毒盛られました
「なんなんでしょう、あの態度。不躾にもほどがあります」
部屋に戻ってきてからも、ミアはしばらく怒ったままだ。
「しょうがないよ。僕はしがない小国から嫁ぎ、その上男なのに子が産める体質だ。他の人からしたら、どうして僕なんかが、と気に食わないことも多いんだろう」
前ならあんなこと言われては、心が塞いでしまっていただろう。
「でも僕も、僕の場所を譲るつもりはないから」
にっこりとルティエルはミアに微笑んだ。
そう思えるようになったのは、確実にハロルドがルティエルを認め、慈しみ、愛情を注いでくれているから。
“ルティエル”
その声を思い出すだけで、心に灯りがともるようだ。
だからもう、時期が来たと思っていた。
「ねぇミア。僕そろそろ、ハロルド様からブレスレットを返してもらおうと思うんだ。初めに七日でいいので付けて欲しいとお伝えしていたのに、もうとっくに七日を超えている。ハロルド様のお気持ちは、十分すぎるほどわかったから」
「ルティエル様……」
ソファに座ったルティエルのそばに近づいたミアは、「難しいと思います」とはっきりと言った。
「へ?」
「我々が思う以上に陛下は“ルティエル様とお揃い”を気に入っているのです。今や、ブレスレットを付けるのを忘れるどころか肌身離さずといった様子です」
「それなら、新しいお揃いをつくったら」
ミアは首を横に振った。
「陛下は収集する癖がありまして。先日まではルティエル様がお似合いになるリボンを集めていらっしゃいましたし」
「確かに……」
二人は顔を見合わせ、はぁ…、とため息を吐いた。
ハーフアップにリボンを編み込んだルティエルの姿がよほど気に入ったのだろう。高価な宝石が付いたアクセサリーであればやめてと言いやすいが、リボン。本数が集まり塵も積もれば山となるということで、収納に困ってきていると言ってハロルドを一旦ストップさせている。そう考えていくと、新しいお揃いを与えたとしても、前のお揃いを返してくれないだろう。
「僕も考えるよ、ブレスレットをハロルド様から返してもらえる方法を」
「本当に手のかかる陛下で」
「ううん、とても面白いよ」
クスクスとルティエルが笑っていると、優しくミアが微笑んだ。
「あの、ルティエル様。ルティエル様がお力を持たれていたことは公表されないのですよね?」
風を入れようと立ち上がったルティエルが窓を開くと、飛んで来た小鳥がルティエルの肩に止まった。まるで待っていましたと言わんばかりだ。
「うん。ハロルド様とも話し合って、公表しないことにした。僕の身に危険が及ばないようにって」
ハロルドのような大きな力を持っているわけではない。けれどルティエルに力があるとわかれば、いろいろと言ってくる者はいるだろう。
(特に、ジクルス国の──キャロリア姉上には知られたくないな)
キャロリアの冷たい視線を思い出し、ルティエルは身震いした。
考えすぎかもしれない。けれど、知られればなにをしてくるかわからない。ルティエルの勘が、過去にキャロリアからひどく折檻を受けた経験から、そう思えて仕方がない。
(ハロルドに迷惑をかけることだけは避けたい)
思わず、バルコニーの手すりを握る力が強くなった。
「ルティエル様、戻ってますわ。ハロルド様、に」
その様子に、ミアはからかうように声をかけた。
「え、ほんと?まだ全然慣れなくて」
「そのうち慣れますわ。ずっと一緒にいるのですから」
「……そうだね」
たったそれだけ、ハロルドとの未来を少し話しただけでも、ルティエルの中で温かい気持ちが灯る。けれどそれと同じくらいの寂しさも湧き上がってきて、ルティエルは払しょくするように頭を横に振った。
(弱気にならない。今ハロルドの隣にいるのは僕なんだから。ハロルドのそばにいるためにも、まずは皇太后さまに認めてもらわないと)
小さく息まくルティエルを、ミアは微笑ましく見つめていた。
皇太后の宮は目と鼻の先というほど近くはなく、遠いというほど離れていなかった。
「ごめんなさいね、急に予定を変更して。やっぱりあなたとお話したいことがたくさんあって」
