近づきました
(僕以外にハロルドに嫁ぐ人がいないと、思っていたわけじゃないけど……)
昼食を終え、ルティエルは部屋のバルコニーからぼーっと王宮を眺めていた。
(そういえば、キャロリア姉さまがラティエス帝国は一夫多妻制だって言ってたな。僕は妾になりに行くんだって)
気が塞いでいるからだろう、悪い方にばかり考えがいってしまう。
授業を終えてから、それとなくミアにゴーダン卿について尋ねた。古くから王家に仕え、今も大臣を務める一族であると。王家としても頼りにしている家柄であるということ、そしてゴーダン卿のご息女は“力”を持つ側であると。
まだ吹き付ける風も冷たさを帯びていないというのに、ルティエルは寒さに耐えるように両腕を自分の身体に回して、ぎゅっと抱きしめた。
(やっぱり、王家としては力を引き継げる人に来てもらった方が安心だもんね)
仮にハロルドとルティエルが結ばれ、二人の間に子が生まれたとしても片親が力を持たない場合、力を持たない子が生まれる可能性が高いと言われている。ごく普通の家庭であればそれでもいいかもしれないが、王家の、世継ぎを生まなければならない身でそれは許されない。必ず“光”もしくは“闇”の力を受け継いだ子を産まなければならない。
(ハロルドがいくら僕に好意を向けていたとしても、これは別問題だ)
ルティエルはそっと目を閉じた。
どうしてだろう。さっきまで、ハロルドの心の声が聞こえるまで、もう誰もハロルドに嫁がないんじゃないかと思い込んでいた。そう思えるほど、いや、そうであってほしいと自分でも気づかないうちに願っていたから。
「失礼いたします。ルティエル様」
「どうしたの?」
バルコニーで佇むルティエルの後ろから、ミアが声をかけた。
「陛下より、今日のティータイムは庭園でどうかと。そばの池に白鳥が来ているようで、一緒に見たいとのことです」
「……わかった、行こうか」
これもどこまでが、ハロルドの言葉なのだろうか。直接、心の声を聞かないと安心できない。だって心ではいくら愛を叫ばれても、一度だって口に出して伝えられたことはないから。
(こんなこと考えていたって、しょうがないのに)
しまい込んでいた諦めと寂しさは、いつだって取り出せるところに置いている。すぐそばに置いていないと、すぐそっちを選べるようにしていないと怖いのだ。いつだって諦められるように、いつだってひとりだったんだと思い出せるようにしておかないと、そばに来るかもしれないと思っていた温かさに裏切られた時、立ち直れなくなってしまうから。
(今はこのネックレス頼りになっているけれど、そろそろこれに頼るのもやめないと──)
そうしないと、いつまでも魔道具に頼ってばかりでは、いつまでも心の底からハロルドを信じられない。
首にかけたネックレスを持ち上げ、キラキラと光る水晶に目をやっているとミアが声を上げた。
「ルティエル様、前方に陛下がいらっしゃいます」
ちらりと目を上げると、前方、といっても小さく背中が見える程度。ミアはとても視力がいい。
(ここからだと、心の声も聞こえないな──じゃなくて!)
頼らないようにしようと思っていたそばから、そんなことを思ってしまい、ルティエルは頭を振った。
“──ルティエル”
ハロルドの声が、いつも心で呼びかけてくれるその声が、ルティエルの脳裏に響いた。
(そうだ、いつだってハロルドは僕のことを想ってくれるのに)
涼やかな風が頬を撫で、胸の奥のざわめきが静かに溶けた。
つい不安で自分の殻にこもってしまいそうになる。でもハロルドは直接なにも言ってくれなくても、不器用で恥ずかしがっていても、ルティエルを大切に想ってくれていることは誰よりもルティエルが知っているから。
「ミア、ハロルド様のとこに行ってもいい?君はあとからゆっくりくればいいから」
そう言うと、ミアはパァッと目を輝かせて頷いた。
ミアに小さく手を振られ(なんならニヤッとされた)、ルティエルは小走りでハロルドのもとへと走った。
自分を受け入れてくれるとわかっているから、こうしてハロルドのもとに走れるのかもしれない。ハロルドの気持ちも知らないままだったら、自ら距離を置いたかもしれない。
でも知っているから、ハロルドもルティエルに近づきたいと思っていることを。
(だから、もう待ちたくない)
そのうち時間が経てばきっと、なんて言いたくない。言ってられない。だって今、ハロルドに近づきたいって望んでいるのは自分自身。だから待つだけじゃなく、自分から動きたい。
(ハロルドに他の誰かが嫁ぐ未来が来るかもしれない。でも今、それを恐れて、何もしないのは嫌なんだ)
だから、ただ聞いているだけじゃなくて、自分からも伝えたい。
その一心が、ルティエルを動かしていた。
(でも、なかなか追いつけない……)
体質も関係し、ルティエルは一般的な男子より体力がない。加えて、運動能力も高くないため全速力でも他の人からするとモタモタ走っているように見える。もちろん、ハロルドは身体能力も運動能力も高いので、早歩きのハロルドをルティエルが走って追いかけても中々追いつかなかった。
やっとのことでハロルドの背中が近づいてくると、ルティエルのほかにもハロルドを追う背中があることに気づいた。
(グレーの詰襟に白のズボン……、一般兵がどうしてこんなところに)
宮殿の中心部、しかも王に一般兵が話しかけるなど考えにくい。
(後ろから警護してる、とか?)
