第七回 粘る画面と、六秒の男
怒りを数字に翻訳し、役員レビューの機会を得た私。
ところがその直前、月末の夜にシステム障害が発生する。
マニュアルには、こう書かれていた。
「月末はA画面が重くなるので注意」
注意はした。だが落ちた。
異動した熟練者しか知らない「画面が粘る」という感覚が、会社の理屈を現実によって裁き始める。
障害は、月末の夜に来る。
これは経験則ではなく、ほぼ物理法則である。
A画面が落ちていた。締め処理が走らない。顧客の経理部門が月曜朝までに必要とする帳票が、一枚も出ない。
新体制の九人は、誰も原因の見当がつかなかった。責める気はなかった。索引が破れた本を、初見で引ける人間はいない。
マニュアルには「月末はA画面が重くなるので注意」と書いてあった。
田村の墓標、十四基目である。
注意はしていた。それでも落ちた。墓標とはそういうものだ。
二十二時、私は営業企画の田村に電話をかけた。公式の応援要請ではない。公式にやると、依頼書と工数調整で月曜になる。
「粘ってたか」と田村は開口一番に言った。
「粘ってた、らしい。夕方から」
「バッチの多重起動だな。三年前と同じだ。管理テーブルの、上から三番目のフラグを見ろ」
三番目のフラグは、マニュアルのどこにも載っていなかった。
田村は電話越しに、画面を見ないまま画面を操作させた。彼の頭の中には、システムの地図が入っていた。地図は資料十四個に分割されて埋葬されたはずだったが、本体は本人の中で生きていた。暗黙知は、殺しても本人と一緒に歩いて行くのである。
二時二十分、復旧した。
月曜の朝、帳票は間に合った。顧客は障害があったことにも気づかなかった。
そして火曜、役員レビューの「試行」が開かれた。人事部長代理の起案である。議題は「組織移行に伴う業務継続リスクについて」。
出席者の中に、隣の部の定年間際の部長がいた。
「わしが呼ばれた理由が分からん」と本人は言ったが、彼が担当役員と同期であることは全員が知っていた。失うもののない人間は、組織における最強の伝送路である。
私は三つの資料を出した。
矢口の工数表。ビル一棟分の損失試算。
金曜夜の障害の時系列。元担当者への非公式電話一本で二時間、公式ルートなら七十二時間という比較つき。
そして、矢口の議事録。あの会議の、一言一句。沈黙の長さつき。
担当役員は資料を長い間、読んだ。
それから顔を上げて、言った。
「君が、ゴルァの人か」
「はい」
「今日は怒鳴らないのか」
そのとき、正直に言えば、腹の底で何かが動いた。怒鳴らないのか、ではない。あなたたちが数字を見なかった二十年が、ゴルァを製造したのだ——
私は六秒待った。
eラーニング全問正解の男である。
六秒後、口から出たのは、これだった。
「怒りは一度、翻訳済みです。お手元の資料が翻訳結果です。誤訳があれば、ご指摘ください」
役員は資料に目を戻し、隣の定年部長が今度こそ堪えきれずに小さく吹き出し、人事部長代理は——
私は見た。
彼の眉が、一ミリ動いた。
入社以来初めて目撃される感情の兆候として、後日、社内で語り草になる一ミリである。
役員は言った。
「試算の前提は粗い。だが、方向は否定できん。金曜の件が全てだ。……で」
役員は私を見た。
「文句は分かった。対案は」
会議室が静かになった。
佐伯さんの声が、頭の中で再生された。
——二回目からは、数字と対案で怒ってください。
「三つあります」
と、私は言った。
【本章の経営学】危機は最高の教材である(コッター第一段階の遅延納品)。ただし危機を経営の意思決定に変換するには、①定量データ、②具体的事例、③正確な記録、の三点セットが要る。感情は入場券にならないが、翻訳された感情は議題になる。また、失うもののないシニアは組織内最強の伝送路である。定年前の人間を敬え。実利的な意味で。