ピクニック風、とでも言おうか。宮の裏手の林の入り口に白を基調としたシートを敷き、そこにティーセットが並べられているだけでも、おとぎの国のお茶会が始まるようだった。
「こちらこそ、お会いできて光栄です」
向かいに座る皇太后は涼やかなハロルドとは違い、特に目尻の皴から温かみがある印象を受け、自然体で話しやすそうな人だった。
昼食は料理長が腕によりをかけて作ったスープにサラダ、メインは魚料理だった。食事中はあれもこれもと皇太后が進めてくるので食べるのに精いっぱい、お腹も満杯だ。
「あ、そうそう。これね、北西の村で取れた茶葉なの。とってもいい香りがしてね」
「ありがとうございます」
膝立ちになって向かいのルティエルに渡そうとした皇太后に侍女が左右から寄っていった。けれどいいのいいのと皇太后がルティエルに手渡そうとするので、ルティエルも急いで膝立ちになり、茶葉が盛り盛りに入った袋を両手で受け取った。
(危ない、落とすかと思った……。一年分くらいはありそうだ)
胸にどしりと抱いた茶葉の袋を早々にミアに奪われると、二人の様子に皇太后はニコリと微笑んだ。
「ミアのいれたお茶は本当においしいから、楽しんでね」
「恐れ入ります」
茶葉の重みに腕を震わせながらルティエルの後ろに控えたミアが皇太后に視線を向けられ、それが合図だったのだろう。他の侍女たちは静かに離れていった。
「さて、これで落ち着いて話ができるわね」
カップをソーサーに置いた皇太后から、先ほどまでの温かさはどこへ行ったのだろう。キリリとした視線をルティエルに向けた。
(いったい、何を聞かれるのか──)
ルティエルはごくりと唾を飲んだ。この国に来て、少しずつラティエス帝国について学びを深めて来た。ないと思っていた力も、ハロルドのおかげであるとわかった。今も、小動物たちがルティエルを心配するように木陰に集まってきている。他に何を聞かれるか──ハロルドとの婚姻後、なにができるかと聞かれると、特に外交面は不安が大きい。
「ハロルドは、ちゃんとあなたに愛をささやけている⁉」
「………………へ?」
全く違う方向からの真剣な皇太后の質問に、ルティエルは頭が真っ白になった。
「皇太后さま、その質問にはわたしから。陛下は照れてしまい、最近になってようやくルティエル様と軽い抱擁ができるようになったところでございます!」
「まぁ!それは言葉で言わなくとも伝わるという」
「えぇ、言いようによってはそう取っていただいてよろしいかと」
(心の声を直接聞いているからね)
ルティエルはその時点ですでに二人においていかれていた。
ミアによる、ルティエルがこの国に来る前から、ルティエルの部屋の家具や服選びからすべて、己でやろうとしてハロルドが仕事を抜け出しアイザックを困らせた話から、ルティエルが嫁ぎに来てからも照れて顔が強面になるくせに「ルティエルと話すことさえできない……」と職務中にアイザックに嘆いていたことから、先日刺客に襲われた際にルティエルのおかげで命拾いしたことまで、ルティエルが知らない話から皇太后に熱弁するミアに、深く頷く皇太后と、聞いているだけで恥ずかしくなるルティエルであった。
「あの子は本当に、夫に似ていてね」
ミアがすっきりと説明をし終えると、皇太后がしみじみと話し始めた。
「私は愛を惜しみなく伝える方だけど、夫も最初は照れて気持ちを伝えてくれなくてね。でもちゃんと気持ちは伝えてと言ってから、それからはがんばって伝えてくれるようにはなったんだけど。やっぱり気持ちは直接言って欲しいでしょう?」
(なんなんだろう、この状態……)
ごくごく普通に、恋愛相談の場になってしまっている。普段、温室でアイザックとミアとしている作戦会議と変わらない雰囲気に、ついルティエルも本音が漏れた。
「それは、そうなのですが……、でも無理して言って欲しいわけではないので、……もしハロルド様が言いたいと思ってくださるのなら、そのときに言っていただけると、うれしいと思います」
うつむきがちに顔を赤らめたルティエルがこたえると、「まぁまぁ」と目を輝かせた皇太后がルティエルの手をつかんだ。