ルティエルが疑問を抱いたまま走っていると、その一般兵が、腰に差していた剣を抜き走り出した。それを合図のように、周囲から黒づくめの屈強な男達がハロルドに迫る。
「……っハロルド、逃げて‼」
ルティエルの大声よりも前に、ハロルドも気づいていたようだ。一人、二人とハロルドは襲い掛かる暗殺者をなぎ倒し、力で抑え込んでいく。埒が明かないと思ったのだろう。暗殺者がハロルドに四方八方から同時に襲い掛かった。
「ハロルド!」
ルティエルがハロルドに目一杯手を伸ばし駆け寄ろうとする間に、ハロルドは目を見開いて周囲を見渡した。そうすると、襲い掛かった者らが全員地に落ちていった。
一瞬の出来事だったが、闇の力でその生命を奪い取ったのだろう。
(あれが、ハロルドの力──)
人を生かしも殺しもする力。
ハロルドを中心に襲い掛かった男達が弧を描く様に倒れている。
聞いてはいた、けれど実際目にするのでは違う。
ルティエルは足がすくんだ。戦闘経験も、日常の中で襲われることからも遠かった。目の前の出来事にとても頭が追い付かない。
(足が、震える──)
それに加え、肌で感じる。あれがどれほど危険な力か。
けれど、足元の男らを見つめるハロルドは、ルティエルの見たことのない、まるで虚無の中にいるようだ。
ふっ、と顔を上げたハロルドと目が合った。ハロルドの目にはルティエルさえも映っていないように見えた。
それが、ゾッとするほどこわかった。
「ハロル──」
たじろぎながらも呼びかけようとした瞬間、ハッとして周囲を見回した。
(初めに見た、兵士がいない!)
ハロルドの周りに倒れているのは、黒づくめの男だけだと気づいたときには、遅かった。テレポートした男が、ハロルドの真後ろで剣を振り上げていた。
「ハロルド、危ない!」
ハロルドが振り返ろうとするも、すでに剣がハロルドに振り下ろされようとしていた。
(ダメ‼誰か、ハロルドを助けて──っ)
強く、強くルティエルは願った。
瞬間、周囲の木々や茂みから飛んで来たカラスにワシ、スズメにウサギにリスにキツネと王宮の庭園にいるありとあらゆる動物たちが一斉に暗殺者に襲い掛かった。
「うぁっ⁉どけっ、邪魔だ!」
暗殺者は必死に腕を振り回して動物を振り払おうとするが、それが逆効果となり、さらに襲い掛かられている。見ているこっちが食い殺されないかと不安になるほどに。
たたらを踏んだハロルドも体勢を立て直し、襲われる暗殺者を呆然と眺めていた。けれど、ルティエルがいることを思い出したのだろう。全速力でルティエルへ駆け寄った。
「ルティエル、無事か⁉」
襲われたのはハロルドの方なのに、ハロルドは両手でルティエルに傷がないか確かめる。
「僕は、なんとも……。それよりハロルド様は」
まだ息を切らせているルティエルに、ハロルドは心底安心した顔をした。
「あぁ、私もなんともない。お前のおかげだ」
「いえ、僕はなにも」
「お二人とも、ご無事ですか⁉」
足に風を巻きつけてミアが飛んで来た。ハロルドを一瞥した後、確かめるようにルティエルの全身にパタパタと手をあてた。
「私もルティエルも無事だ。それよりも」
ルティエルの手を引き、ミアから引き離したハロルドは、暗殺者に目をやった。
暗殺者は今や地に転がり、痛みに叫び声をあげている。顔や手から血が流れているのが遠めでもわかる。それでも動物たちは攻撃を続ける。
「ルティエル、やめるように言ってやれ」
ハロルドに言われて、ルティエルは目を大きく見開いた。
「え、っと僕、ですか?」
「そうだ。言い聞かせるように言ってみろ」
当然のようにハロルドはそう言うが、ルティエルは不思議で仕方なかった。
「言えばわかる」
ルティエルの考えていることがわかったかのように、ハロルドは促した。理由を説明される気が全くしなかったので、とりあえず言うとおりにした。
「みんな、もういいから、森へお戻り」
そう言うと、ルティエルの言葉にピタリと動きを止めた動物たちは、攻撃していたのが嘘かのように穏やかさを取り戻し、どこかに行ってしまった。
(……いくら、懐いてくれてたと言っても、こんな瞬時に言うことを聞いてくれるなんて──なんか、変だ)
