少し進展しました
「おはようございます、ハロルド様」
「おはよう、ルティエル」
ハロルドが刺客に襲われた日以来、ルティエルに対するハロルドの態度(強面)が和らいだ。
まず第一に、距離が近くなった。以前は長いテーブルの端と端に座り、数メートル離れて食事を取っていたが、縦に使っていたテーブルを横に使うことにして、今では手を伸ばせばギリギリ届く範囲で向かい合って座っている。
「今日も──……」
向かいの席についたルティエルに、言いたいことは十二分に伝わって来た。強面の代わりに、自然な感情を見せるようになったハロルドの頬は赤く染まっている。
『かわいいと言いたい……』
しかしそれを口から出す難易度は、崖から飛び降りるよりも高いのだろう。毎日苦戦しているようだ。
「ルティエル様はかわいいだけではなく、美しくあられます」
「そんなことはわかっている!」
ミアに先を越され、勢いよくテーブルを叩きながらそう言ったハロルドに
「え?」
「……あ」
ハロルドの反応に、ルティエルも同じように顔が赤らんできてしまった。
「その、ありがとうございます」
赤くなった頬を隠すようにルティエルが頬に手をあてて恥じらっていると、ハロルドがテーブルに突っ伏した。
『か、かわいすぎる……』
なにをどうしても、ハロルドにとってルティエルはかわいいのだろう。
「あの、ハロルド様」
「なんだ?」
朝食を終え、食事の間の扉を出たところでルティエルはハロルドに告げた。
「今日なのですが、ティータイムをご一緒にできなくなりまして」
瞬間、冷たい気持ちが流れ込んできた。なんならハロルドの顔も白くなっている。
『ルティエルは、私と一緒にティータイムを過ごすのが嫌なのか……』
今にもハロルドが泣き出してしまうのではないかと心配になるほどの悲しみだった。
「その、皇太后さまに呼ばれておりまして」
「母上に?」
理由と述べると平常心に戻ったようだ。
けれどその話は聞いていなかったのだろう。ハロルドが控えていたアイザックに視線を送ると、アイザックも首を振った。
「先日まで各地を回られて宮を留守にされていましたが、落ち着かれたとのことで一度会いたいとおっしゃってくださっているのです」
ルティエルがそう言うと、ハロルドは考え込むようにあごに手をやった。
「あの、ハロルド様?」
「いや、大丈夫だ。母上はマイペースな方でいらっしゃるので、それだけ気をつけておけばいい」
「はい、わかりました」
アドバイスしてくれるなんてありがたい。
皇太后さまに気に入ってもらえれば、とまでは恐れ多くて思えない。それでもハロルドのそばにいてもいいと認められるくらいには、不快感を与えないようにしたいとルティエルは思っている。
(正直、怖い。ハロルドは容認してくれているかもしれないが、僕の体質からしてふさわしくないと思われるかもしれないし、后教育もまだ……)
ルティエルが不安に駆られていると、ふわりと頭に手が乗った。
「そう緊張しなくともよい。ルティエルなら、大丈夫だ」
ぎこちなく、ハロルドがルティエルの頭を撫でた。
「……はい」
緊張で固くなっていたルティエルの身体から、ひゅるりと力がぬけていく。全く緊張しないのは無理だが、最大限の努力もするが、いらぬ力が抜け。程よい緊張感が残った。
(僕って、単純なのかもしれない)
じっとハロルドを見上げていると、
『しかしルティエルとの時間が母上に奪われるとは……、今日の昼は会議があるから、もう夜にしか会えないではないか。仕方ない、途中で抜け出して様子を見に行くしかない!』
要らぬ計画が聞こえてきてしまった。
「ハロルド様、今日もご政務がんばってください」
抜け出さないで、行方不明になったハロルドを必死の形相のアイザックに探させたりしないでね、とは言えない。
「あぁ、行ってくる、から、今日も、その……」
ハロルドは期待するような目で、頬を染めながら、固く広げた両手をルティエルの背中に添えた。
「はい、行っていらしてください」
すぽりと、その腕の中にルティエルはおさまった。
これも変わったことの一つ。ハロルドは一度経験したことは、ハードルが低くなるらしい。
今では一日に一回は抱擁するようになった。
「陛下、そろそろ」
「少し待て」
ミアにそろそろ行けと言われても、ハロルドは粘った。ぎゅ~っと強くルティエルを抱きしめたままだ。
『離れがたい……、このまま執務室に連れて行って今日はルティエルを膝に乗せたままでいようか。いや、絶対にルティエルに集中してしまうし、母上とも会うというし』
