の一言には、やや理不尽な怒りも含まれていたかもしれない。
結果的に主人に取り残される形になったシュニアは、いつの間にか金髪の調子のいい男と二人きりになっていたのだ。
もう一人の侍女フィリーナは、主の姿が消えた瞬間、何か用事を思い出したと言って、そそくさとその場を立ち去った。
侍女三人娘の中で、何気に一番立ち回りがうまいのはフィリーナだろう。やや人見知りな面もあるが、他の二人のように複雑な思考への理解や、直感的な判断力を持ち合わせなくても、彼女は場の空気を読んで行動する事には長けていた。
もっとも、今回に関しては、あえて読まないでほしかったと、心底シュニアは思う。
先ほどからずっと、にこにこと音がつけられそうなくらいまぶしい笑顔で、ニールはシュニアのことを見つめてくる。はっきり言って、居心地が悪い。
(恨みますよ、ラス……)
これはラスとて予想外の事態だろうが、シュニアとしてはそう八つ当たりでもしなくてはやっていられなかった。
「そうそう、シュニア殿。以前お聞きしたあなたのお気に入りの茶葉を用意したんです」
一服しましょう、といつの間にかセッティングされたテーブルと茶器を指して、ニールが微笑む。
「いえ、本来なら今も仕事中ですので……」
「時間に余裕があるのなら、多少予定を変更したって問題ありませんよ。我々が守るべき方々は、あの通りですし」
「……主のため、もっと他にも出来ることがあるのでは?」
「俺にとっては、シュニア殿のことが一番ですから」
「そういうところが……」
どうしようもなく苛立つのだというのに、ニールはまるでそれを察した様子がない。
今も「はい?」などと、能天気な笑みを浮かべて小首をかしげている。
それもまたシュニア神経を逆なでしたが、彼女は仕方なく、ほぼ義務感によって、用意された椅子へと座った。再び溜息が漏れる。
「ニール殿、あなたは騎士のはず。それも栄誉ある帝国騎士団を率いる身なのですから、たとえ戯言でも軽々しくそのようなことを口にすべきではありません。主のために動かずして何が騎士ですか」
軽い言葉が余計に軽薄に聞こえますよ、と失笑交じりにシュニアが言っても、ニールの態度にはあまり変化は見られなかった。むしろ何か嬉しいことでもあったかのように、彼はその笑みを深めるのだ。
「それでいくと、シュニア殿の方が俺よりも余程騎士の素質がおありかもしれないな。あなたの主への忠誠心はまさしく騎士のそれを相違ない。ふふ、また一つ、あなたに近付けたような気がします」
「最後のは明らかに勘違いです」
シュニアはぴしゃりと言い切った。放っておくと、目の前の男はどこまでも状況を都合よく解釈するからだ。
「それに、生半可な騎士と一緒にされるのも迷惑です。私はこの命、あの人のためならいつだって捨てられます」
「それは……少し、力み過ぎではありませんか?」
「力む?私は本心から言っています。私の命一つであの人が前に進めるのなら、むしろ安すぎるくらいです」
ここでようやく、ニールは少し顔色を変えた。人懐っこそうな笑顔が引っ込められ、真剣みを帯びた視線をシュニアへと向ける。
「確かに、俺たち騎士には、時に命を賭けてでもなしとげなければならないことはあります。だが、賭けはしても、捨てる気で動いたりはしない。まして、あなたはか弱い女性だ」
「並みの兵士よりも腕は立ちます。性別は関係ないでしょう」
「それであなたが万一死んでしまったとして、あなたの主がそれを喜ぶとは思えないが」
「もし私があの人を守るために死んだなら……そうですね。きっと墓前で散々恨みごとを言われるでしょうね」
「だったら……」
「でも、ひたすら文句を言いつくしたら、“ごめん”と一言謝って、それから“ありがとう”と言うでしょうね。あの人は、そういう人です」
それがわかっているから、おそらくシュニアはその時が来ても、迷わず最善の道を選ぶことができるはずだ。
壮絶な決意をひどく穏やかに告げたシュニアを前にして、ニールは思わず絶句していた。
シュニアとその主が強い絆で結ばれていることは薄々察していたが、まさかここまでとは予想していなかったのだ。
「素直に感服、とはいかないですね。あなたのその意志の強さは、俺には少し怖くさえ思える」
「別に、理解していただきたいとは思っていませんから」
むしろ上っ面だけな理解を示される方が、シュニアとしては遥かに癪に障る。
「あー、でも、やっぱりちょっと妬けるな」
「妬ける?」
突然軽い調子で話しだしたニールに、なんのことだかわからずシュニアが問う。
ニールはそれに茶目っけたっぷりのウインクをしつつ答えた。
「シュニア殿が、あの姫様のことを大好きすぎるので。俺としてはちょっとジェラシー感じざるを得ないですよ。俺もその百分の一でいいから思われてみたいって……」