ルティエルは目を丸くして声も出せず口を開いたまま、ハロルドを振り返った。
「それがお前の力だよ」
「……え?」
ハロルドがなにを言っているのか、ルティエルは理解できなかった。
穏やかなティータイム、とはいかなかったものの、衛兵に暗殺者を預け、「せっかくですのでお茶は飲んでいきましょう」とミアが準備を始めてしまったので、その間二人は池のほとりを散歩することとした。
池の周りは紫や白の花が咲き誇り、蓮の花が浮かぶ池では、カモや白鳥がゆったりと泳いでいる。
(のどかだ……)
さっき目の前で起こったことが、現実ではないかのように思えるほどに。
見上げた空は青とピンクが混ざり合い、柔らかなその色がもうじき日が暮れることを教えてくれる。なにも話さないまま、ルティエルは足もとに長く伸びるハロルドの影を踏まないよう、数歩後ろを歩いた。すると、その影がピタリと止まり、ルティエルの足先にかかった。
「ルティエルも知っての通り、私は“光”と“闇”の力を持っている。両方の力を持つ者が誕生したのは、数百年ぶりだそうだ。だからだろうか、幼い頃から、私を狙う者は多かった」
ハロルドの声は、ひどく沈んでいた。
どんな思いで話しているのだろうか。背中しか見えなくて、ハロルドの顔が見えない。
「何度も私を殺しに来る者に襲われた。そういう者らを殺したのも、一度や二度じゃない。特に幼い頃は力加減がわからなくてな。必死に放った闇の力で、塵にしてしまうこともあったほどだ」
自虐的に小さく笑うハロルドは、なにを言おうとして話し出したのだろう。
「こう言っては何だが、狙われても殺してしまえば手っ取り早かった。護衛に対応させるより、自分でやる方が早いし、怪我人も出ない。何度殺しても、また別の奴が殺しに来る。だからずっとそうしてきた」
振り返ったハロルドは、弱弱しい笑みを浮かべていた。
「今日初めて、襲って来た者を殺さずに済んだ。きっと黒幕に繋がる手掛かりがつかめるはずだ。ありがとう、ルティエルのおかげだ」
頭を下げたハロルドから心細さと、小さな安堵と、苦しみが伝わってくる。
“氷結の王”と人の心がないように言われているけれど、決してそんなことはない。それは誰よりもルティエルがわかっている。うれしいとき、心の底から喜ぶハロルドはきっと、自分が誰かを殺めたとき、己の力に苦しんでいたのだろう。
ハロルドに近づいたルティエルは、そっとハロルドの手を握った。
「僕はただ、ハロルド様の隣にいただけです」
「そんなことはない、私を守ってくれた」
「それは、動物たちがしたことで──」
「それが、お前の力だ」
重ねた手から顔を上げると、優しい顔をしたハロルドがいた。
「ルティエル、お前は動物を従える、いや、動物に好かれ、心を通わせる力を持っている」
「…………僕が?」
ハロルドの言うことが信じられなかった。だって、これまで一度も自分が力を持っていると思えたこともなく、力を持っていないと自分を否定されることしか言われてこなかったから。
「私の光の力は、力を持つ者とそうでないものがわかるのだ。ルティエル、お前は力を持っている。最近発現したわけじゃない、私は初めて会ったときからお前が力を持っていたことを知っていたよ。あの時は、なんの力かはわかっていなかったがな。きっと、ジクルス国の獣害が少ないのもお前のおかげだと思うぞ。お前が、国を守っていたんだ」
「そんな、まさか」
「だが、思い当たること、あるだろう」
「……」
黙り込んだルティエルに思い当たることは、いくつもある。いつも動物たちはルティエルのそばにいた。ただ歩いていると寄ってくることもあれば、寂しい気持ちでいると一段とそばに来てくれたものだ。恐ろしいものもいた。冬の森の前、一息で殺されてしまいそうな、大きく野蛮な獣の前に立ったこともある。
(そうだ、あのとき──)
どうして忘れていたのだろう。
幼い頃、城の裏の森で森に住まう獣たちに襲われそうになったとき、兵士と獣らの間に走りこんだルティエルを前に、獣らは深々と頭を垂れてから森へと戻っていったのを。
興味がなくなってだと思っていたが、動物たちにとって守りたい存在とされているとは思わなかった。ルティエルにとって、動物がいつもそばにいるのは当たり前で、あまりに普通のことだから、他の人のそばに動物がいないことを不思議に思うことすらなかった。