ハロルドからは声とともに甘酸っぱくて、もう口から苺でも吐き出せてしまうんじゃないかと思うほどの恋心が流れ込んでくる。
(もうそろそろ話してもらわないと、僕が溶けてしまいそうだ)
ルティエルが甘さに音を上げそうになっていると、ようやくハロルドがルティエルを離した。
「ではな、ルティエル。何か困ったことがあればすぐに言うんだ。わかったな?」
別れがたそうに、ハロルドはルティエルの前髪を撫でた。
「はい、ありがとうございます。ハロル……ド」
これも変わったことの一つ。数日前の朝食の席で「そろそろ、“様”なしで呼んでほしい」とプルプルと揺れながらハロルドに言われたのだ。さすがにそれは、と断ろうとしたが「刺客に襲われた時は呼べていた」と顔を赤くしてにらむ形相で言われた時は、なにもしらない侍女は震えていたが、ルティエルはハロルドの後ろに泣きそうな子犬が見えるようだった。
ルティエルの”様”なし呼びに目を輝かせて微笑んだハロルドは、スキップで執務室へと向かった。後ろに続くアイザックも続いてスキップしている。
「アホですね」
そんな二人を、冷めた目でミアが見つめた。
「ミア、口が過ぎるよ。ご機嫌がいいのは、いいことじゃない?」
「それはそうですが、臣下がいる場では王としての威厳は保って欲しいものです」
「君たちには、気心が知れているからつい緩んじゃうんだよ」
ルティエルがミアを見ると、無表情なのに珍しく驚いた目をしていた。けれど、二、三度瞬きをしてから、ミアはふぅっと息を吐いた。
「ルティエル様、そういうとこですよ」
授業があるから早く戻りましょう、とミアはルティエルを授業へと向かわせた。ルティエルは思わず、笑ってしまった。
「いや~、ここまで長かったですね」
「本当に。やっとあの奥手陛下も気持ちを伝えられるようになってきましたね。まぁ、まだ大事なことは何一つ告げられていないんですが」
ルティエルと部屋に戻る途中、アイザックと現状を述べ合うミアは相変わらず辛口だ。
「ところでアイザック。あなたは何をしに来たのです?」
まさかサボりですか?とミアが鋭い視線を向けると、違う違うとアイザックは手を横に振った。
「皇太后さまよりご伝言です。ティータイムの予定でしたが、よろしければ昼食も一緒にどうか、と。いい魚が手に入ったということですが、お話したいことがたくさんおありになるのでしょう」
いかがでしょう、と尋ねるアイザックへの返答など、初めから決まっている。
「わかりました。お昼にお伺いしますとお伝えいただけますか?」
突然の変更に緊張を帯びたルティエルの様子に、アイザックはわざとゆるい雰囲気でウィンクした。
「はい、了解っす。それとルティエル様」
「えぇ」
「俺達には何でも言ってもらって大丈夫ですよ。これからずっとお傍にいるんですから、気がかりなことも心配事も、できる限り取り去れるようにするんで」
ニカッと笑うアイザックの隣で、ミアもこくりとうなずいた。
アイザックもミアも“俺達はいつでもあなたの味方ですから”と告げている。
初めての感情に、ルティエルはなにをどう感じているのか自分でもわからなかった。でも、じわりと湧き上がるこの気持ちが、何かを証明しているようでもあった。
「わかった。これからはそうする」
緊張しているせいもあるかもしれないが、今日は感情のアップダウンが激しい。
面映ゆくて、ルティエルは口元を手で覆った。
「はいっす。じゃあ俺はこれで」
そうして王宮へと走って行くアイザックの後ろ姿を、ルティエルはミアと二人で見送った。
「アイザックは、いろいろと動き回ってくれているけど仕事大丈夫なの?」
「大丈夫です、あいつタフですし、意外に仕事も早いんですよ。あれでも陛下の右腕ですからね」
「そう、ならよかった」
気になることも解決し、部屋に戻ろうとしたところで「これはこれは!」と野太い声が後ろから響いた。
振り返ると二人の男がこちらに歩み寄って来ていた。
「ゴーダン卿、ルティエル様の御前です。控えてください」
ミアの冷淡な声も、ゴーダン卿には響かないようだ。
(……あの人が)
熊のように大きなゴーダン卿は見るからに高級品を装い、真ん中で分けた赤茶の髪と同じ色の目から力強さを感じる。その後ろに、黒髪を後ろでまとめてもみ手をするわし鼻のひょろい男が一人。
「大変失礼いたしました。私、イルモート・ゴーダンと申します」
「わ、私は、マロック・ザンクと申します」
胸に手をあてルティエルに深々と礼をしたゴーダン卿の隣で、ザンク卿も慌てた様子で礼をした。小男、と思ったがゴーダン卿といるから小さく細く見えていただけで、ルティエよりは充分大きかった。