「…………」
「わー!ちょっと待ってください、シュニア殿!!」
無言で席を立とうとしたシュニアを、ニールは慌てて引きとめた。
「お、お茶!入手困難度Aランクのこの茶葉で今すぐお茶を淹れるので、お願いですからどうか座ってください。これ手に入れるのものすごく苦労したんですよ、俺!!」
これをシュニア殿に淹れてさしあげるために俺は練習もしてきたんです!とニールが叫んだところで、シュニアは少し思案する様子を見せ、結局彼女はもう一度椅子へと腰を下ろした。
それを見て、ニールがほっと息をつく。
「あ、今すぐ用意しますからね」
と、そそくさと準備を始めるニール。
実際のところ、シュニアが留まった理由は、入手するだけでなく淹れる際も扱いが困難と言われるその茶葉を、ニールがどうするのか高みの見物する、もとい出てきたお茶を酷評するためだったりするのだが、目先の幸福に目がくらむ彼はそのことに全く気付いていなかった。
いや、あるいは気づいていたとしても、それでも彼は赤髪の麗人が留まってくれたという一点だけで、手放しで喜んだかもしれないが。
練習した、というのは本当なのだろう。割合スムーズに工程を重ねるニールを視界の端に入れつつ、シュニアはふと湖の近くにいる奇妙な人影に目を止めた。
「あれは……」
周囲を警戒する兵士たちの壁を挟んでいるので少々距離があるものの、その白いローブは草木の緑からは浮き過ぎている。
そんなシュニアの様子に、ニールは手は動かしつつもちらりと彼女の視線を追い、ああと頷く。
「あの白いローブは、ミュノシア教徒ですね。マリューシャは敬虔な信徒が多いらしいですし、この湖にも結構な人数が巡礼に訪れるそうです。なんて言いましたっけ。こういう自然豊かな場所にいるっていう、ミュノシアの伝説上の存在……」
「精霊、ですか」
「あ、それです。その精霊とやらを拝みに。……そういえば、シュニア殿もエンダスの出身だから、ミュノシアについては詳しいですよね」
これは差し出がましいことを、とニールは僅かに苦笑した。
「いえ、確かにミュノシアの教えはエンダスにも残っていますが、マリューシャほどしっかりと伝わっているわけではないので。白いローブはミュノシアの印か何かなのですか?」
エンダス出身のシュニアは、ミュノシアの基本概念はわかっても、信徒の務めなどの具体的なことには疎かった。
むしろ帝国の生まれであるニールのほうが、そのことに関して知識があるほうが不思議だった。そのことをシュニアが告げると、ニールはどこか照れくさそうに頭を掻いた。
「俺もそう詳しいわけではないですけどね。うちは親が“子供は本物を見て育つべきだ”っていう教育方針で、俺は小さいころから親父に連れられて周辺諸国を見て回ってたんです」
ええと例えば……などとニールの話は自分の過去の冒険譚に移ろうとしたが、そんなひどくどうでもいい話を聞く気など、シュニアには毛頭なかった。
「ニール殿?」
満面の笑みと凄みのある声の組み合わせは、回想に浸るニールを現実に引き戻すには十分だった。
けれど、心の隅でちらりと、やっぱりシュニア殿は美人だな、などと思えるニールは、どうしようもないくらいに恋する男(馬鹿)だった。
とりあえず、脱線しかけた話は元へと戻る。
「……その時に聞きかじった程度の知識なんですが、確かローブの色はミュノシア教徒の階級に関わっていたと思います。白が一般で、それなりに徳を積むと黒を纏うことを許されるんだとか。あれ、一番上が赤だったかな?すみません、その辺は結構曖昧にしか覚えていなくて」
「赤はともかく、黒のローブなどありふれていませんか?」
「ですよね。むしろ白の方が珍しく思えます。あくまでミュノシアの間で、ということなんでしょうが」
と、そこで丁度、茶葉の蒸らし時間を計っていた砂時計の砂が落ち切った。
ニールは「おっと、いけない」などと言いながら、なお慎重な手つきでカップにお茶を注いでいく。
「ど、どうぞ」
そうして完成品を差し出したニールの手は、若干震えているようにも見えた。
シュニアの反応をじっと見つめる様は、とても帝国一の騎士とは思えない。例えるなら、飼い主の機嫌を窺う犬。
あまりにも熱心に見てくるものだから、シュニアは一瞬、彼にあるはずのない耳と尻尾を幻視しかけた。
「どうですか……?」
沈黙したまま動かないシュニアをどう思ったのか、ニールが問う。
まだ口をつけてもいないのに感想を聞かれても、と内心思ったシュニアだが、とりあえずその薄赤の液体の入ったカップを持ち上げる。大して期待はしないままに。
一口口に含んで、彼女は手を止め、眉をひそめた。
見た目も香りも完璧なそれは、腹が立つくらいに美味しかった。