「これが、僕の力……」
「そうだ、その力で私を守ってくれた。ありがとう、ルティエル。お前は私の命の恩人だ」
そう言って、ハロルドは柔らかにルティエルを抱きしめた。
(僕が、ハロルドの命の恩人……)
ずっと自分はダメだと思っていた。誰の役にも立てないし、誰かのために何もできない人間だと思っていた。
でも違った。今日、違うって言ってもらえた。ハロルドを守ることができた。それがどれほど、うれしいことか──。
『しまった、アイザックにするようにルティエルに抱きついてしまった!いったいここからどうしたらいいのだ⁉いつも、いつもアイザックのときはどうしていた──確かなにかの業務が終わった気分が高まっているときに抱きついて、そのまま酒を飲んでいたが、ルティエルにはどうすれば⁉』
胸いっぱいで泣きそうになっていたのに、いつものハロルドの声が聞こえてきて思わずルティエルは笑ってしまった。
「ど、どうした?」
耳にかかるハロルドの声が、焦りを帯びているのがわかる。
でも、まだ、もう少しだけ。
「いいえ、なんでもありません」
そう言って、ルティエルはハロルドの背中に手をまわした。
「あ、あの、ルティエル?」
「はい、ハロルド様」
ハロルドの心臓が大きく鼓動を打つのがわかる。でもそれはもしかすると、自分のものかもしれない。
「その……、もう少し強く、抱きしめてもいいだろうか?」
消え入りそうなその声が、愛しくてたまらなかった。
だから、ルティエルの方からぎゅっと抱きしめた。そうすると、ハロルドも強く、でもルティエルが痛くない程度に優しく抱きしめてくれた。心臓がどきどきして、でもとても心地よかった。
『ぎゃあ――――――――――‼』
ただ、心の声がだいぶとうるさかった。
「さて、お前は誰の差し金だ?」
王宮地下の籠城で、アイザックの声が響いた。
生き残った暗殺者は口に枷を、手足を縄で拘束され、アイザックの前にひざまずいている。その後ろでは、椅子に腰かけたハロルドがぼんやりとその様子を見ている。
「………っ」
暗殺者はさっきから己の前にダルそうに立つアイザックをにらみ上げ、なにも言わない。
「なら、仕方ないな。お前が話す気になれば解いてやろう」
アイザックの足元から発生した冷気は、次第に氷となり、ゆっくりと暗殺者の膝から腿を凍らせていく。暗殺者は氷の冷たさと痛みに悲鳴を上げた。
「話す気に、なったか?」
目を見開いて暗殺者を見下ろすアイザックは暗殺者の腿半分まで凍らせると、わざと凍らせるのをやめた。
暗殺者はふーっ、ふーっと荒い息を繰り返し、冷や汗が止まらず、床にぽたぽたと落ちていく。それでもまだ白状する気はないようで、暗い目をしてアイザックをにらんだ。その様子に、アイザックは嘲笑した。
「わかっていないようだから、教えてやろう。俺はお前の足を凍らせただけじゃない。お前の足自体、もう氷なんだよ。わかるか?俺が今、お前の足を蹴り飛ばしでもしたら、粉々になるんだぜ」
暗殺者の腿を踏みつけるアイザックは、普段の様子からは考えられない冷酷さだ。
「どうしようか、このまま砕いて、それから氷を解除しようか?解けたら、どうなるかわかるよな?」
アイザックに震えあがる暗殺者が、それでも許しを懇願しない様子に
「もういいアイザック」
「陛下、ですが──」
立ち上がったハロルドが暗殺者の腿を思い切り踏みつけた。凍った足に大きな亀裂が入り、暗殺者は口の中で悲鳴を上げた。
「こいつのせいで、ルティエルまで危険にさらされた。死よりも深い苦しみを与えねば私の気が済まん」
見上げた先のハロルドの狂気に、天井へと向けた手に立ち上げる黒く禍々しい力に、暗殺者は恐怖のあまり叫び続けた。ルティエルの前では決して出すことのない、ハロルドが恐怖される所以。
「だが、お前の飼い主の話を聞かせてくれれば、少しは温情を与えよう」
ハロルドがアイザックに暗殺者の口枷を外させると、暗殺者は震える声で話し始めた。
翌日、王宮の地下に散らばっていた無数の氷の破片は、そのまま溶け消えていった。
二面性!次回からハロルド、グイグイです(当社比較)