「初めまして」
だが、本来ならば一大臣が王の伴侶なるルティエルを呼び止めるなど許されない。
(妾候補の小国の王子風情と、軽く見られているのだろうな)
ゴーダン卿もザンク卿にこやかな笑みを向けているが、その目は笑っていない。
「しかし、本当に聖鳥と同じ、銀髪と翡翠の目をお持ちで」
ルティエルを値踏みするように上から下までじろじろと視線を向けてくるザンク卿の隣で、ゴーダン卿は感心した目を向けてくる。
「これは、噂になるのも納得ですな」
「噂、ですか?」
なんのことだろうとルティエルはゴーダン卿に尋ねた。
「えぇ、先日私が赴いておりました北の街で、ルティエル様が我が国に降り立ったときの様子を見ていた者がおりまして。まるで神の祝福がおりたような光景と、ベールから一瞬垣間見えたルティエル様の清らかな美しさに、思わず手を合わせずにはいられなかったと、興奮混じりに話してくれました。今やもう国中で噂になっておりますよ」
街人から聞いたときのことが頭にあるのだろう、ゴーダン卿は朗らかな笑みを浮かべた。
「そんな、よく言ってもらえているだけです」
ルティエルが単に鳥たちが挨拶に来てくれたと思っていたことが、まさかそんな大層に噂されていたとは思ってもみなかった。
(かなり、恥ずかしい………)
羞恥でうつむきそうになる。
「なにを仰いますか、民に希望を与えられることはそうありません」
そうして、にっこりと微笑まれると(もしかしてゴーダン卿はいい人?)と思えてくる。
「早くお姿を拝見したいと心待ちにしている民も多いのですのに、陛下はルティエル様を王宮にとじこめていらっしゃるので」
「閉じ込めているわけではありません。僕を慮ってのことです」
「これはこれは、大変失礼いたしました」
やっぱり違ったかもしれないとルティエルは思い直した。なんとなく雲行きが怪しくなってきた。
「それで、僕に何かご用でしょうか」
ルティエルも注意を払いつつ、けれど社交的な笑みを浮かべた。
「民だけではなく、我々もルティエル様にご挨拶に伺いたいと陛下には申し上げていたのです。しかしお許しがいただけず、今日までご挨拶できずにおりました。私のほかにも、そう申している貴族は多くいるのですよ。なにせこれまで婚姻を拒否していた陛下が望まれたお方ですから」
きっと、ルティエルを見定めようと、もしくはいち早く媚を売ろうとする者らを、ハロルドはルティエルに近づけないようにしているのだろう。
「そうでしたか。それでは僕の方でも一度ハロルド様に確認いたします」
「えぇ、ぜひに。お願いいたします」
早く貴族たちとも交流を持たせ、弱点を探りたいというところだろうか。まだ正式に婚姻を結んでいないうちなら、打てる手は多いだろう。
「あぁそうでした、ルティエル様からも一言おっしゃっていただけませんか」
「なにをですか?」
それまで静かにしていたザンク卿が、急に思い出したように言い放った。
「ゴーダン卿のご息女は“力”を持つ者です。ぜひ陛下に一度お目通り願いたいのですが、頑なに拒絶されていまして。ルティエル様からも陛下に会うように言っていただけませんか」
ザンク卿は品のない笑みを浮かべながらルティエルに言った。
「ザンク卿、失礼ですよ」
ゴーダン卿は、形ばかりの叱責をした。
「も、申し訳ございません、ゴーダン卿。しかし私は心配なのです。より力を受け継げる可能性が高いものをそばに置く方が、国のためにもなりますでしょう」
ザンク卿の失礼極まりない態度にミアが一歩踏み出そうとしたが、ルティエルが目で制した。
「申し訳ございません。ハロルド様が僕しか目に入っていないがために、そんなことになっていたのですね。お伝えするくらいのことはできますが、選ぶのはハロルド様ですので」
余裕のある笑みを浮かべながらルティエルがそう言うと、同じようにゴーダン卿も笑みを浮かべた。
「それはそれは、大変仲睦まじい様子で安心いたしました。では私達は政務に戻ります。お時間いただきありがとうございました。これで失礼を」
深々と一礼して、ゴーダン卿に続きザンク卿も去っていく。
「だがそれも、もうしばらくのことだ」
ルティエルとすれ違う時に、ひっそりとそうつぶやいて。
(……今のは、いったい──)
ザンク卿の気味の悪い声に振り返ってその背中を見つめたルティエルは、そんなことないと思いながらも嫌な予感がしてしまうであった。
ここからまた次の展開へと進んで行きます