「ありがとう。うちの子にはもったいない、いい子が嫁ぎに来てくれてうれしいわ!ね、ミア?」
「えぇ、陛下にはもったいないです」
「そんな、僕なんて──」
「あらダメよ、そんなこと言っては」
それまで柔らかな口調だった皇太后が、スパッと言った。
「自分なんか、なんて言わないで。優しく、周りを大事にできるあなたは、もっと自分に自信を持っていいのよ」
お茶目にウィンクをした皇太后に、すっかりルティエルの心はほぐされてしまった。
(王や皇太后というのは、もっと偉そうで、近寄りがたいと思っていたのに──)
ジクルス国とは大違いだ。ただ恐れられるだけの王族とは違う。
「はい、ありがとうございます」
そうしてルティエルは安心して、子どものような愛らしい笑みを浮かべた。その様子に、皇太后もミアも穏やかに微笑んだ。
「さ、お茶が冷めてしまったわね。新しいのを入れさせましょう。温かなお茶を飲みながら、今度は私の話を聞いてちょうだい」
「はい」
「それにしても、あなた本当に動物に好かれるのねぇ」
皇太后は感心するように、そっとルティエルの様子を見に来た動物たちが“話し終わったからいいよね?”というようにルティエルの頭にとまったり、“お菓子もらってもいいでしょうか⁉”と周囲をうろうろしているのを眺めていた。
「森のお茶会みたいで楽しいわ」
うふふ、と皇太后は口元に手をあてた。
「ありがとうございます。動物たちは小さい頃から僕のそばにいてくれたので、これが僕の力だなんて、ハロルド様に言われるまで思いもしませんでした」
「あなたにとってもぴったりね」
皇太后はとても気さくに、クッキーを割って小鳥に食べさせてやっている。
(ハロルド様の優しさは、皇太后さま譲りかな)
アイザックやミア、他の従者と話しているところを見ても、分け隔てなく接していた。ルティエルの兄妹は、王族とそうでないものを区別・差別していたから、その様子を見ていたルティエルは苦しかった。だから、ハロルドを見ていると安心するし、そこに別の温かな感情も混じっていた。
「僕も、もっとハロルド様と仲良くなれるように、がんばります」
そんなルティエルに、皇太后の目元がやさしくゆるんだ。
しばらくして、新しい紅茶が運ばれてきた。
「今度はね、東南部の伝統的なものにしてもらったの。少し癖があるから、好みがわかれるけど飲めるかしら?この地域の茶葉の生育方法は少し特殊で──」
本当に国の一面を見て欲しいんだという皇太后の想いが伝わってくる。
(同じ茶葉といっても、国土がこれだけ離れていたら気候も違うもんな。──ん?)
勧められるまま茶葉と飲もうとしたが、独特な香りに一瞬、違和感がした。それに呼応したのだろうか、肩に止まった小鳥が焦ったようにピーピーと羽をバタつかせながら鳴いている。
「どうかした?」
「いえ……」
なかなか飲まないルティエルに、やはり違うお茶を用意しましょうかと皇太后が侍女を呼んだ。
「いえ、こちらで大丈夫です」
せっかく皇太后が用意してくれたし、さっき感じた違和感も気のせいだろうとルティエルはお茶を一口、飲んだ。
(うん、ちょっとスパイシーな感じ。初めて飲む味だ)
やはり気のせいだったかと皇后とおしゃべりに話を咲かせていたが、だんたんと喉の奥からチリチリと擦れる感じが広がっていく。
(なんか、喉が熱い気が……)
飲んだことのない茶葉だったから、体が驚いているんだろうか。そう考えていると
「────っ⁉」
喉の奥から上がって来た急激な熱に、ルティエルは喉を抑えながら上体を丸めた。
「ゴホッ、ゴホゴホ‼」
「ルティエル様、大丈夫ですか」
背中をさすろうとミアがルティエルに近づくと、ルティエルがぐらりと崩れた。
「ルティエル様⁉」
「誰か、医師を呼んで‼」
「はい‼」
控えの侍女に素早く皇太后が命を下すと、辺りは騒然とした。次第に周りの景色がゆがんで、ルティエルはもう何も聞こえなくなっていった。
(──ハロルド)
遠ざかる意識の中、思い浮かべたのはただ一人だった。




